<6・邪魔>
流石に平日の午前中に、事務所が開いてないなんてことはないだろう。意を決して横の階段を登り二階の事務所の前に立つ。
新倉心霊相談所、と確かにプレートがかかっている。事前にネットで調べてみたが、ウェブサイトなどは特にないようだった。お陰で評判なども殆ど調べられていない。まあ、こちらは文字通り藁にも縋る思いというやつである。ここが駄目だったら、もっとちゃんとした神社や寺を頼るだけのことだ。ノックをしようとした、まさにその時だ。
「ふざけんじゃないわよ、この若造!」
中から聞こえてきたのは、女性の怒声。そこそこ防音になっているのか、相手の方の声はちっとも聞こえてこない。しかし、女性はよほどの声量で怒鳴り散らしているのか、その話はドアの前に立っていてもはっきりと聞こえてしまった。
「あたしは本当に困ってるの!……ってことは、……てことに違いないでしょ。なんで現場を見もしないでそんなことが言えるのよ!!」
「――……」
「はぁ!?」
「――、――」
「いい加減なこと言わないでくれる!?どういう根拠があるのよ。これでもね、あたしのお祖父ちゃんは神社の神主だったわけ。家は継がなかったけどあたしにもそういう血が流れてて、霊感ってのはばっちり受け継いでるわけ!あの悪寒は間違いなくそういうことよ、でなければあんなこと起きるはずもないもの!そうに決まってる!それを、よりにもよって……の仕業だなんて、馬鹿にするにもほどがあるわ!!」
「……――」
「あんたみたいな詐欺師に頼ったのが間違いだった!もういい、帰るわっ!」
あ、ちょっとこれまずいやつ。慌てて閃は一歩後ろに退く。次の瞬間、ばばーん!と勢いよく曇ガラスのドアが開かれた。出てきたのはもじゃもじゃ頭の、派手な紫の服を着た中年女性である。彼女は呆然と佇む閃を、化粧の濃い顔で睨んで一言。
「邪魔!」
と吐き捨てて、階段を駆け下りていった。あんなハイヒールでよく走れるもんだ、と感心せざるを得ない。
――ていうか。俺、ここに立ってただけなのに邪魔って……。
地味に酷くね?と心の中で突っ込む。まあ、あんだけブチギレているおばさん(という名の最強生物)にツッコミを入れるほど命知らずではないわけだが。
「おい」
ぽかんとしつつ、おばさんが消えていった階段を見つめていた閃は。開いたままのドアの向こうから声をかけられ、思わず“はいっ!?”と返事をしてしまっていた。
「そこのデカい男子高校生。用があるんだろうが、さっさと入れ」
「え、えええ……」
デカいのも用事があるのも事実だけれど、何もそんな横柄に呼んでくれなくても。ややドン引きしつつ、閃は事務所の中へと入った。某小学生名探偵のアニメに出てきそうな、いわゆる探偵事務所といった雰囲気のオフィスである。左手の窓際に事務机があり、手前に接客用と思しきガラステーブルと黒い革張りソファーがある。奥にもう二つばかりドアがあるようだが、あちらにトイレとか仮眠室とかがあったりするのだろうか。
そしてその、事務机のところには二人の大人がいた。
一人は机の前に、ファイルを抱えて立っている長い茶髪の女性。やや苦笑い、と言った様子の彼女はグレーのスーツを着ている。
そしてもう一人。多分こっちが、先程の中年女性が口論していた相手だろう。屋内だと言うのに黒いコートのようなものを着込んだ、二十代と思しき男性だ。やや襟足の長い黒髪に、フレームの細い眼鏡をかけている。顔立ちは整っているが、いかんせん目つきが悪くてすべてをぶち壊しにしている印象だった。
「あ、あの……」
妹を助けるための相談に来た、のは確かだが。なんだか立ち聞きをしたみたいになってしまった手前、非常に切り出し辛い。どうしたものか、と閃が頭を悩ませていると。
「……新倉先輩」
はぁぁ、と深いため息をついて、秘書っぽい女性が口を開いた。
「やっぱりドン引きされてるじゃないですか、もー。……なんでこう、いつもいつも穏便に対処ができないんですかね?あんな喧嘩売るみたいな言い方したら、そりゃお客さんも怒ると思うんですけど?」
「あんな霊能力者も幽霊もナメ腐った女の相手なんかしてられるか。本命の客が来るって日に限ってネチネチ長々とよくわからない話を聞かせやがって。こっちは暇じゃないってのに。ああ、堂島。さっきの女のメアドはきちんとブロックしておけよ。電話も」
「そういうことすると、また直接乗り込んで来るかもしれませんよ?あーもう……」
堂島、と呼ばれた茶髪の女性はそこでようやく閃を見て、座っていいですよ!ソファーに呼んでくれた。
「いらっしゃいお客さん。今、お茶出しますから。ごめんなさいね、無愛想な人で。あ、私は秘書っていうか事務員の
「聞こえてるぞ堂島」
「聞こえるように言いましたー」
秘書として勤務しているわりに、この堂島美園という女性はあまり霊能者先生?である新倉焔氏を尊敬してなさそうである。どういう関係なんだこの二人、とついつい勘ぐってしまう。新倉先輩、なんて呼んでいたし恋人同士ではなさそうだが。
