<10・親友>
何が、“怖いからおまじないに付き合って!”だ。
いつもそうだった。可愛い子ぶった顔で、るみなは自分を振り回して我儘を貫き通そうとする。こっちがものを強く言えない性格なのがわかっているからだろう。いいよ、と言う前から何でもかんでも勝手に予定を決めて、万が一それを守らないと嘘泣きしながらねちねちとそれを人前で責めるのだ。結局こっちはそれが嫌で、悪者にされたくなくて謝ってしまったり妥協させられたりする。最悪としか言いようがない。何故この女と、二年間も同じクラスにならなければいけなかったのだろう。
周囲からは、眞音とるみなは仲良し認定されているのかもしれない。でも実際、るみなの存在は眞音にとっては害虫以外の何者でもなかった。さっさと目の前から消えてくれたら、どれほどせいせいするかと思うほどに。
「よし!これで終わりぃ!」
電気が消えて真っ暗の、東棟一階理科準備室前。ドアの前でおまじないを唱えていた彼女は、ぱっちりとその大きな目を開けて笑った。
「八辻高校七不思議のひとつ、金運アップのおまじない!キズニ様のご加護は絶大なんだってさー。これで、金欠もきっと解決するしー!」
「……解決するって、具体的には何が起きるの?」
「さあ?宝くじが当たるとか、大金が落ちてるのを拾えるとかじゃないかなあ?うふふふ、楽しみねー!」
「……はあ」
宝くじは買わなければ当たらないし、大金は落ちているのを見つけたら交番に届けないと犯罪になるのだけれど。眞音は呆れてものも言えない。そんな神頼みに縋るくらいなら、その馬鹿げた浪費癖をなんとかしろと言いたかった。
彼女の場合、化粧品と服とバッグにつぎ込むだけではない。最近は、イケメンが出てくる乙女ゲームにも死ぬほど課金していることを知っている――それも、親の金を使って。毎月一万円は課金しないと全然ガチャに足らないのにい!ケイ君のえっちシーン解禁したいー!とか言っているのがいろんなところでツッコミどころありすぎるのである。十七歳なのにエロゲーに手を出しているのもまずいし、親の金でガチャしまくっていて恥ずかしいと思っていないのも大問題である。そんなに金が欲しいならせめてラッキーとか施しに頼らないでバイトしろよ、と言いたい。
最近は、人に金を貸してくれとせびるようになってきたから余計迷惑なのである。現時点ではほぼ突っぱねているが、それもいつまでもつかどうか。というか、去年貸した二千円も返ってきていないのだ。“親友の頼みでしょ、おねがーい!すぐ返すから!”がまったくアテにならないのは明白なのである。
――世の中、そんな都合よく行くわけないんだから。
月明かりがぼんやりと照らすばかりの廊下。準備室の硝子には、うっすらと眞音とるみなの顔が映っている。
――こんなおまじないなんて、ほんとくだらない。……願いを叶えるための正しい努力もしないで、ラクして神様になんでも叶えて貰おうなんて。
るみなの事は嫌いだ。でも、ムカつくことをムカつくと言うこともできない自分ももっと嫌いだ。ほら今、こうしてるみなが馴れ馴れしく、恋人のように腕をからめてきても逆らうこと一つできないのである。
「今日は付き合ってくれてありがとう!ねえねえ、気分いいし駅前のモックでお茶して帰ろー?」
「だ、だから……私は塾があるから、急いで帰らないといけないって言って……」
「そんなのサボっちゃえばいいじゃん!何で毎日そんなに勉強したいの?眞音ちゃんってマゾなの?そういう趣味なの?」
お前と一緒にするな!と叫びたかった。マゾも何も、自分達が受験生であることを忘れてやいないだろうか、こいつは。もう十一月、もう追い込みも追い込み、ギリギリもギリギリのタイミング。こいつにあちこち付き合わされてストレスをため込んでいるせいで成績が伸び悩み、親にも心底心配をかけているというのに。
――あんたが受験に失敗するのは勝手だけど、私を巻き込むのはやめてよ!落ちるなら一人で落ちなさいよ!!
本当はそう叫びたいのに言えない。怒りは喉元まできているのに、言葉にするとすぐしおれて甘ったれたものに変換されてしまう。
「お、お願い。私、ほんと、帰らないといけないから。今日は小テストもあって、ほんと、絶対、まずいから……」
しどろもどろにそう言った、まさにその瞬間。
ききき、き。
「はれ?」
るみなが首を傾げた。
「何か変な音するぅ?」
「……?」
彼女にも聞こえているなら、錯覚ではないだろう。まるで地面を鋭い爪か刃物で引っ掻いているような、お世辞にも心地よいとは言えない音だ。それが、理科準備室の中から響いてくるのである。鍵が締まっているのは先ほど確認したし、中に誰かがいるとも思えないのに。
きき、きききき、きき。
小さかったその音は、次第に音量を増し、徐々に部屋の奥から廊下の方へと近づいてきているような印象を受けた。
「ひょっとして、キズニ様かなあ?キズニ様ぁ、私は此処でーす!おまじないしたんで、お金いっぱいください!困ってるんですー!」
きゃらきゃらと能天気に笑いながら、るみなはドアに向けて声をかけた。この闇の中、理科準備室の中から響く奇妙な音――に対してよくこんな能天気でいられるものだと思う。
「る、るみな。なんかちょっと、おかしいと思うの。逃げない?」
嫌な予感がして、るみなに声をかける。しかし彼女は、相変わらず眞音の腕をがっしりと掴んだまま離してくれない。
「えー、嫌よお。だってキズニ様に会えるかもなんだよ?眞音ちゃん知らないの?キズニ様に会えたらねえ、お願いが叶う確率アップアップなんだよぉ?」
「き、キズニ様じゃないかもしれないでしょ!なんかやばいよ、理科準備室に人が残ってるはずないし、変なものが出たら」
「もう、眞音ちゃん怖がりぃ!嫌です、一緒に見てくれなきゃー」
見たいなら一人で見てろ、自分を巻き込むな!泣きたい気持ちで弱弱しく抵抗を繰り返している間にも、音はもうドアの前まで到達していた。かり、とドアを引っ掻く音がする。上の曇りガラス部分に、何か黒い影のようなものが映った気がした。次の瞬間。
ばりっ!がちゃん!
