<3・憂鬱>

 七不思議だとか怪談だとか都市伝説だとか。どうにも、そういうものをものすごく好む層というのは少なくないらしい。退屈な現実を忘れたいからだろうか。平穏無事に過ぎていくばかりの日々に、少しの刺激を求めてしまうのだろうか。閃にはどうしても理解することができなかった。確かに勉強やら人間関係やらで悩むのは学生も社会人も同じだろうけれど。それでも普通に美味しいご飯食べて、学校行って、授業受けて部活やって――そんな日々に勝るものは何もないと思うのだが。

 それこそ、異世界やら魔法やらモンスターやらに憧れる人であっても。いきなり空が割れてドラゴンが降ってきて、町に光線をぶっ放し始めたりしたら、こんなの望んでないと泣き叫ぶのではなかろうか。

 本当に非現実な出来事が起きるとしたら、それは大抵望んだ方向ではないものだと閃は考えている。それこそ異世界転生したのにチート能力も何も無くて無惨にモンスターに襲われて旅立つ前にジ・エンドだとか。空が割れて怪物が降ってきて、パニック映画さながらに群衆の中を逃げ惑いながら傷つけあった挙句無惨に蹂躙されるとか。

 現実が思い通りにならないのが普通なら、非現実だってきっと同じだ。

 何故、ファンタジーになった途端、己の都合の良いように何もかも運ぶだなんて妄想ができるのだろう。ホラーも同じ。おまじないやら都市伝説やらを試して、都合よく“自分に危害が及ばない形で、安全圏から怪異を眺めて楽しめる”とか、“努力も苦労もせず、願っただけで望みが叶う”と思うのは流石にどうかと言わざるをえない。

 神社で神頼みをするだけでは、祈りが届くことがないのと同じだ。

 願いが叶うとしたらそれは、相応の努力をした対価としてである。それが当たり前のことではないのか。――なんて、そんな話を以前鈴にしたら、“兄貴ってマジで夢がないね”と嘆かれてしまったけれど。


――うるせえよ。俺はお前みたいにロマンチストじゃないんだっつの。


 昔から、顔はそっくりなのに性格はちっとも似ていない。運動やスポーツが大好き、どっちかというとアウトドア派というのは同じだがそれだけだ。オカルトやファンタジーに対する考え方もまるで違う。ファンタジーな映画を見ても、いちいちキャラクターの善悪論やら倫理観が気になってしまう自分に対して、額面通りに“お姫様と勇者が結ばれて良かったね”と感動の涙を流せるのが鈴である。

 きっと彼女の方が世の中は生きやすいんだろうな、と思う。変な方向で偏屈でリアリスト。自分でもそれはわかっている。今生きている世界に満足しているというより、保守的でひたすら安定を求めているから冒険しないのが自分だ。彼女の話を聴くのは少しだけ呆れて、同じだけ楽しいこともあって、それ以上に眩しい。自分はつまらない人間なんだろうな、ということをいちいち再確認させられてしまうがゆえに。


――はあ……嫌だっつってんのに。


 結局、彼女に強引に“明日一緒におまじないをする”約束を取り付けられてしまった。部活が終わったら体育館に迎えに行くからね!とのこと。自分の陸上部の練習の方が先に終わるであろうことをよーくわかっているようだ。実際、うちのバスケ部は全国区である。インターハイで良い成績を残したからこそ、ウィンターカップでの出場権を得ているわけなのだから。個人でも県大会止まりの女子陸上部と比べて練習がハードなのは致し方ないことだろう。

 向こうに出待ちされてしまっては、無視して帰ることも難しい。そして鈴は、押しに押せば自分のお願いを兄が断れないことをよく分かっているのである。――ついでに、己がうちのバスケ部メンバーに結構人気があるということも。お前の可愛い妹ちゃん、マネージャーに呼んでくんない?なんて部活仲間から言われたことも一度や二度ではない。あれは半分本気だろうなというのも分かっている。現在バスケ部には、鬼のように怖い先輩女子マネしかいないから、癒しが欲しいと考えるのもわからない話ではなかった。


――あれ、そんな可愛いタマじゃないんだけどな、マジで。


 友達が付き合いたいと言ったら、全力で“アレはやめとけ、悪いこと言わないから”と止めたくなるようなタイプ。とにかく振り回されて、良い具合に財布が空っぽになるまで奢らされるのが目に見えている。ワガママだし要領はいいし、時にはあえて空気を無視する女だ。自分が赤の他人だったら騙されていたかもしれない、と思うくらいには。


「はーあ」


 彼女と別れて部活動に行き、いつも通りミニゲーム中心の練習を終わらせた後。頭痛を覚えながら、閃は帰路についていた。

 なんかもう、心身ともに疲労が溜まっているような気がする。ついでに運も枯渇しているような。駅まで一番近道のルートを通ろうとしたら、よりにもよって“水道管工事中、迂回お願いします”の看板が立っていると来た。こんな時間にこんなタイミングで工事なんかやるなよ、と八つ当たりじみたことを思う。仕方なく、その手前で左に折れた。一本横の、ビルの裏手を通る道だ。暗いので、あまり好きではない。以前、手首のようなものが隅っこで這っているのを見てしまったことがあるから尚更に。こっちに向かってきそうな気配だったので、気づいた直後に全力で逃げたが。