「あ、あの」
美園がキッチンに立ったところで(窓と反対側にキッチンが備え付けられているのだ)、ちらりと事務机の方を見て閃は訪ねた。焔は一応相談に乗ってくれるつもりはあるらしく、机の上に広げられていた資料を片付けている。
「さ、さっきの女性の方、ものすごく怒ってたみたいですけど、大丈夫なんですかね?あの人も、相談に来てたんじゃ……」
暗に、声がでかくて全部聞こえてたんですけど、と伝えると。ああ、と眉間に皺を作って焔は答えた。
「お前が気にするようなことじゃない。よくあるんだ、ああいう迷惑な客は。不思議な出来事や都合の悪い出来事が起きると、全部幽霊や悪魔のせいだと思い込んでお祓いを頼みに来るような奴が」
「ってことは、あの人はそういう案件じゃなかったんですか?」
「メールの時点で違うのがわかってたから断ったってのに、事務所まで押しかけてきて除霊しろと言ってきた。迷惑な話だ。あの女自身も霊感なんてこれっぽっちもないってのに、自分は霊能者だと信じて“おかしなことが起きるのは全部霊の仕業に決まってるからなんとかして!”と来たもんだ。ああいう自称・霊能者ほど面倒くさいものはないってのに」
「は、はぁ」
プライバシーもへったくれもない。そこまで人に話してしまっていいのか?と疑問に思ったところで、閃はある言葉に引っかかった。
今彼は、メールの時点で違うのが分かっていた、と言っていなかったか?
「……貴方は、相手のメールだけで、それがオカルトな案件かそうでないかわかるって言うんですか?」
閃が尋ねると、大体はな、と焔は頷いた。
「本気でヤバイものが憑いてるような奴は、そいつが送ってくるメールにも“歪み”が出る。そうでなくても、何か障りのあるものに関わってる奴は大体気配が違うからな。……あの女は、最近頻繁に物が盗まれる上、まるで自分を呪おうとでもするかのように玄関先に“供物”が置かれるようになったからなんとかしてくれと言ってきた。悪霊か、あるいは呪術師の仕業に違いないから正体を突き止めて祓ってくれってな」
彼は黒いファイルと筆記用具を持って、閃の座るソファーの向かい側に腰掛けた。そのすぐ後に美園がやってきて、二人分の緑茶をガラステーブルに置いてくれる。ほんのりとお茶のいい香りが漂った。
「冗談じゃない。俺の仕事は人外の悪いモノを狩ることであって、猫退治じゃないんだ」
「ね、猫?」
「あの女、家で野良猫に餌やってて懐かれてたんだよ。で、半飼い猫になってるキジトラ猫が、あの女のサンダルやら庭石やらを持ち出してせっせと庭の隅に埋めてるんだ。でもって、猫の愛情表現として、自分で飼ったネズミとかトカゲとかスズメとかを玄関先に貢いでたんだよ。奴ら人間のことは、獲物を狩るのが下手なデカい猫だと思ってるらしいからな」
やれやれ、と彼は肩を竦める。
「だから、とにかく庭の……物干し竿の下あたりを掘ってなくしたものが出てこないか確認しろと言ったら、キレやがった。現場を見に行ってもいないのに可愛いトラちゃんのせいにしないで!だとよ。いや、話聞けばそれくらいわかるっつうに……」
話を聞けば。
閃はあっけに取られた。確かに、あの女性は自分が“呪われている”状況に関して事細かに説明したことだろう。供物、の内容やなくなったモノに関してくらいは説明したに違いない。しかし、猫が関わっていると思ってないなら、世話をしている“トラちゃん”とやらの詳細について事前に語ることはまずしないはずである。ゆえに。
多少彼女の話から推理ができたとしても――その“盗まれたもの”が埋められている正確な場所や、猫の模様まで言い当てることがそうそうできるものだろうか。ましてや、彼は今はっきりと“現場を直接見に行っていない”と言ったのだ。
「……あ、あの」
騙されている、のかもしれない。さっきの女性がなんらかのサクラで、自分はその演技に乗せられただけかもしれないと。でも。
「俺……俺、本気で困ってて。妹がなんか、やばいやつに攫われて、帰ってこなくて、だから、助けてほしくて……その」
しどろもどろになって語る閃。まだ何もわからない段階。それでもひょっとしたら、という予感があったのは事実だ。
この人ならひょっとしたら、あのわけのわからないキズニ様とやらから鈴を救ってくれるかもしれないと。
「俺のところに最初に来たのは正解だったな、ガキ。……下手に神社や寺に頼ってたらかえって被害を増やしていたかもしれない。奴等にとって、やや専門外のジャンルだろうからな」
彼はファイルを開くと、相変わらず偉そうな態度で閃に告げた。
「相手が“鬼”なら、“鬼殺し”の仕事だ。……古市閃、お前の知ってることを全て話せ。双子の妹を助けたいなら」
彼は、閃が名乗るよりも先に名前を状況を言い当ててきたのである。
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