「!!」
曇りガラスに、蜘蛛の巣状の罅。ほぼ同時に、内側から理科準備室の鍵が開く音がして、ノブが回った。勢いよく開かれるドア。一気に生ぬるい風邪が顔面に吹き付けてきたと思った瞬間、眞音の目に理科準備室の様子がくっきりと映し出されることとなる。
奥の窓のカーテンが開いている。暗闇の中では、街灯の光が差し込んでいる、床のあたりしか見ることができない。
それでも充分だった。――ビーカーやフラスコといった実験器具が粉々になって散らばり、床に派手に刃物で引っ掻いたような無数の傷が残っている光景は。
しかも、その爪痕は。まるで虫か何かが這うように――じわじわと廊下の方に伸びてきているのである。
「え、なに?な、なになに?」
流石のるみなも、ようやく異変を感じ取ったらしかった。
「な、なんか。爪あとみたいなの、いっぱい?え、動いてる?これ、こっちに来ようとしてる?触ったらやばいとか、そういうの?」
「…………」
その時。
眞音の脳に、一つのアイデアが浮かんだ。ほとんどそれは直感に近いもので、同時にそれに基づいた悪魔にも近い考えだった。
あの疵に触れたら、触れた人間は同じようにぱっくりと切り裂かれてしまうのではないか。ズタズタになって、苦しみ悶えながら死ぬのではないか。そしてそれは、おまじないを行ったるみなを狙っているのではないか――。
「きゃっ」
刹那。眞音は力いっぱい、るみなの体を振りほどいていた。彼女に巻き込まれて自分も一緒に死ぬなんてごめんだ、と思ったのではない。それもなくはないが、それよりももっと明確な意思を持って、彼女を突き飛ばしていたのである。
前方へ。
疵が迫ってくる、理科準備室の中へ。
「ま、眞音ちゃんっ!?痛いよ、何すっ」
「大っ嫌いだったのよ!」
何かのタガが外れたように、するりと言葉が出た。
「るみな。私は、いつも自分勝手に私を振り回して、自分の都合しか考えないで頼ってきて、それでいて人を助ける気なんかまったくない……そんなあんたがずっと大嫌いだったの!何が親友よ、借りた金も返さないくせにせびって。人が塾でさっさと帰りたいつってんのに聴きもしないでこんなクソくだらないおまじないに付き合わせて!もううんざりなのよ、あんたなんか!私の人生にとって、害虫でしかないの。ずっと消えてほしかったの、ずっとずっとずっとずっと!」
「え、え……?」
本気で、自分が嫌われていることに気づいていなかったのだろうか。尻もちをついたるみなが、あからさまに傷ついた顔でこちらを見上げる。
その顔を見ても、罪悪感なんかなかった。
そして次の言葉を放つより先に、ソレ、はるみなに襲い掛かったのである。
「ぎっ」
ぶちり、と筋が千切れるような音がした。ぶしゅうう、と床についたるみなの右手から血飛沫が上がる。慌てて手を持ち上げた彼女と眞音が見たものは、ひとさし指と中指の間からチーズを裂くようにびしびしと肉が裂けていく彼女の手だった。“疵”は骨を露出させ、手首まで侵食し、彼女の腕を縦に真っ二つに裂いて行こうとする。
「ぎゃ、ぎゃああああああああ!?いだいいだいいだいいだい!何これ、何これ、いだ、いだい、いだいよおおお!」
右手を抑えて蹲り、痛い痛いと苦しみながら蹲るるみな。彼女の後ろから、疵、はさらに迫ってきていた。ひぐうっ!?とひっくり返ったような声が上がる。見れば正座するような姿勢で前に上半身を倒していた彼女の――スカートのお尻部分が、真っ赤に染まっているではないか。
「い、ぎ、な、お、おしり、おしりがっ」
「――っ!」
疵は、少女の臀部も容赦なく引き裂きにかかっていた。お尻から背骨を中心に、スカートと下着の布地がびしびしと破れていく――その真下にある肉をぱっくりと割り裂いて。
黄色い脂肪がぶにゅりと飛び出した。肛門があった場所から、ぬるぬると管のように内臓が飛び出してくるのが見えた。前のめりになったまま、白目を剥いてがくがくと震える彼女の股間部分からじわじわと薄黄色の液体が漏れだしていく。失禁したのか、それとも膀胱まで破裂して堪えようがなくなったのかは定かではないが。
「いぎ、ぎぎ、ぎぎ。だ、だすげで、ぐるじい……おねが、おねがい、眞音、ちゃ」
まだ喋れるなんて、人間の体は不思議なものである。――凄まじい血と糞臭にまみれた光景を前に、どこかで眞音は冷静だった。ひょっとしたらもう、自分もどこかで狂っていたのかもしれないけれど。
「は、はは、ははははっ」
いつか生物の時間にやった、蛙の解剖によく似ている。まさかそれを“親友”の体で拝むことができようとは!
「ざまあ、みろぉっ……!あはははは、ははははははは、はははっ」
自分を苦しめた十倍、百倍は苦しんで死んでいけ。
しばしの時間、眞音はひたすら嗤い声を上げ続けたのだった。
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