【由実END】

【由実END】


紫「…ええ。わかったわ。」

慶一郎「スタッフにも声をかけておいたから、安心して行っておいで。」

紫「そこまでさせて、ごめんなさい。」

慶一郎「いや、いいんだ。」


紫N「彼にしては珍しく、私の手を掴んで半ば無理やりにチケットを持たせた。確かに最後の展示会最終日。見に行きたくないと言えば嘘になる。でも最後を見てしまったら本当に終わってしまうような気がして。」


紫N「何事もなかったかのように料理を再開する彼にそっと背を向けた。」


_________


由実N「風呂上がり、晩酌をしながらどうでもいいテレビドラマを見る。ソファーにもたれ、ふと目をやるとローテーブルの上に居座る冊子。真っ二つに比較されたひまわり。あれから、私は紫に会えないままでいる。」


由実N「どうしたら。どうしたら、彼女は幸せだと言ってくれるんだろうか。」


由実「私が、」


着信音


由実「ゆ、かり?」


由実N「夜に紫から連絡してくることなんて今まで一度もなかった。」


由実「もしもし。」

紫「由実?ごめんね、夜遅くに。」

由実「…別に、そんなに遅くないし。」

紫「あ、そうね。」

由実「…体は、もう大丈夫なの?」

紫「ごめんね。あの日も、迷惑だったでしょう。」

由実「迷惑とかじゃ、全然ないから。」

紫「…うん。」

由実「…それで、何?」

紫「…明日、仕事?」

由実「そうだけど。」

紫「そう、だよね。」

由実「何?」

紫「明日、巌水展最終日なの。」

由実「…うん。」

紫「一緒に行かないかなと思って。」

由実「…私と?」

紫「うん。仕事終わりでもいいから。」

由実「…明日、休む。」

紫「え?」

由実「朝から行く。会社休むから。」

紫「夕方でもいいよ?」

由実「ううん。朝から、行こう。」


由実N「この特別な日に、私を選んでくれた。この事実だけで、私は幸せだと言えるのに。」


______


紫「由実、お待たせ。」

由実「ううん。全然待ってない。」

紫「あれ、由実傘は?」

由実「持ってきてない。さっき降り出したんだよ。来る時降ってなかったんだもん。」

紫「…帰りは私のに入っていく?」

由実「うん。入れて。」

紫「…うん。」


由実N「巌水展最終日。入り口からすでに甘く腐ったような匂いがした。濃い花の香りに酔ったような感覚。」


紫「…。これ、クロッカス」

由実「え、これ?」

紫「うん。」

由実「…全然わかんない。」

紫「摘まれた花は、枯れて腐って捨てられるの。」

由実「…」

紫「いいなあ。こんなになっても誰かに見てもらえて。」


由実N「紫が見惚れるあの何だったのかわからないような花。それに嫉妬している私が許せなかった。」


紫「…由実?」

由実「手、繋いでおこう。もうすぐ、特別展示室の近くだから。」

紫「ありがとう。」


由実N「そんなのただの建前だ。私は、花咲よりも、ずっとずっと貪欲でずっと自分勝手で浅はかだ。だけど、小さく震える彼女の手を握り返すことはできる。ここから連れ出してやることもできる。私は。私が。」


由実「幸せにする。」


____________


透「紫さん、こんにちは。」

紫「お待たせ。」

透「いえ、これ読んでました。」

紫「恍惚?」

透「はい。紫さんの部屋にあったの思い出して。」

紫「この間はお見舞いありがとう。」

透「いえ。少し顔色も良くなりましたね。」

紫「見に、行ったの。最終日。」

透「チケット手に入ったんですか?」

紫「あの人が、買っておいてくれたみたい。」

透「相当プレミアついてたみたいですよ。」

紫「あんな事件の後だから、余計ね。」

透「…でも、よかったです。なんか、スッキリした顔してるから。」

紫「早瀬くんは行けた?」

透「何日も展示会通ったんですけど完売で行けませんでした。」

紫「最終日もキャンセル待ちの人並んでたもの。仕方ないわ。」

透「どうでした?今度はちゃんと聞けそうだから。」

紫「…そうね。」


紫「あの展示会は巌水先生の人生を表現したものかもしれないって言ったけど、違うかも。あれはきっと愛の墓標よ。愛情の行き着く先。先生は誰かを愛して、愛して、愛した結果を表現したんだと思う。」

