平和な午後と、サプライズ


  *


「はァー……やっぱデッケェ風呂はイイなァー」


「そうだねぇー」


「せやなぁー」


 三人ののんびりした声が誠道寮の大きな風呂場に響く。


 カラハとナユタの二人は昨日と同じ面子だが、今日はそこに宮元も加わっていた。貸し切り状態の広い風呂で、思い思いの姿勢で寛いでいた。


 時刻はまだ夕方の五時を過ぎた辺りであり、しかも今日は金曜日だ。部活動に勤しんでいる者は勿論、暇を弄び学友らと遊びに興じようとするやからも、まだ風呂に入ろうと思い立つような時刻では決して無い。


 ならば何故この三人は早風呂を決め込んでいるかと言うと、昼食を食べた後、午後いっぱい爆睡していたからに他ならない。たっぷり昼寝した後の寝覚めの風呂はとても気持ちが良いのだ。


 それでもカラハなどは放っておくと夕飯を食べそびれる時間まで寝過ごしてしまう畏れがあったのだが、そこはナユタが気を利かせて適度な時刻に起こした次第だ。ついでに同じ状況であった宮元にもナユタが声を掛け、今の状況が出来上がったという訳である。


「そいや晩飯って何やったっけ」


「何だっけ……魚のなんかだった気がする」


「覚えてねェのか」


「嬉しいメニューやったら覚えとるやろうから、まあ、期待はせん方がええっちゅうこっちゃな」


「そういうモンかァ」


 取り留めも無い話をしながらだらだらと湯にふやけていると、そういえば、とナユタがカラハに向き直った。


「お風呂出たらすぐご飯食べるでしょ? 僕その後ちょっと出掛ける用事があるから、カラハ時間潰しててくれる? 僕の部屋に居て貰ってもいいよ、漫画とかあるし」


「了解。でも用事って何だァ?」


「駅前の商店街にね。──いつも行ってる文具屋があるんだ、そこへ和紙を買いにさ」


「和紙? 和紙なんて何に使うんや?」


 不思議に思った宮元が会話に入って来る。ナユタは肩をすくめると、緩い笑顔を口許に浮かべた。


「──符をね、補充しないとだから。昨晩一杯使っちゃってね」


 ナユタの言葉に、ああ、と納得の声を漏らすカラハと違い、宮元は驚きに絶句した。一連の出来事をある程度まで見ていた彼だからこそ、その何気無い言葉が比喩でも何でもないただの真実だと理解し、そしてその非日常が確かにそこに在る事に息を飲んだのだ。


「……やっぱお前ら、ホンモノなんやなぁ」


 観念したような宮元の溜息に、何を今更、とカラハが嗤う。


「昨日あれだけ暴れて妖力使って、挙げ句画面越しとは言え『向こう側』まで見ちまったってのにピンピンしてンだから、お前こそ適正あンじゃねェか?」


「やめてぇな! もうカラハに蹴り倒されるんはコリゴリや!」


「そう嫌がンなって! 俺とお前の仲じゃねェか!」


「どんな仲やねん!」


 肩に回されたカラハの腕を振りほどこうと宮元が暴れ、バシャバシャと激しい波が立つ。ナユタはそんな光景にデジャヴを覚えながらも、平和だなぁ、と漫才のような二人の遣り取りを聞き流し、はぁと大きく息を吐いたのだった。


