<4・呪文>

 果たして本人は、そのキズニ様とやらをどこまで信じているのやら。少なくともそれそのものが悪霊のような恐ろしいものだと考えていたなら、いくら成績アップのおまじないと言えど試そうとは考えないのだろうけれど。


「道具要らないって、実際何すんだよ。ていうか、七つあるんだっけ?全部やり方は同じじゃないんだな」


 既に正面玄関は閉まっていたので、職員用玄関から中に突入した(どうにも、七時には全ての出入り口を確実に閉める、というルールでもあるらしい。生徒がまだ部活で残っていても関係ないようだ)。バスケ部以外にも、サッカー部や野球部は居残っているようだし、今ならまだ校舎をうろついていても咎められる心配はないだろう。いざとなったら必殺・忘れ物をしたので取りに来ました!を発動すればいいだけのことだ。


「同じじゃないよ。でも、夜にやらなくちゃいけなかったものが多かったんじゃないかなあ。八辻高校やつじこうこう七不思議……っていうか、怪談じゃなくておまじないだけどさ」


 閃の問いに鈴はそう答えた。二人とも用意していた上履きに履き替えて、代わりに靴をビニール袋に突っ込んで校舎に上がる。職員用入口は西棟の東端にあるので、西端の階段前までは少しだけ歩くことになる。廊下の明かりは西棟の場合、一階と二階だけついているようだった。外から見たら三階と四階は真っ暗だったので、そこでおまじないをするとなったらもっと怖かったことだろう。というか、自分が同行したところで、怖がりな鈴なら実行を渋ったかもしれない。

 八つの辻と書いて、県立八辻高校。それが自分達の通う学校の名前だ。ちなみに八辻というのはこの近辺の地名である。どういう意味なのかは知らない。八つに別れた道なんてないように見えるが、このあたりも戦時中には空襲で思いっきり焼けていたはずだ。元の道ではそうあったのかもしれなかった。

 歩きながら鈴が解説してくれたところによると。八辻高校の七不思議ならぬ七つのおまじないは、全て共通してキズニ様を呼びだして加護を受け取るという類のものであるらしい。キズニ様については、この学校を作る時に助けてくれた守り神らしい、ということしかみんな知らないらしかった。この学校ができた時からおまじないはあって、時々そのおまじないを実行することでみんながキズニ様に信仰心を示し、対価としてちょっとしたお願いを叶えて貰ってきたらしいことも。


 おまじないその一。

 好きな人と結ばれるおまじない。制約は、“誰にもおまじないについて教えないこと”と“夜七時以降に実行する”こと。必要な道具は鋏。七時以降に、西棟三階の家庭科室の前の廊下に立って、目をつむって呪文を唱える。


 おまじないその二。

 金運アップのおまじない。制約は、“午前零時から朝の七時までの間に実行する”こと。必要な道具は針。それを持って、東棟一階の理科準備室の前に立って呪文を唱える。


 おまじないその三。

 なくした物が見つかるおまじない。制約は、“おまじないをするところを誰にも見られない”こと。必要な道具は安全ピン。東棟裏の旧花壇に安全ピンを埋めて、呪文を唱える。


 おまじないその四。

 成績アップのおまじない。制約は、“午後七時以降に実行する”ことと、“火曜日か金曜日に実行する”こと。必要な道具は特にないが、できれば金属製の何かがあると効果がアップする。西棟一階、西端の階段。呪文を唱えながら二階まで上がる、一階まで降りる、再び二階まで上がるという行為をする。


「とまあ、あたしが知ってるのこの四つだけで、あとの三つは知らないんだけどね。七不思議的なもので考えるなら、七つ目は誰も知りませんってオチかもしれないけどー」

「金属製のものが必要なおまじないが多い印象だな。キズニ様っていうのは、金属と何か関係性のある神様なのか?」

「知らないー。そもそもキズニ様って名前が間違ってるんじゃないかってみんな言ってるし」


 ひらひらと手を振る鈴。


「元々は“絆様”だったのが訛ってキズニ様になったんじゃないかって。絆様、って素敵な名前だよね。みんなで仲良くなれますようにーってかんじで」


 なんともまあ楽天的な解釈ですこと。確かに、キズニ様という名前は違和感があるのも事実だけれど、と閃はため息をつく。

 成績アップのおまじないに、特に道具は必要ないらしい。が、金属製の何かがあると効果がアップするなんて言われたら、普通の生徒は何かしら用意するものである。本人は筆箱に入れていたボールペンを手に持っていた。まあ、これにも金属は使われているのだろうが――普通こういう場合ってカッターとか鋏を用意しそうなものなのだが、いいのだろうか。


――まあ、成功しなかったら成功しなかったで、俺はどうでもいいし。ていうか、それならそれでこいつが真面目に勉強すればいいだけのことだし。


 むしろ、何も起こらないことを期待していた。押しに押されてついてきてしまったが、正直自分が一緒にいるとろくなことにならない確率が高すぎるのである。確かに、怪異に遭遇したい人にとって、自分は良物件なのかもしれないが。その安全性は全く確保されないにしても。


「電気ついてて良かったー。三階や四階は真っ暗だったもんね」


 鈴は妙にハイテンションだ。じゃあ兄貴!とくるりと振り返る。


「二階で待ってて!」

「何でだよ?」

「登って、降りて、また登って、で終わりだもん。二階がゴールだから、上から妹の雄姿を見てて欲しいのだよ!お兄様が見守ってくれていればあたしはとても安心できるのだ~」

