♯19 Reprologue 母が愛した宇宙人



 センチネル【sentinel】〔名詞〕

  1.見張り。監視員。歩哨ほしょう前哨ぜんしょう。番兵。

  2.コンピュータ用語でデータの終わりを示す記号、またはループの終了条件が    

    複数ある場合の条件判定の数を削減するために配置するダミー・データ。

    境界の印。



               ☆



 を彼女たちが耳にしたのは、今日より遡ることおおよそ二週間前―この四月、数十年ぶりに国内で観測されることになった天体ショー、『スーパーブルーブラッドムーン』が、お茶会の席で初めて話題に上がったのと同時期だ。


 の発生源がどこなのか、今となっては確かめようがない。


 だが、は瞬く間に学院じゅうを駆け巡ると、気付いたときには年少したは幼等部から年長うえは高等部まで、ありとあらゆる世代の間で、まことしやかに囁かれるようになっていた。


 すなわち『毎夜、この弟橘媛おとたちばなひめ女学院の敷地内を、が徘徊している』――と。


「アレはただの噂などではない! 現に、夜中トイレへ行こうと寮の廊下を歩いていたら窓の外にぼんやり光るブロントサウルスを目撃した生徒や、深夜の物音を不審に思って外へ出たらからだが半分透けているトリケラトプスに遭遇してしまった寮監、夜間の巡視で校庭を横断していたら霞のようにおぼろげな外見をしたティラノサウルスに襲われそうになった警備員など、続々と報告が上がってきているのだぞ! これらの目撃談に共通しているのは、目撃されたのがいずれもヒトではなく恐竜のオバケだということ! これは由々しき事態だ!」


「「「はあ……」」」


「だというのに! いったい何を考えているのだ、おまえたちは⁉ 『噂の真偽を確かめようと思った』⁉ そんな理由で、『夜間は自室待機』という学院の指示を無視して出歩いたというのか⁉ しかも小学生だけで⁉ 無鉄砲にもほどがある! おまえたちはコトの重大さを理解しているのか⁉ 今は学院の敷地内だろうと安全とは言い切れないのだぞ⁉」


「ごめんなさい……ママ。三人で夜中に寮の外をうろついたことは謝るよ。……でも」

「大袈裟だよぉリジチョー。キョーリューのオバケなんて本当に出るワケがないじゃん!」

「……あんな噂を真に受けるなんて、大人としてどうかと思う」


 自分たち以外のみなが寝静まった夜中の校庭で、ジト目で開き直る三人の童女を、墨を流したような艶のある黒髪を背中まで伸ばし前髪を綺麗に切り揃えた二十代後半の美女が腕組みをして睥睨し、


「甘い! 甘いぞ叶恵かなえ! 穂乃果ほのか! 天花てんか! この日常、現実はな、おまえたちが考えているほどシンプルでもなければ強固でもないんだ! 平凡な日常なんて、いとも容易たやすく崩れ去ってしまうのだぞ!」


「もしかしてママ、いいトシしてあの噂を信じてるの……?」

「叶恵。アンタのお母さんってさ、尊大な口調の割に子供っぽいトコあるよね」

「……あたしのママ曰く、理事長は子供のころからこの口調」


「――『いいトシして』とはなんだ! 私はまだ二十八だぞ! あと子供っぽくなどない!」


「もう二十八、の間違いじゃ……」

「てかさ、そーやってすぐムキになるトコが……」

「……しっ。これでも一応、理事長」


「うっさいわ! 初潮すらまだのくせに、母親の年齢をイジるとはいい度胸だ叶恵!」


「しょ……」


「穂乃果と天花も! 私から言わせれば、おまえたちの母親も充分ガキのままだからな⁉」


「「……それは否定しないケド」」


 美女の大人げない反応に、やはり墨を流したような艶のある黒髪をショートのボブにした女の子と、上品な栗毛色の髪をストレートロングにした女の子、日本人離れした美しい銀の髪プラチナブロンドをウルフカットにした女の子の三人が、揃ってゲンナリとした表情を浮かべる。

 ちなみに三人の女の子は物言いこそマセているものの、見たところ全員が小学校低学年くらいだった。


「ていうかママ。例の噂が本当かもしれないのに、こんな校庭のど真ん中で呑気に説教なんかしていていいの?」

「今、キョーリューのオバケが出たら美味しく食べられちゃうんじゃない? ウチら」

「……オバケも食事する?」


「ふふん! 安心しろ! 私と一緒なら大丈夫だ! この身に危険が及ぶようなことがあれば、『騎士きしがみ様』が駆けつけてくれるはずだからな!」


 そう言って胸を張る美女を見て、童女たちは呆れたように顔を見合わせ、深々と溜め息をついた。


「出た……ママの『騎士神様』信仰」

「『騎士神様』……。確か、ウチらが生まれるずーっと前からこのガッコで実しやかに伝わってきた、七不思議のひとつだっけ? アホくさ」

「……きっとOGの作り話」


「何を言う! 『騎士神様』は実在するんだぞ! アイツはな、普段はこの島の奥地で眠りについているが、この地球ほしに危機が訪れたら目覚めて、私たちを護ってくれるんだ! 何を隠そう、私と穂垂ほたる銀花ぎんかの三人は――」


