今日の終わりと、また明日


  *


「あ、ここにいたんだ、カラハ」


「……ん、あァ。ナユタか」


 カラハは緩い風の吹く夜空に向かって紫煙を吐きながら、薄明かりに照らされたナユタの姿に口許を緩めた。


 賑やかな喧騒がざわめきとなって聴こえる中、独りきりの物干し場に僅かな寂しさを感じていた、そんな際に訪れたナユタに嬉しさを覚えた事は否めなかった。恐らくこの一昼夜で騒がしさに慣れてしまった所為だ、とカラハは自嘲した。


 ──あれから誕生会はどうなったかと言えば、ケーキや菓子類を食べ尽くしたところへたまたまやって来た他の寮生達から話が広がり、結局前日と同じように麻雀大会と成り代わっていったという次第だ。とても納得のいく自然な流れである。


 歓迎会ではなく誕生会に名目が変わっているとは言え、主役がカラハなのは同じだ。多分、主役が誰でも題目がどうでも関係無いのだろう。結局は皆、はしゃぐ切っ掛けが欲しいだけなのだ。


 それは寮という非日常めいた日常の生み出すジレンマに、皆が慣れつつも慣れたくない故の行動だ。だからこそ彼らは新しい刺激を求め続けるし、満たされた瞬間にまた飢えが始まる事を自覚している。それに気付いたカラハは、だから彼らを非難する気は無いし、敢えて神輿に担がれてやる事にも異を唱えずにいるのだ。


「お疲れ様。……眠くない? 大丈夫?」


 そんなカラハを気遣うナユタの言葉に、ハハッと笑ってカラハは携帯灰皿に突っ込んだ煙草を揉み消し蓋を閉じた。燻る匂いが風にゆるりと流れる。


「午後も寝たし、晩飯の後はゆっくりしてたからな。別にどうって事ァ無ェよ」


「そっか。それなら良かった」


 ナユタはコンクリートの柵に凭れるカラハに歩み寄ると、隣に並んで少しの逡巡を見せる。その態度に僅かに訝しんだカラハがそれでも何も言わず空を眺めていると、ナユタは着物の袂から何か薄い箱を取り出してカラハの胸元に差し出した。


「これ、……あげるよ」


 そっぽを向いたままのナユタからカラハはその小さな箱を受け取ると、蛍光灯の明かりにかざしてしげしげとそれを眺めた。


 それは黒く薄い、手の平サイズの紙の箱だった。金の縁取りが施され、外国語の商品名と紋章のような図柄が金色の箔押しで施された、一見すると高級チョコレートにしか見えないようなフィルムに包まれた軽い小箱。


「くれンの?俺に? ……開けてもいいか?」


 ナユタは尚も顔を背けたまま何度も頷いた。カラハはその無言の返答にフィルムを剥き、ゴミをポケットに突っ込んでからぱかりと箱を開けた。


 ふわり、と独特の葉の香りが広がる。金色の中紙を上下に開くと、そこには黒い巻紙の煙草が綺麗に並んでいた。フィルターの部分には金の紙が巻かれており、箱表面に飾られた紋章がそこにも施されている。


 カラハは抜き出した一本をそっと咥えると、愛用の銀のライターを擦る。ちり、と煙草の先に移る炎に、煙たさの少ない香りが立った。吸い込んだ煙をゆっくりと吐き、少し驚いた顔で指に挟んだ煙草を眺める。


 ──『ソブラニー・ブラックロシアン』。存在を知ってはいたが、実際に吸うのはこれが初めてだった。


「──これ、ナユタが買ったのか?」


 カラハが隣を向くとナユタは背中を見せたままこくりと頷いた。しばらく沈黙を守っていたナユタだが、やがて手持ち無沙汰げに眼鏡の位置を直しながら、背中越しにぼそりと呟く。


「……誕生日プレゼント」


「え」


「その、駅前に行った時にさ。煙草屋の横通った時に、目に入って」


 ナユタの言葉に、カラハは煙草のパッケージを眺めた。──確かにこれが並んでいたら目を引くかも知れない。それ程に、この煙草のデザインは美しかった。


「他の煙草よりやたら高かったけど。……その、格好良くてさ、カラハに似合いそうだったから」


 よく見るとナユタの耳は真っ赤だった。カラハはそれに気付かない振りをして、煙草を揉み消すと、ナユタの肩に腕を回した。


「吸い過ぎると身体に悪いって、今朝怒られたばっかりじゃなかったっけか」


「それは……そうだけど、それとこれとは話が別で」


 尚も顔を背けるナユタに、カラハはポンポンと肩を叩き、顔を寄せて囁いた。


「ナユタ、ありがとよ。気に入ったから俺これからはコレにするわ」


 思わずナユタが振り返ると、目が合ったカラハは牙を見せて笑った。ふわり散った紫煙の残り香が香る。初めて嫌悪感を抱かなかった煙草の匂いに、ナユタは一瞬ぼうっとして、そして再びそっぽを向いた。


 カラハはナユタから身体を離すと、次の一本を取り出し再び火を点けて吸い込む。柵に背を預け空を仰ぐカラハを、今度は身体ゴト振り向いたナユタは少し目を細めて見上げていた。その視線に何だか照れ臭さを覚えて、さっきとは逆にカラハがそっぽを向いた。


 遠くから、消灯後分前でーす、という週番の注意の声が聞こえてくる。物干し場は消灯後も使用を禁止されてはいないものの、戸締まりの確認の為に誰かが顔を出す筈だ。暗黙の了解とは言え、煙草を吸っているところを週番に見られるのはやはり宜しい事では無いだろう。


 カラハは吸い終わった煙草を突っ込み携帯用灰皿の蓋をきっちりと閉めると、腕を伸ばし大きく伸びをする。


「寝るかァ」


「うん」


 消灯前独特の慌てた雰囲気の喧噪に紛れ、二人はてくてくと廊下を歩く。談話室は未だに賑やかな声に満たされており、覗く事も無く肩を竦めてやり過ごす。


『消灯です、おやすみなさい、消灯です、おやすみなさい』


 放送が入り、廊下の電灯が一気に落とされる。それでも治まらないざわざわとした空気を背に、二人は階段を降りる。仕事を終えた週番に、黙ったままの二人は礼をしながら擦れ違う。


 てくてくと進む暗い廊下は意外と短くて、部屋に辿り着いた二人は扉の前でどちらともなく顔を見合わせた。


「……ありがとな」


「うん。──じゃ、おやすみ」


「ああ、また明日」


 長かった今日が終わる。


 誕生日だってのに妙な事ばっかだったもんなァ、と扉を閉めて暗闇で一人カラハは笑う。でも、とポケットから取り出した煙草を窓際の机に置いて、月光にぼんやりと浮かぶその小さな箱を眺めながら呟いた。


「最後に良いコトあったから、終わり良ければ全て良し、ってな」


  *


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る