「……雄姿とは?」


 言葉の使い方間違ってるんじゃなかろうか、と思ったがツッコむのはやめておいた。現代文の成績が残念すぎる(それでも1を取る危険性が非常に高い物理よりはマシであるようだが)彼女にその手のツッコミをしていたらキリがないのだ。さっさと終わらせて帰ろう、その一心で一人先に二階へと階段を上がる。

 職員室が西棟二階にあるというだけあって、二階までは電気がついていた。が。三階に生徒が上がることはもはや想定されていないのか、上へ続く怪談はまっくらな闇に閉ざされている。これで今日が新月ならもっと暗かったことだろう。十一月、空が暗くなるには充分な時間だ。


――あ、三日月だ。……下から光ってるのは上弦、でいいんだよ、な?


 振り向いた先には、校庭に面した窓がある。ぼんやりとそちらを眺めて、鈴が階段を上がってくるのを待った。三日月の斜め下には少し明るい星がある。金星あたりだったりするのだろうか。今夜は雲も少なく、比較的星も綺麗に見えるようだった。田舎育ちの友人に言わせれば、都会のこんな星で満足してるなんてもったいない!今度地元の山に連れていってやるから覚悟しとけよ!とのことだけれど。


「やるからねー、兄貴ー!見ててよねー!」

「あーはいはい」


 階段の下から律儀な宣言が聞こえてきたので、再び階下の方に向き直った。足音と共に、鈴が呪文を唱える声が聞こえてくる。


「キズニさま。キズニさま。ここで捧げます。ここで捧げます。私の名前は古市鈴です。私の学業にご加護をください。キズニさま。キズニさま。ここで捧げます。ここで捧げます。私の名前は古市鈴です。私の学業にご加護をください……」


 とんとん、とリズミカルにその足が階段を上ってくる。そのたびに小さく彼女のポニーテールが跳ねて、文字通りしっぽのようだった。どうやら呪文は、階段を上り下りしている間ずっと唱え続けなければいけないらしい。すぐに踊り場を通り過ぎて二階まで上がってきて、そのままくるりとUターン。再び一階へ帰っていく少女。


「キズニさま。キズニさま。ここで捧げます。ここで捧げます。私の名前は古市鈴です。私の学業にご加護をください……」


 歩くたびにボールペンを元気に振ってるのがなんともシュールである。しかも、女の子向けのファンシーなネコのキャラクターのついたボールペンだ。高校生が持つにしては少々子供っぽい気がしないでもないが、彼女は幼稚園の頃からずっと同じサネリオのキャラクターを大事にしているのだった。猫のミミーちゃん。確かに、可愛いと言えば可愛いとは思う。


――しかし、上り下りの数が少ないからいいものの。何度も繰り返すようなやつだったら、みんな途中で疲れちまうだろうなあ。


 それに、呪文を唱えながら数を数えるというのは想像以上に難しい行為である。何回上がったか、忘れる人が続出しそうだ。今回は一度上がって降りて、もう一度上がれば終わりだから間違えにくいだろうが。


――つか、どういう意味がある行為なんだ、これ。呪文唱えるっていうのは儀式っぽいけど、階段を上り下りさせるって。


「キズニさま。キズニさま。ここで捧げます。ここで捧げます。私の名前は古市鈴です。私の学業にご加護をください。キズニさま。キズニさま。ここで捧げます。ここで捧げます。私の名前は古市鈴です。私の学業にご加護をください。キズニさま。キズニさま。ここで捧げます。ここで捧げます。私の名前は古市鈴です。私の学業にご加護をください。キズニさま。キズニさま。ここで捧げます。ここで捧げます。私の名前は古市鈴です。私の学業にご加護をください……」


 同じ呪文が、わんわんと廊下に響く。なんだか頭がくらくらしてきたような気がする――自分はただ、鈴の声を聴いているだけだというのに。普段の彼女らしからぬ淡々とした声に妙な違和感を感じる。何か、じわじわと見えない気配が足元から這い上がってくるかのような。


――何だろう。何か……すごく、まずいことをしてるような気が。


 鈴が、再び階段を上がってくる。このもやもやとした感覚を言葉にできないまま、陸上部の長距離ランナーはさほど息を切らした様子もなく――おまじないを完遂させた。

 たん、と最後の一段を上がりきる。よーし!と彼女は嬉しそうにガッツポーズをした。


「あとは、キズニ様が来てくれるのを待つだけ!なんかね、ここで待ってると一階からキズニ様が上がってくるんだってさー」

「姿を現すってことか?」

「ていうか、それっぽいおしるしがあるっていうか?なんか足音がしたり、影っぽいのがちらっと見えるって噂なんだけ、ど」


 そこまで言ったところで、鈴の言葉は中途半端に途絶えた。

 どうした、と言いかけて閃も固まる。この場にそぐわない妙な音が、聴覚を引っ掻いたからだ。


「何か、今聞こえなかった?」


 鈴が声を潜めて言う。


「変な、引っ掻くみたいな気持ち悪い音が」


 まるで、彼女がそう告げるのを待っていたかのよう。その音は、閃と鈴の元に届いたのである。


 ききき、きききき、きき、ききききき。


 何かを引っ掻け、疵を作るような――奇怪な音が。

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