<8・感染>

「人が作り出したって……」


 閃は思わず、鸚鵡返しをしていた。


「それってまるで、俺達が見てる妄想って言ってるみたいじゃねぇか……!お、俺は本当に、アレを見たんだ。疵が追ってきて、鈴がっ」

「早とちりするな馬鹿者」

「!」

「人が作り出すものが幻や妄想だけだと誰が決めた。そもそも、その幻や妄想だって実害を成せば現実の災害と同じだ。……カルト教団の教祖が“この世界が滅ばないためには百人の生贄を捧げるべきだ”と主張して、信者が実際に百人を殺したとするだろう?そうなったら、例え教祖が嘘っぱちのホラを吹いていたとしても、世界が滅ぶのと同等の災厄が起きたのと同じことになるんだよ」


 それは、そうかもしれないが。

 なんとなく腑に落ちないものを感じる閃に、よく聴け、と諭すように言う焔。


「人の意思の力、言葉の力というものは存外に強い。神社で神様に願い事をお祈りすることで、実際にその目標を強く意識して成就させた奴なんざいくらでもいる。完全に他人任せで祈る奴ならともかく、多くの連中は“その目標に向かって努力します”と神に向かって宣誓することで願いを叶えようとするからな。何もなくても、人の心の力だけでもそれほど強い実現性を誇るんだ。……それに異界の力が加われば、人の願いはさらに強固なものとなって現実に現れるだろう」


 異界。

 なんだか奇妙な響きだ。異世界というとファンタジーな印象になるのに、“世”の文字が一文字抜けるだけでホラーじみでくるから不思議である。


「異界って……天国とか地獄とか?もしくはそれ以外のものも含めて?」

「後者で正解だな。文字通り、この世界ではない世界のすべて、あるいはそれらのうちのどれか、という解釈でいい。多くの異界とやらは、この世界で人が生きているうちは特に干渉しえないものだ。幽霊を一生で一度も見たことがない人間が多数に及ぶのと同じ理屈だろうさ。ただ、その数は星の数よりも多いくらいだと俺は考えている。そして、人間が山ほどいれば良い奴と悪い奴がいるように、異界にもこの世界の人間にとって良いものと悪いものがいるだろう、と」


 その解釈はなんとなくわかる気がする。RPGのゲームやらライトノベルで解釈すればわかりやすいだろう。魔王が侵略して来ようとする魔族の世界が悪、勇者を手助けしてくれる神様の世界が善と言われるようなもの。勇者とは別の世界にいる以上、どっちの世界も異界には違いない。しかし、勇者のいる世界に害を齎すか、救済を齎すかという違いはあるというわけだ。

 そしてその理屈で行けば、どこかの世界が危険にさらされていても全く干渉してこないで傍観している、いわゆる中立の世界もあるのだろうし、そもそも知ったところで干渉する力を持たない世界なんてのもあって然りだろう。

 あるいは、異界の存在を、その世界の住人が誰も知らない――なんてケースもあるのかもしれない。なるほど、実際にそういうものがあるかどうかは別として、いろいろ想像する余地があると思えば興味深い話ではある。


「その数多ある異界の一部は、この世界になんらかの干渉をしてくる。それによって現れるものを、人は幽霊や悪魔、神などと呼ぶ。自分の解釈でな」

「た、確かに……日本神話の神様も、どこかから船に乗って現れたってことになってるんだっけか。そのやってきた先を異界だと解釈することもできないわけじゃないのか」

「そう。そして幽霊も、一般的には天国や地獄に行き損ねて留まっているもの、だと言われているが。どちらかというと俺は、“死んだ人間が、死ぬことによって別の世界に行って変質して戻ってきたもの”あるいは“死者の物語をする人間が想像し、創造し、それを異界の存在が現実に顕在化させたもの”だと認識している。よって、幽霊とされるものが本当に死者そのものであるとは“限らない”。誰かに創作された物語が具現化した可能性があるからだ」

「な、なるほど?」


 わかるような、わからないような。ちょっと頭がこんがらがってきた。己を落ち着かせるべく、閃はお茶を飲む。

 話しているうちにほどほどに冷めてきてくれたおかげで、ちみちみとなら飲める温度になっていた。苦味の少ない緑茶で助かったと思う。かわいい!なんて鈴にはよく言われるが、閃は結構な甘党だった。


「さて、前提の講釈はここまで」


 足を組み直す焔。なんだろう、座ってるだけなのにものすごく偉そうに見えるのは。特別低い声の持ち主というわけでもないというのに。


「その異界の存在に、気づく者は気づく。あるいは気づかなくても、そういった力を借りる方法をなんらかの手段で知る者はいる。そもそも異界の存在を知ろうが理解していまいが、幽霊やら宗教やらの存在を使ってこの世界に多少なりの影響を及ぼしてくる異界もあるからな。……ただし、もっと直接的に、俺達に対して攻撃してくる、その世界そのものが害となる異界もある。そういう世界がこの世界に浸食してくると、呪いやら祟りやらとなって人を襲ったり、神隠しが起きたりするというわけだ。まあ、そういう世界との偶発的な繋がりができて、その隙間に事故で落っこちる人間なんてのもいるんだろうが」

