身の上話と、黒い猫


  *


 差し出されたカラハの手をじっと、たっぷり瞬き三度ぶんは凝視したのち、ナユタはおずおずと自分の右手を差し出した。そんなナユタの白い手をぐい、と握るカラハの右手はごつごつと堅く、やたらと大きかった。


「ンなビビんなくてもいいだろ」


「握手なんてし慣れてないし。それに、僕はまだ君の事をよく知らないんだ。……お爺様の事も知ってるみたいだけど、君は一体何者なんだい。それに、さっきの経緯もまだ聞いてないし」


 戸惑いを隠そうともせずにナユタがじっと見据えると、カラハは正面からナユタと視線を絡ませた。その表情は実に楽しそうで、先程窮地を味わったばかりだとは到底思えなかった。


「お前の爺様、アマタ老には何度か稽古をつけて貰った事があってなァ。うちのじっさまに連れられて行ったんだっけか、数年前……中坊の頃だな。うちのじっさまと同じぐらい厳しくて強かったからよく覚えてンだ」


「お爺様と、えっと君のお爺様が知り合いなんだ?」


「そうみてェだな。現役退いちまったけど、じっさまも昔はバリバリあやかし退治してたみてェだし。あ、アミダってンだけどなじっさま、知ってるか?」


「アミダって、あの金剛僧アミダと名高いアガナ・アミダ!? 西日本屈指の強さを誇った術士じゃないか! 君はアミダさんの孫なのか?」


 驚きの余りに思わず正座して話に食い付くナユタを面白そうに見ながら、カラハはまたもクックと笑う。


「俺ァじっさまとは血は繋がってねェんだ。俺の家族は全員あやかしに殺されたんだがな、俺の親父とじっさまが知り合いだった縁でな、後見人っていうんだっけか、面倒見て貰ってたって訳だ。まァ鍛えても貰ったし、師匠みてェなモンだな」


「えっ、あ……そ、そうなんだ」


 ナユタはいきなりの重いカミングアウトに絶句するしかない。そんな反応を全く気にする事無くカラハは、それでな、と饒舌に続ける。


「夜ちィと遊び過ぎちまって今日殆ど寝てねェんだけどさ、初めての祭式の授業だから出ねェ訳にいかねェだろ? それで部屋出たのが六時ぐらいだったかな、教室で寝てりゃア大丈夫だろって思ってな。忍び込んで取り敢えず着替えて、んで一眠りすっかなとか思ったら、窓から猫が」


「猫?」


「そう猫がさァ、入って来たからこりゃいけねェって捕まえようと思ったら、虎に」


「猫が虎に」


「なーお」


「そう猫が」


「猫が」


「なーお」


「猫」


「……猫?」


「なおー」


 ナユタは三度見した。カラハはじっと見詰めた。


「なーお、なおーん?」


 猫がそこに居た。


「「……」」


 あやかしの黒虎が瘴気を吐き出し消えた痕、気配も残さず綺麗になった床の上。そこに、猫がいた。黒い毛に幾つかの金の線が走る、珍しい模様の猫が。ころんと寝そべりこちらを金色の眼で見遣る仕草には邪気は感じられない。


「……なーお?」


 カラハはすっくと立ち上がると、大股で猫に近寄りむんずと首根っこを掴んだ。猫は金色の眼を瞬かせ、それでもされるがままにぶら下げられている。カラハは再びナユタの元へ戻ると、座り直し猫を自らの膝に乗せた。


「どうするのこれ。一応、あの虎だったヤツでしょ」


 ナユタが猫をしげしげと眺めるが、猫はただ「なーお」と大人しく鳴くだけで、逃げようとも嫌がりもしない。くりくりと丸い目は愛らしく、艶のある綺麗な毛並みはもふもふと気持ち良さそうで、つい撫でたくなる衝動に駆られる。


「……どうすっかなァ」


 カラハも困ったように猫を撫でた。気持ちよさそうにゴロゴロ喉を鳴らす猫に、いっそ暴れてくれた方が考えずに済んだのになァ、と戸惑いを零す。


「調伏……」


「出来るかお前。これ見て、やれンのかお前。無理だろ絶対」


「うん無理」


「だろ」


 二人は同時に溜息をついた。確かに外見も仕草も性質もまるで猫だ、虎だった頃の名残は微塵も無い。しかしよくよく観察してみると、猫の中には確かに、あやかし特有の強く練られた妖気が感じ取れるのだ。それは決して見過ごせる物では無かった。


「……取り敢えずだなァ、時間もあんま無ェし。細かくは後で考えるとして、首輪でも着けとくか」


「それはいいけど。首輪なんて何処に」


「まァ見てろって」


 カラハはそう言って笑うと、自身の首許から何かを引っ張り出した。それは黒くしなやかで、虹色を帯びた──。


「蛇?」


 小さな蛇はするするとカラハの手を伝い、猫の首回りに巻き付くと、しゃらり、と涼やかな音を立てて艶やかな鎖に変化した。


 二重に巻かれた鎖は猫の首を締め付ける事は無く、しかし抜こうとしても抜けない程度の絶妙な具合で首におさまっている。鈴代わりの南京錠が下がり、鎖の端と擦れてしゃらんと音を響かせた。猫は些か気にはなるようだったが、それでも嫌がる素振りは無かった。


「これで良し。ホレ、授業終わるまでちィとその辺で大人しくしてな」


 カラハが窓から身を乗り出し猫を外の芝生の上に下ろすと、猫は聞き分け良くころんと、置かれた場所で転がった。なお、と一声鳴いて気持ち良さげに眼を閉じる姿を確認し、やれやれ、とカラハは大きく肩を竦めた。


  *


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