【透END】

【透END】


紫「…やっぱり、行けないわ。また迷惑をかけてしまうかもしれないし。」

慶一郎「スタッフにも声をかけている。大丈夫だ。」

紫「でも、」

慶一郎「行きたくなるかもしれない。その時のために持っているといい。…俺はもう後悔したくないんだ。」


紫N「彼にしては珍しく、私の手を掴んで半ば無理やりにチケットを持たせた。確かに最後の展示会最終日。見に行きたくないと言えば嘘になる。でも最後を見てしまったら本当に終わってしまうような気がして。」


紫N「何事もなかったかのように料理を再開する彼にそっと背を向けた。」


_________


透N「巌水展最終日。結局僕は展示会のチケットを手に入れることができずこの日を迎えてしまった。心中事件のおかげで全くチケットが買えなかった。最終手段でこの日キャンセルでも出ないものかと朝から受付に立っていた。」


紫「早瀬、くん?」


透N「聞き覚えしかない透き通った声に振り返ると、彼女が首を傾げて立っていた。」


透「ゆ、紫さん?!」

紫「早瀬くん、どうしてここに…」

透「実は、チケット争奪戦に負け続けて結局見られていなくて…ダメもとでキャンセル待ちでもしようかと…」

紫「…そう。本当に人気なのね。」

透「事件のせい、って言うのもあるでしょうけど本当にこれが最後ですから。巌水展。」

紫「…私、2枚あるの。」

透「え…」

紫「よかったら、一緒に行ってくれない?迷惑かけちゃうかもしれないんだけど。」


透N「“迷惑”というのがなんのことだかすぐに理解できた。引き攣った笑顔がやけに痛々しくて。」


紫「一応、薬もちゃんと飲んできたし、もしもの時のためにすぐ飲めるものも持ってきたんだけど…」

透「僕でよければ。」

紫「いいの?」

透「はい。何かあった時は、その時くらい頼ってください。」

紫「…ありがとう。早瀬くん。」


透N「柔らかく笑う彼女。でもやっぱりどこか寂しそうだった。」


紫「はあ。じゃあ、行きましょうか。先生の最後、ちゃんと目に焼き付けなきゃ。」

透「はい。」




慶一郎「…。」


_________


透「もしもし、早瀬です。」

慶一郎「こんばんは。今、少し時間貰えるか?」

透「はい。大丈夫です。」

慶一郎「展示会。一緒に見に行ってくれたんだろう。」

透「ご存じ、だったんですね。」

慶一郎「ああ。紫から聞いたよ。発作も起きずに最後まで見られたのも君のおかげだろう。ありがとう。」

透「いえ、僕は何も。」

慶一郎「…相談が、あるんだ。」


慶一郎「来週末、予定はあるか?」

透「来週末、いえ。特に何もありません。」

慶一郎「よければで、構わないんだが、旅行に行かないか?」

透「旅行、ですか?」

慶一郎「君も読んだだろう。“恍惚”に出てくるあの、青い湖。」

透「…何しに行くんですか。」

慶一郎「…旅行だよ。ただの、旅行さ。」


透「…違い、ますよね。」

慶一郎「…。実は、彼女の友人も一緒に来るんだ。」

透「由実、さんですか?」

慶一郎「ああ。紫から聞いていたかな。」

透「お名前だけ聞いたことがあったので。その人かなって。」

慶一郎「そうだ。」


透「どうしてそこに、僕を誘うんですか?」

慶一郎「俺は、紫を守ることが彼女のためだと思って今まで一緒にいた。」

透「…はい」

慶一郎「でも、君には敵わない。俺は彼女に寄り添うことはできても彼女に共感することはできない。」

透「慶一郎さん、」

慶一郎「何かあったら、俺にもし何かあったら。彼女を守ってやってはくれないか。」

透「…僕は、」

慶一郎「一生の頼みだと思って。考えておいてくれ。」

透「慶一郎さ、」


_________


由実「うわー。やっぱ全然気温違うね。結構涼しい。」

紫「由実、上着。」

由実「ありがと。…ねえあの本。私ちゃんと読み返したよ」

紫「活字嫌いなのに。」

由実「ね、紫。」


由実「私、本気だよ。」


紫N「彼女の瞳は燦爛と、静かに燃えていた。」


………………


由実「…。恍惚。何考えながら読んだと思う?」

紫「なに?」

由実「弱虫だって、情けないって思いながら読んだんだよ。」

紫「弱虫?」

由実「今世じゃ結ばれないから?諦めてんじゃないよ。今世で結ばれないと意味がないんだよ。」

紫「…」

由実「私は諦めない。」

紫「…そう。」

由実「花咲に会わないのは、殺してしまいそうだからだよ。」


紫N「私の作った砂の城は、あの日踏み躙られた。」


由実「好きだよ。」

紫「…言わないで。」

由実「好き。」

紫「やめて」

由実「大好き。」

紫「由実、」

由実「花咲が出張から帰ったら、2人で殺して北海道の青い海に沈めようか。」

紫「っ、」

由実「そう思ってるよ。ずっと。」

紫「やめて、」

由実「今いいなって思ったでしょ。」


紫N「彼女の放った言葉は、決して冗談なんかじゃない。ドクンと大きく跳ねた心臓は期待だったのか、恐怖だったのかわからない程彼女の焔に当てられた。」


………………


透「紫さん。」

由実「…どうも。潮見 由実です。あなたが紫のお友達?」