透「愛の、墓標。」

紫「出逢いはキラキラしてあたたかかったけれど、最終日は1番酷く見えた。」

透「ギャップですね。」

紫「でも、部屋を追うごとに少しずつ鮮やかになっていくの。きっと枯れるまでに時間がかかる花が多くなっていたんだわ。」

透「初日と、最終日。そりゃあ別物でしょうけど、そこまで計算されてたなんて。凄い人ですね。」

紫「そうね。…あ。でも、最後の部屋。いつもは花が足されたり場所が変えられたりする事はないんだけどね。最後のフロアだけ、初日にはなかったものが置いてあったわ。」

透「そうなんですか?」

紫「小さな可愛い花でね、それだけは生花じゃなくてプリザードフラワーだった。」

透「何の花か、分かりました?」


紫「ブバルディア、っていうの。」


______


由実N「ネットで注文した刃渡14センチのサバイバルナイフ。銀色のそれは私の手の中でジリジリと光る。」


由実N「ごくり、と喉が鳴る。緑のボタンをタップするまで震える指を何度も摩った。」


紫「もしもし?由実?」

由実「もしもし。」

紫「どうしたの?朝早くに。」

由実「今日休みでさー。さっき宅配便来て起こされちゃった。」

紫「それは災難だったね。宅配ボックスとかないの?」

由実「うちにはないよ。」

紫「そうだっけ?便利みたいだよ?インターホン鳴らされなくて済むの。」

由実「そうなんだ。」

紫「うん。」

由実「…」

紫「…あれ?何か用だったんだよね?」

由実「、巌水展の冊子。」

紫「あ!そうそう。預かっててくれたんでしょ?」

由実「この前展示会持って行けば良かったね。」

紫「あの日はじっくり展示会を見たかったし、いいの。また楽しみ増えちゃった。」

由実「今度は持っていくから。」

紫「うん。ありがとう。」

由実「…」

紫「…?どうしたの?由実」


由実N「震える声を、悟られるな。」


紫「由実?」

由実「ねえ。来週末、北海道行こうよ。」

紫「随分急ね」

由実「花咲も一緒に。」

紫「え?」

由実「私と紫が北海道行くなんて言ったら、何がなんでも来るだろうけど。」

紫「…何考えてるの?」

由実「言ったじゃん、前。」

紫「…」

由実「大丈夫。私に任せて」

紫「由実、」

由実「きっと、私なら紫の味方になれるよ。」

紫「ゆ、」

由実「ね。紫」


由実N「慌ただしく切ったスピーカーからは何度も着信音が鳴った。うるさい鼓動を抑えるために長く細い息を吐く。あの子の為に、あの子の為に。…違う。私の為だ。」


由実「好きなんだよ、紫。」


______


慶一郎「潮見さん。」

紫「由実!こっち!」

由実「ごめんね、飛行機乗り損ねちゃって。私だけ新幹線とか。」

紫「ううん。」

慶一郎「建物でたら結構気温低いから、上着着ていたほうがいい。」

紫「うん。ありがとう。」

由実「…」


紫「由実、上着。」

由実「ありがと。…ねえあの本。私ちゃんと読み返したよ」

紫「活字嫌いなのに。」

由実「ね、紫。」


由実「私、本気だよ。」


慶一郎N「彼女の瞳は燦爛と、静かに燃えていた。」


………………


由実「…。恍惚。何考えながら読んだと思う?」

紫「なに?」

由実「弱虫だって、情けないって思いながら読んだんだよ。」

紫「弱虫?」

由実「今世じゃ結ばれないから?諦めてんじゃないよ。今世で結ばれないと意味がないんだよ。」

紫「…」

由実「私は諦めない。」

紫「…そう。」

由実「花咲に会わないのは、殺してしまいそうだからだよ。」


紫N「私の作った砂の城は、あの日踏み躙られた。」


由実「好きだよ。」

紫「…言わないで。」

由実「好き。」

紫「やめて」

由実「大好き。」

紫「由実、」

由実「花咲が出張から帰ったら、2人で殺して北海道の青い海に沈めようか。」

紫「っ、」

由実「そう思ってるよ。ずっと。」

紫「やめて、」

由実「今いいなって思ったでしょ。」


紫N「彼女の放った言葉は、決して冗談なんかじゃない。ドクンと大きく跳ねた心臓は期待だったのか、恐怖だったのかわからない程彼女の焔に当てられた。」


………………


由実「紫ー。自分のバックくらい自分で持ちなさいよ。」

