後片付けと、かけまくも


 *


「何でカラハってば、祭式バッグじゃなくてゴルチェのボストン使ってるのさ。なんかずるくない?」


「ンな肩紐も何もない薄くてデカい鞄、使いにくいだろうが。おいナユタ、一応清めといた方がいいのか此処? 神道式じゃなきゃ駄目だよな、まだ俺『大祓詞』覚えてねェんだけど」


「『祓詞』は分かる? かけまくもって短いやつ。あれでいいよ」


「あ、そっちなら知ってるわ。了解」


 それから二人は慌ただしく、バタバタと事後処理をした。他の学生が来る前に場を清め、何事も無かった風を装わねばならない。時間が全く無い訳ではないが、しかし余裕が有ると言える程ではなかった。


 先に教室の鍵を外し扉を開け放ってから、ナユタは二人分の荷物を男子更衣室に運び、教室の窓を開け始める。念の為、人払いの結界はまだ張ったままだ。


 ちなみに祭式バッグとは神職の装束を収納し持ち運ぶ為の専用の鞄で、薄く大きいのが特徴だ。いわゆるブリーフケースの和装版と言えばしっくり来るだろう。大抵の神道科履修生はこの鞄を使用しているが、希にカラハのように別の鞄を使う者もいた。


 一方、着衣の乱れを正したカラハは床に正座をすると、白衣の懐から笏を取り出す。肘を張って両手で構え、滑らかに一礼をした。腰から折れる、とても綺麗な作法だ。背を起こすと笏を顔の高さに構え直し、ますます姿勢を正した。


「……かけーまくもー、かしこきー、いざなぎのぉーおおかみー、つくーしのー、ひむかぁのー、たちーばなぁのー、おどのー、あまぁぎーはらーにぃー、──」


 低くゆっくりと、朗々とした祝詞の奏上が祭式教室にこだまする。言葉が響きとなって満ち渡り、陽の光が差す如く空間を洗ってゆく。


「──かしぃーこみー、かしぃーこみぃー、もうー、まおーすー──」


 声を張り堂々と祝詞を唱え終えると、再びゆっくりと一礼して、最後に笏を仕舞った。


 カラハが片膝を引き流麗な動作で立ち上がり、やれやれと大きな息をつくと、ふと窓際で固まったままのナユタと目が合う。


「……何」


「いや、その。作法完璧だよねとか。んで良い声だなって」


 思いがけないナユタの賛辞に肩を竦めつつ、カラハは張ってあった符を剥がしに隅へ向かいながら、何気も無い口調で言葉を返した。


「中学の頃から寺に住んでてなァ、毎日経だの真言だの唱えさせられてたんだわ。所作も何もかも、仏教以外にもそれこそ神道やら密教やら一切合切叩き込まれたンだ、これぐらいまァ、大した事ァ無ェよ」


 そして大きな手がペラリと剥がす符の上部には、およそ日本語ではないのたくったような文字。ちらりと見たナユタにも、神道系の符ではなく梵字か何かだと目星は付いた。役目を終えた結界は霧散し、符も護摩の如き幻の火に焼かれ煙も残さず消えてゆく。


「ねえカラハ、君って何で此処へ来たの? 仏教系の学校へ行くなら解るけど」


「あァ……じっさまがさ、見聞を広めろって言うンでな。神道のやり方を学ぶのもだけど、此処には他の術者や能力者も来てるからってよ」


「でも去年はずっと一人でやってたんだよね?」


「何かよォ、切っ掛けが無くってなァ。能力のこと、大っぴらにする訳にいかねェだろ? あやかし退治続けてたらいつか他の奴にも会えると思ってやってたンだけど、会えねェまま一年過ぎちまってな。──だから偶然とは言え、ナユタに出会えて良かったって、な」


「行き当たりばったりだなあ。ま、カラハっぽいけどね」


「そそ。結果オーライって奴」


 床にモップを掛けながらナユタが苦笑すると、カラハも次々に符を剥がしながらカラカラと笑った。


 外ではそろそろ学生達のざわめきがさざ波のように満ち始めている。ざわざわとした声が漏れ聞こえ、やがて開かれた扉から何人かのスーツ姿の同期生達が顔を覗かせた。


「あれっ、ナユタ早いじゃん。もう来てたんだ」「あいつ、あの背の高いのってマシバだろ?」「妙な取り合わせだな」「おい早く上がれって。着替える時間無くなるだろ」「あっ悪りい悪りい」


 そしてどやどやと騒がしく更衣室へ入ってゆく。同時に、女子学生達の集団もかしましく笑い合いながら次々に神殿裏の女子用の更衣室へと向かう。


「あっカラハ君だ! おはよーっ」「おっはー」「やっほー」


「あー。ちーす」


 きゃらきゃらとした陽気な女子からの黄色混じりの挨拶に簡単に応えながら、カラハは片手だけで挨拶しモップを走らせる。それを見ていたナユタはじっとりとした口調でぽつり零した。


「……カラハって、モテそうだよね」


「ん、まァな」


「否定しないんだ」


「だって事実だしよ」


「うぇ、ムカツクなあ」


 そんな下らない遣り取りを交わしながら二人は掃除を終えると、やがて着替え終わった同期達に混じりバラバラの位置に離れた。意識した訳では無いが、まだ打ち解けたという程には二人の距離は縮まってはいなかった。


 *


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