――なんか嫌な空気なんだよな、この道。悪いものの通り道にでもなってそう、というか。……ていうかあの手首オバケもそういうもののひとつだったんじゃねえの。


 アレをまた見てしまったらどうしよう。そんなことを思いつつ、それとなく周囲を観察して歩いていた閃は、表通りに出る手前のビルの横に紫色の看板を見て目を見開くこととなった。

 新倉心霊相談所。

 普通に読むなら、“にいくらしんれいそうだんじょ”だろう。新倉さん、という人がやっている事務所ということだろうか。――というか。


――うっげ。本当にあるのか、心霊事務所っつうか、霊能者の相談所みたいなの。


 自分が時折見かけたものが、本当に幽霊の類だったかはわからない。だから、オカルトそのものを完全に信じているわけでもなければ、疑っているわけでもないのが閃だ。そもそも超能力にしろ幽霊にしろ、ああいったものはあくまで“科学で明確に解明されていないから”疑われているだけであって、解明されたら一般常識と同じものに変わるのだろうということもわかっている。きちんと証明されていないもの、イコール存在しないものと決めつけるほど頭が硬いつもりもないのだ。

 しかしそれとは別として。霊能者、という存在を信じるかどうかはまったくの別問題なのである。

 映画やマンガにはよく、悪霊を必殺技でばったばったとなぎ倒す最強霊能者!なんてものが登場するが。あんな風に目に見える形で火を噴くお札やら結界やらが張れる人間がいるなら、世の中の怪奇現象の大半はイージーモードで解決できると思うのだ。というか、未だに幽霊はいるいない、で答えのない議論が展開されていることもないだろう。その決着が着いていない時点で、世の中の自称霊能者の大半がまともに機能していないのはお察しなのである。


――どうせ、悩んでる人に誰彼問わず“それは幽霊の仕業デスネ、お祓いしてあげマショー”とか言って、高い金取る詐欺師だろ。


 我ながら酷い偏見だとは思うが、目の前で本物の霊能者を見たこともない以上そう考えてしまうのも仕方ないことではなかろうか。


――本当にそういうのがいるなら。……そのへんにいる悪霊全部やっつけて、日本中をさっさと綺麗にしてくれって話だよ。俺だって、好きなように怪談したり、気兼ねなく観光地巡りしたりしたいんだっつの。


 紫色の看板の向こう、窓には灰色のカーテンが引かれたままになっている。まだ夜の八時にもなっていないのに、明かりもついてなさそうだ。果たしてまともに営業している場所なのやら。


――くだんね。


 その時抱いた感想は、それだけだった。

 まさかもう一度、この事務所の存在を思い出すことになろうとは――その時は全く考えもしなかったのである。




 ***




 そして、翌日の放課後。


「あ、に、きいいいい!可愛い妹ちゃんが迎えに来たぞ、オラ歓迎しろおおお!」


 今日の練習はここまで、ありがとうございました!と挨拶したタイミングで響いた、やっかましい声。ばばーん、と体育館の扉を開けてのたまった鈴は、今日も今日とて無駄に明るくて元気がいい。筋肉質な体と一緒に、ぴょこぴょことポニーテールが跳ねている。お子様か!と何度目になるかもわからないツッコミを入れる閃。


「誰が可愛い妹だ、誰が!つか、まだ着替えてねーんだから大人しく体育館の外で待ってろよバカ!」

「やだ、体育館の外暗い!ぼっちむり!」

「もう少しそういうことは恥ずかしがって言えよお前……!」


 ちらり、と後ろを振り返れば、バスケットボールをカゴに突っ込んでいた友人の米倉累矢よねくらるいやが頬を赤く染めている。激しい練習で疲れているから、ではないだろう。


「相変わらず、お前のとこの妹ちゃんは可愛いな。日焼け美人、イイゾ……」

「何度も同じこと言わせんな、あいつだけはやめとけ。人生棒に振りたいなら止めねえけど」

「そのレベル!?」

「そのレベルですよっと」


 その後頭部にチョップを入れつつ、鈴の方へと向かう。顔とスタイルだけはいいのだ、あのバカ妹は。先輩達の中にも見た目に騙されている者がいるようだし、もう一発釘を刺しておかねばなるまい。


「鈴お前、そこで大人しく待ってろよ。うちのバスケ部のみんなや先輩達にナンパされても全部断れよ」

「やだ、心配してくれてんの?」

「相手のな!」


 ウィンターカップまでもう二か月を切っているのだ。一年生ながらにレギュラーとして選ばれたからには、自分も全力を尽くす義務がある。同時に、先輩達や同級生たちの余計な負担になるようなことは極力避けるべきだった。――うっかりこのタイミングで恋人作って本番直前に失恋、なんてまったく笑えもしないのである。

 この自由奔放な妹は、恋愛に関しても手癖が悪いことをよーく知っているのだ。具体的に言うと、非常に惚れっぽくて飽きっぽい。こいつに目を付けられて惚れ込んだ挙句、ぽいっとされて泣き寝入りしている男が果たして何人いることか。


「ちえー。そういう時は嘘でも“鈴ちゃんが心配だから”って言ってくれればいいのにー。空気読めこのやろー」


 ぶう、と頬を膨らませる“自称・可愛い妹”。


「とにかく、約束忘れないでよね。時間もいいかんじだし、このあと西棟の階段下、だからね!」

「本当にやんのかよ」

「当たり前じゃん!あたしの留年がかかってるんだから!」


 頼むよ兄貴!と大袈裟に両手を合わせて鈴は告げた。


「大した道具はいらないし、すぐ終わるから!兄貴の謎パワーで、キズニ様をさくっと降臨させちゃってよね!」

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