慶一郎「いや、気にしなくていい。」

紫「あ、ごめんなさい。荷物持つわ。」

慶一郎「…ああ。」

由実「湖近くに宿なんてよく見つけたわね。」

慶一郎「地方開発の一環でうちが担当しているんだ。まだ営業はしていないが、施設自体はもう使えるそうだから。」

紫「え?」

由実「あんたの会社の事業なの?」

慶一郎「ああ。キャンプが流行ると営業が嗅ぎつけてな。」

由実「それで、わざわざこんなとこに。」

慶一郎「…。」

由実「金持ちの思考意味わかんない。」


慶一郎「グランピング施設だからある程度は整っているはずだ。昨日スタッフが泊まれるよう準備してくれている。」

由実「…」

慶一郎「…今日は、俺たちしかいない。」

由実「そう。…だって、紫よかったね。」

紫「…ええ。」


_________


紫「…慶一郎さん。」

慶一郎「ん?」

紫「ライトアップ、わざわざここ選んだの?」

慶一郎「…湖は君にとって特別なんだろう。」

紫「本当にそのためだけに、ここにしたの?」

慶一郎「…ああ。どれだけライトを着けてもさすがに夜は青く見えないな。」

紫「…」

慶一郎「…」


慶一郎「紫。俺は、お前を守ってやりたかった。」

紫「…十分守られてるわ。」

慶一郎「いや。俺はお前を囲っていただけだ。後にも先にも進めないように。」

紫「そんなこと、」


慶一郎N「パキ、という後ろから聞こえる音。彼女をライトから隠すように左に寄る。」


由実N「わざと、紫の前に立ち直す花咲には、何もかもバレていた。」


紫「慶一郎さん、私」

慶一郎「紫。ここには誰も助けに来ない。だから安心して、」


由実N「駆け出した。勢いをつけて花咲の背を刺した。鍛えられた体に負けないよう、腕を目一杯引き真っ直ぐ差し込んだ。」


慶一郎N「安心して逃げるといい、そう言うつもりが途中で手を引かれぐらりと視界が揺れた。」


紫「ぅ、っー」


慶一郎「な、」

由実「ゆ、ゆか、」

慶一郎「紫っ!紫、」


由実N「私の腕を伝う赤。その先には、柔らかい彼女のお腹があった。」


紫「っあ、ー。ゆ、み、」

由実「ゆか、り。何して」

紫「由実、わ、わたし」

慶一郎「紫、止血、止血するから、喋るな!」

紫「わたし、あ、愛、して、るの。ずっ、と」

慶一郎「紫!」

由実「ゆ、かり、」

慶一郎「紫、喋るなと言ってる!」

紫「彼、かれ、を、ず、っと。」

慶一郎「っ、」


紫「由実。言えなくて、ご、めん、ね」

由実「紫、私、わた、し」

紫「来世、で、も、いい?」

由実「紫、」

紫「ね?、ゆみ、」


慶一郎「…ここ、抑えておいてくれ。」

由実「っ、でも、」

慶一郎「いいから。もっと、抑えるものを取ってくるから。」

由実「花さ、」

慶一郎「いいから!」


由実N「名残惜しそうに紫を託した花咲は、何かに耐えるようにコテージまで走って行った。」


紫「ゆみ、読み、な、おしたんで、しょ。」

由実「紫、」

紫「わす、れ、たの?」


由実「忘れてなんか、ないよ、」


由実N「視界が霞む、彼女を抱き上げる両手が血で滑りそうになる。右足、左足、交互に出すだけの筈が何度も縺れそうになる。刺すような冷たさは、いつしか熱に変わっていく」


由実「ごめん、ごめんね、紫」


由実N「腕の中の彼女はもう、応えてくれない」


由実「紫、」


由実「好きになって、ごめんね」


______


透「“私ははじめて彼女の顔が歪んだのを見た”」

透「“それはそれは、恍惚に”」


透「“私はズルいことをしました。それなのに私に下される罰は愛おしく、私に与えられる罪は仄かに鈴蘭の香りがしました。”」


透「“青い水面の下で、今度こそ。”」


透「“しあわせに、なろう。”」



紫N「彼の泣き声を、私は初めて聞いた。」


………


※読まなくても大丈夫です。


由実「ねえ、」

紫「なに?」

由実「あいして。」

紫「うん」

由実「2番目じゃなくて、今度は1番がいい」

紫「うん」


紫「ごめんね。」

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