「あー、神隠しってそういう……気の毒な」

「人間なんてそんなものだからな。体も運命も非常に脆いだろうさ。……一番の問題は。害のある異界の存在を多少なりに理解した上で、その異界のモノを現世に呼び込む、あるいは異界の力を借りて害ある“物語”を創作し、創造し、この世界に顕現しようとする者がいるということだ。例えるなれば……」


 トン、と焔はひとさし指で机を叩く。


「トイレの花子さん、というものすごく古い怪談があるだろう?女子トイレの奥から何番目でノックして声をかけると花子さんが返事をしてくれる、という。では、異界とのコネクションを持つものがこの物語をこんなふうに改変して顕在化させたら何が起こる?“奥から二番目のトイレを使うと花子さんが現れて、その生徒の首をねじ切ってあの世に持っていってしまう”」


 閃にも理解できてしまった。そうなったら、花子さんは単にトイレで返事をしてくれる、気軽な隣人程度の幽霊ではなくなってしまう。

 該当のトイレを使っただけで、なんの落ち度もない生徒が次々と怪異に見舞われるだろう。それも、問答無用で首をちぎられて持っていくともなれば、確実に死者が出る。事態が発覚してトイレが使用禁止になる、あるいはお祓いがされるまで延々と死者が増え続けることだろう。

 しかも、この話には対抗神話がない。

 トイレで花子さんに遭遇しても、返事をしなければ助かる――などの話が書きくわえられない限り、トイレに入ってしまった時点でジ・エンドだ。ただの素人が、助かることなど不可能になってしまうのではないか。


「想像がついたようだな」


 青ざめた閃に気づいてか、焔が告げる。


「害のある異界と契約を結び、あるいはその力を借りる方法を知った上で……悪意ある物語を作って顕現する者達がいる。俺はその顕現されたものを“鬼”と呼び、そいつらの創作者や使役者を“鬼使い”と呼ぶ。一般の怪談や幽霊との最大の違いは、人が無意識に作ったり呼んだものか、あるいは悪意ある個人や組織が作って使役しようとしたものかどうかの違いだ。最終的には作ったはいいが使役に失敗して、鬼使いもろともみんな死ぬケースもあるんだがな」

「な、なんかものすごくヤバイ話だってのはわかった。……でもって俺にそれを話すってことは……」

「お前の妹を浚ったものも、お前の学校を喰らおうとしているものも。俺は、その“鬼”だと確信している。つまりこの件には、ニンゲンの犯人がいるということ。そいつを突き止めてぶちのめさない限り、この事件は恐らく本当の意味で終わることがない」


 話がようやく繋がった。閃は昨夜の恐怖を思いだし、ぶるると体を震わせる。

 無数の疵を持って人を追いかけ、自分と妹を追い詰めてきたあの得体の知れない存在が。まさか、生きた人間が仕組んだことかもしれないなんて。


「なんで、そんな恐ろしいことができるんだ……」


 正直な感想を漏らすと、焔はふんっと鼻を鳴らした。


「人が人を殺す理由のリストでも見ればすぐわかる。考えるだけ野暮、だ。人間は、“ちょっと邪魔だったから”とか“ちょっと目障りだったから”でも人を殺すし、時には“大好きで大好きでたまらなかったから”でも人を殺めるんだぞ」

「み、身も蓋もない。そりゃそうだけどさ……」

「それから、この件は相当規模が大きいように見えるが。多分、現時点ではまだ収束可能な範囲だ。というか、恐らく被害対象が限定されている。……人を問答無用で傷だらけにして殺すようなバケモノが、都合よくお前だけ見逃して生きて返すと思うのか?」

「あ」


 そういえば、と閃はやっとそこに思い至った。何故鈴はズタズタにされた上で神隠しされたのに、閃は助かったのか。ホラーゲームなんかだと気絶=生還フラグだが、それはあくまでゲームだったらの話である。普通、気絶なんてしたら格好の餌食だろう。あのまま疵に追いつかれて、閃も一緒に連れて行かれていた可能性が高かったはずである。

 あの時、閃は完全に怪異に対して無力だった。

 それなのに浚われることが無かったとしたら、理由は一つしかない。向こうにとって最初から、閃が標的ではなかったということ。あの疵は、はじめからおまじないを行った鈴一人だけを狙っていたということだ。


「最終的に学校関係者全員を殺す可能性がある怪異であるのは間違いなさそうだが、現状ではそのおまじないとやらをやった人間だけを喰い殺しているということだ。だからお前の妹だけが狙われて、お前は助かった。……これは、無差別に人を襲う怪異ではないことを意味している。被害が限定的かつ具体的、そしてなんらかの前提条件で動いている。……何かの準備段階で子鬼を量産している、可能性もあるな」


 ゆえに、と彼は結論を出した。


「まずお前が一番最初にするべきことは。……その七つのおまじないとやらを全て調べることだ。俺に助けて欲しいというのなら、お前もきっちり働け。この事務所は人手が足りてないからな」

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