  *


 『門限後に北寮三階談話室に集合』の報せを受け、夜十時の点呼が終わると同時にカラハは自室のドアを閉めた。と、同じように部屋から出て来た猪尻と目が合った。


「あれ、ナユタ知らね?」


「先輩はなんか慌てて飛び出してっちゃったんですわ。ああ、『気にせずゆっくり来て』って会ったら伝言しといてって言われましたんすわ」


「そっか。ありがとな」


 班の一回生で集まる用事があるという猪尻と別れ、スリッパを鳴らしポテポテと歩く。二階に上がろうと階段に足を向けると、今度は南寮から来たらしき宮元と鉢合わせた。


「よォ。お前も?」


「そうや。なんやカラハ、誰が参加するんか知らんのか」


「教えて貰ってねェな。てか、そもそも何の為に集まるのかすら知らねェし」


「なんやそうだったんか。まあ、着いたら分かるんとちゃうか」


 適当に緩い遣り取りを交わしながら、二人はぺたぺたと階段を登る。週末前の寮の中は活気に満ちていて、形にならない喧噪がざわざわと騒がしい。


 廊下を抜けて丁度階の真ん中辺り、談話室の引き戸の前で二人は足を止めた。扉の前には脱ぎ揃えられたスリッパが三足。カラハがコンコンとノックをすると、どうぞー、と聞き覚えのある声で返事があった。


「ちィーす」


「お邪魔しまんにゃわ」


 二人が挨拶をしながら談話室に入ると、寮生長とナユタ、そして何故か鳩座が二人を出迎えた。机の上には紙コップと何種類かのジュース、紙皿にスナック菓子、そして中央には何やら白く大きな箱が置かれていた。


「いらっしゃーい。どうぞどうぞ座って。あ、カラハは奥、そうそこの席」


「何なンだ一体」


 訝しむカラハを上座に座らせ、全員が着席した事を確認すると、寮生長はコホンと一つ咳払いをした。ぐるり皆を眺め、そして最後にカラハで視線を留める。


「カラハ君、今回はお疲れ様でした」


「何だよ改まって。……慰労会みてェなモンか、コレ?」


「まあそれもあるんですがね」


 釈然としない顔のカラハに苦笑しながら、寮生長は鳩座に目配せした。彼は頷き返すと、テーブルの中央に置かれた紙箱の蓋に手を掛ける。そして勢い良く、パッと蓋が外された。


「「「「カラハ、誕生日おめでとう!」」」」


 四人の祝福の声が重なる。紙箱の中には小振りなホールケーキが鎮座していた。ご丁寧に『お誕生日おめでとう』のプレート付きだ。


 ──突然の祝福に、カラハは虚を突かれ固まった。


「え、──え、え、ええェ」


 そんなカラハの様子に笑いながら、ナユタは紙コップを差し出した。


「だから、今日誕生日でしょ、ハタチの。だからお祝い」


「え、でもよ」


「デモもストもないっちゅーねん。ホラ乾杯するで、乾杯!」


 渡されるままに受け取った紙コップにジュースが注がれ、カラハは促されるがままに乾杯をする。紙コップのぶつかる鈍い音が部屋にこだまする。


「確かに誕生日だけどよ、祝って貰うなんて──」


 戸惑うカラハに向かって、寮生長が穏やかに微笑んだ。


「ついでですよ、慰労会も兼ねてです。それに、皆イベント事に餓えてるんですよ。だから遠慮しないで素直に祝われて下さい」


「そ、そういうモンなのか」


「全くそうだ。ホールケーキなんてなかなか食べられる機会が無いんだからな」


「鳩座はケーキが食べたいだけとちゃうんか」


「失敬な。わざわざ探してケーキ買ってきたのは僕なんだから」


 わいわいと騒ぎながらテキパキと、ケーキに二十本の蝋燭が立てられてゆく。火が点けられ、ケーキの上に明かりが灯る。


「電気消すよー」


 照明が落とされ、蝋燭の炎だけが神秘的に浮かび上がる。子供じみた光景に、カラハはふっと笑った。……昔はこんなだったっけか、と少しだけ家族の事を懐かしんだ。


「ホラ早く、カラハ吹き消して! 蝋が垂れちゃう!」


 慌ただしい催促の声に笑いながら、カラハは炎を吹き消した。一息で消えた火に拍手が起こり、間を置かずパッとライトが再び灯った。


「ほな切り分けるで!」


「何で君が切るんだ!?」


 やいのやいのと騒ぐ仲間達に、こんなのもいいかな、とカラハは笑う。自分用に切り分けられたケーキの上には、『お誕生日おめでとう』のチョコプレートが載っている。


 別に甘いモンは好きじゃねェんだけど、という言葉はジュースと共に飲み込んで、カラハは楽しそうに、心底楽しそうに笑ったのだった。


  *


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