透「はじめまして。早瀬 透です。」

由実「ちょっと花咲。私3人でって言わなかった?」

慶一郎「俺が誘ったんだ。彼も好きだから、“恍惚”。」

由実「ふーん。」


紫「あ、荷物もつわ。」

慶一郎「いや、いい。」

由実「湖近くに宿なんてよく見つけたわね。」

慶一郎「地方開発の一環でうちが担当しているんだ。まだ営業はしていないが、施設自体はもう使えるそうだから。」

紫「え?」

透「慶一郎さんの会社の事業なんですか?」

慶一郎「ああ。キャンプが流行ると営業が嗅ぎつけてな。」

由実「それで、わざわざこんなとこに。」

慶一郎「…。」

透「…これで旅行、来やすくなりますね。紫さん。」

紫「…ええ。」

由実「金持ちの思考意味わかんない。」


慶一郎「グランピング施設だからある程度は整っているはずだ。昨日スタッフが泊まれるよう準備してくれている。」

由実「…」

慶一郎「…今日は、俺たちしかいない。」

由実「そう。…だって、紫よかったね。」

紫「…ええ。」

透「…僕、準備してきますね。」


_________


紫「…慶一郎さん。」

慶一郎「ん?」

紫「ライトアップ、わざわざここ選んだの?」

慶一郎「…湖は君にとって特別なんだろう。」

紫「本当にそのためだけに、」


透「ちょ、ちょっと、助けてください!」

紫「早瀬くん?」

透「由実さんが、」


由実「あー来た。花咲ーお前。」

慶一郎「…何、酔ってるのか。」

紫「え?でもお酒なんて、」

透「僕が、持ってきました。泡盛。」

由実「お前.お前はここで、私が殺してやるんだー。」

慶一郎「…ああ」

由実「あー?ああ、だ?なんだよそれ。紫こいつに話したの?」

紫「っは、話してなんか、」

由実「私達の秘密を、知ったふりすんじゃねーよ。ボンボンがー。大っ嫌いだー私はお前なんかー」


由実「殺して、殺してやりたいくらい、嫌いだよ。お前は、私の欲しいもの掻っ攫っていったくせに。愛されてませんーみたいな顔、いっつもしやがって。お前、お前なんか、私が殺して、紫を奪ってやるんだ…」

慶一郎「…」

由実「ねー紫ー。殺してやろうよ。こいつも、早川もさー。」

透「僕、早瀬です。」

由実「うるさいなー。瀬でも川でもいいんだよ。ねー。ねーってば。紫。紫…」

紫「わ、私、」

由実「…紫。嫌なら、ちゃんと言わなきゃ。」

紫「由実、」

由実「紫。好きだよ。私、ずっと紫のことがずっと、好きだよ。でも、だから、私。あんたが花咲のことが好きだってことも、知ってるよ。私、ずっと知らないふりしてきたけどさー。知ってんだ。でもさ、あんた達バカじゃん。ずっと同じとこにいて、同じことして、同じ部屋ですれ違ってさ。馬鹿馬鹿しいよ。私、そんなことさせるために我慢してんの。バカじゃん。バカなんだよ。」

紫「由実。」

由実「私が、私が悪者になればさ。変わるでしょ。嫌でも変わるしかないでしょ。だから、私が、私がさ。」


由実「全部、あんたの過去も、全部燃やしてやるからさ。普通になんかならなくても、紫は紫のままでいいから、幸せだって、言ってよ。」

紫「っ!由実、由実ごめんなさい、私、」


慶一郎「紫、」

透「大丈夫ですよ。これは必要なことなんです。きっと。」

慶一郎「…君はわざと」

透「僕は…僕も、紫さんが好きです。でも、僕の好きはあなたとは違う。共感してもらわなくても構いません。でも、あなたの好きとは違うんです。」

慶一郎「…」

透「一生のお願い、違うことに使ってください。」


透「紫さんには、あなたが必要なんですよ。」


………………


透「由実さんは、紫さんが好きなんですね。」

紫「…そうね。」

透「紫さんは?」

紫「好きよ。」

透「じゃあ、慶一郎さんのことは?」

紫「…」


透N「ベッドサイドに置かれた本を手に取ると、彼女は表情を歪ませる。」


紫「あの人は、違うわ。」


透「違う?」

紫「好きとか、そういうのじゃないの。でもきっと私あの人がいなくなったら、生きていけない気がする。」

透「そうですか。」

紫「依存してるのよ。優しいから、彼」

透「じゃあどうして、いつも断られるのに“鞄は”って言うんですか?」

紫「え?」

透「相手のことを思い合うのは、依存ではないと思います。」


透「そういうのを、愛って言うんじゃないですか?」


………………


由実N「一定のリズムを刻む電子音。」


透「随分歳をとりましたね。」


慶一郎N「ベットで眠る君。」


透「あの日の湖、誰も落ちなくてよかった。そうでしょう?紫さん。」


由実N「甘雨の中、柔らかく木漏れ日が揺れ」


透「ああ、もうその顔も全然寂しそうじゃない。綺麗です。あなたはずっと。出会ったあの日から変わらずずっと。」


慶一郎N「目尻に残る笑い皺をそっと指で撫でる。」


透「紫さん、あなたは枯れても腐ってもくれなかった。」


紫「あり、がとう。」


透N「恍惚としたその微笑みは、彼女の最期の顔だった。」



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