「はいはい。『昔、騎士神様に助けてもらったことがあるのだ』でしょ? 物心ついたころから毎日のように聞かされて、もう耳タコだよ」

「ウチもママからしょっちゅう話を聞かされたケドさー。正直、眉唾だよねぇ」

「……あたし、それと全く同じことをお母さんに言ったら、一週間くらい口をきいてもらえなかった」


「お~ま~え~ら~! ちょっとそこに正座しろ!」


「ええっ⁉」

「真夜中に校庭のど真ん中で正座とかウケる」

「……恐竜のオバケが出る前に戻ったほうがいい」


「いいか! 騎士神様はな、とーっても格好良いんだぞ!」


「「「無視……?」」」


「強くて、優しくて、すっごく頼りになるんだ! おまえたちもいつかアイツと出逢うことがあればわかる!」


「パパには聞かせられないな、これ……」

「この程度の惚気のろけならまだいいって。ウチのママなんて、あれでもゲーノージンなもんだからサ、『初恋の相手は騎士神様でーす☆』って普段からテレビで公言しては『誰それ⁉』ってツッコまれてるし」

「……夫婦仲に亀裂が生じないのが不思議。どっちの家も」


「はっはー。うちの旦那は私にゾッコンだからな。私に頭が上がらないのだ! なので問題ない! そもそも夫婦の仲というのはその程度で揺らぐようなやわなモノでは、………………。」


「? ママ?」

「どしたん、リジチョー?」

「……マヌケな顔」


 口を金魚のようにパクパクさせて、真ん丸くした目で、自分たちの背後、虚空を見上げる美女を怪訝に思った三人の童女は、


「「「………………?」」」


 眉を顰めて何気なく振り返り、


「「「ひっ――」」」


 そこにあったモノを見て、空気が漏れるような小さな悲鳴を上げて、その場にペタンと腰を抜かした。


 振り返った先では、いつからそこにいたのか、全長十五メートルはありそうなティラノサウルスが、口から涎をダラダラ垂らしながらこちらを見下ろしていたのだ!


 そのからだは半ば透き通り、向こう側の景色が見えていた。


「……うぅ~ん……」


「えっ⁉ ママ⁉」

「泡噴いて気絶した⁉」

「……頼りにならない」


 恐怖のあまり失神してしまう美女。

 それを見て、逆に冷静になる童女たち。


 同時に、


 ――ごあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!


 天地を揺るがすような咆哮とともに、ティラノサウルスがあぎとを大きく開いて大地を蹴り、こちらへと飛び掛かってくる。


「「きゃああああああああああっっっ!」」


 その迫力に穂乃果と天花もまた恐怖で失神し、


「………………っ」


 叶恵は尻餅をついたまま、ただ一人、迫る顎を呆然と見上げ――


 直後。




『――混沌を破壊(こわ)し!』

『――秩序を創造(つく)る!』




 彼女たちを庇うように、一人の少年がティラノサウルスの眼前に立ちはだかった。


「………………!」


 ピキィィィィ……ン


 まるで流星のように夜天から降ってきた、頭と関節部以外の全身を留紺とまりこんの甲冑で包み、二振りの大剣を手にしたその黒髪の少年は、右手に持った大剣を勢いよく振り上げると、襲い掛かってきた恐竜を巨大な氷山の中に閉じ込めてしまう。


「――中途半端に受肉したことで生き霊化した恐竜たち……か。なるほどね。確かに、テルルやレアの言うとおりだ。スーパーブルーブラッドムーンの放つ光が、今もあの禁足地きんそくちに残留している『地球系統(ガイア・システム)』の残滓を活性化させることで、ボクがこの星に流れ着いたあの夜を再現してしまうとはね……。どうもここ以外の場所にも出現しているみたいだし……大事になる前にかたをつけられるかなぁ。とにかくこのまま攻撃特化形態アタッカーモードで片っ端から――」


 夜の校庭のど真ん中で、一瞬で誕生した氷山を見上げつつ、何やらブツブツひとちているその背に、叶恵は「あ……あの、」と恐る恐る話し掛ける。


「あなたは誰? わたしたちを助けてくれたの……? というか、その姿……。もしかして、あなたがママの言っていた――」


 その誰何すいかに振り返った少年は、叶恵の顔を見て「あれ?」と何かに気付いたように目を瞠り、次いで傍で気を失っている穂乃果と天花、そして叶恵の母である美女――の顔を順繰りに見遣ると、


「キミたちは……。それにこの女性ひと……。――そうか、そういうことか……」


 得心がいったというふうに頷き、


「大丈夫? 怪我はない?」


 優しい微笑を浮かべ、そう言った。


 そう。

 とても優しく――それでいて、どこか切ない微笑を。


 ……それはまるで、旧い友人と思わぬところで再会したような。

 ……あるいは、遠い昔に失くしたと思っていた子供のころの宝物を、押し入れの奥から見つけたような。


 どこか泣いているようにも見える、こちらの胸が締め付けられてしまうような笑顔を。


「っ」


 ……その笑顔を目にした瞬間。

 叶恵は、どくんと、自分の心臓が早鐘を打ったことに気付く。


 自ずと確信する。

 まだ彼の名前すら訊いていないのに。


 自分は……自分、彼のことが大好きになるに違いないと。

 母と同じように。



「ボクの名前は勇魚いさな――くぐい勇魚」



 少年が名乗る。

 案の定、それは昔、母が自分にだけこっそり教えてくれた『初恋のひと』の名前だった。



「キミたちの守人もりびとさ」

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