第7話 大幻魔ちんちんキラー
もはや入院何日目であったか定かではないのだが、その夜虫けらはナースコールを押していた。オムツの中に大量の排便をしたために、交換と清掃をしてもらわねばならなかったからだ。だが、いつまで待っても看護師は来ない。虫けらのストレスは限界値に達しようかという勢いだった。
そのときである。
病室の外から始終聞こえていたナースコールの音が消えた。ナースコールだけではなく、すべてのアラーム音が消し去られ、しんとした静寂が辺りを包んだのだ。いったい何があったのかは知らない。しかし単なる偶然ではあるまい。何らかの意図をもって、故意に音を消したのは間違いないように思えた。
この静寂は虫けらを恐怖させた。意図的にナースコールを全消しできるのであれば、すべての患者の生も死も、この場の責任者の思うがままではないか。なら、看護師に不快なこと、覚えめでたくないことを患者側が要求した場合、それが正当な要求であっても看護師側の判断で無視される、後回しにされる、排除されるのではないか。
ただでさえ動かない体に不安と恐怖を詰め込んでいた虫けらのストレスは、この瞬間に暴走した。
虫けらは夢を見た。夢の中では世界中の誰もが知るネットゲームのクエストが実行されており、虫けらはそのゲームの有名なプレイヤーであった。もちろん、そんなゲームは実在しない。夢を見ながら、虫けら自身もこれは幻覚だと認識していたのだが、夢の中の展開に逆らえなかった。
ミッションをクリアしなければならない。何としてもクリアしなくてはならないが、そのためにはまずトイレに行かねばならんのだ。虫けらは便で重くなったオムツを脱ぎ捨て、トイレに入った。しかしトイレに入っても何もできない。尿道にカテーテルが差し込まれているからだ。すると虫けらはこれを力尽くで引き抜いた。陰茎に激痛が走る。
思えば、入院してから虫けらが立ち上がりベッドから下りたのはこれが最初である。尿道カテーテルを引き抜いた虫けらは満足したのだろうか、そのまま自分のベッドに戻り意識を失った。
翌朝、目が覚めた虫けらの両手は紐で縛られていた。自傷行為の危険性ありと判断され、拘束されたのだ。自分のしたことはうっすらと頭の片隅に覚えていた。尿道カテーテルは再度挿入されることなく、失禁にはオムツと尿取りパッドで対応することになったようだ。病院側もビックリしただろうな。だが何より一番ビックリしたのは本人である。
ことほど左様に、人間は切れるときには簡単に切れる。そのきっかけは人それぞれであるが、入院という特殊状況はそれを煽り加速させる場合がある。軽い病気なら、お大尽気分でホテル代わりに泊まれるのかも知れないが、重い病気やケガだと想像を超える過大なストレスがかかることもあり得るのだ。
ただ不幸中の幸いと言っていいのだろうか、この騒動で虫けらは必死になれば起き上がれることが判明した。ここから自分の意思でトイレに行けるようになるまで、さして時間はかからなかった。そして改めて思う。トイレを奪われるというのは人権を否定されるに等しいことなのだな、と。考えてみれば刑務所だって捕虜収容所だってトイレくらいはある。それを奪われた人間は精神が暴走しかねない。病院の皆様にはこのことを真面目に理解していただきたいと思う次第。
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