♯18 EpilogueーChildhood's Endー



「……おにーさん、本当にこれでいいのですか……?」

「……希実のぞみ結芽ゆめ穂垂ほたる銀花ぎんかに、ちゃんとお別れを言わなくてよかったの……?」

「いいんだよ」


 賽の河原の石積みにも似た地道な救出作業を半日かけて完遂し、弟橘媛おとたちばなひめ女学院の教員と生徒を全員無事に送り届けた地上で、生還を喜び合う穂垂や銀花たち、そして抱き合い号泣する希実と結芽の姿を見届けた勇魚いさなは、その足で例の禁足地へと戻ってきていた。


「不可抗力とはいえ今回ボクは派手に動きすぎた。大勢の人間に存在を認知されてしまったからね。……あれ以上あの場に留まっていたら、間違いなく面倒なことになったと思うし」


 原生林と鉄条網に囲まれた広大な空き地の中心で、自分が昨日まで休眠していた氷山を仰ぎ見、しばしの間ぼうっと物思いにふけっていた勇魚は、背後から遠慮がちに訊ねてきた双子に振り返ることなく答える。


「ボクたちの存在があの場にいた人間を介して外部に広まれば、私利私欲のためにボクたちを利用しようとするやからや、このチカラを危険視して排除しようとする輩が現れないとも限らないだろう?」


 何しろこのチカラは、その気になれば人類を支配することも、滅ぼすことも可能なのだ。


「あの女が予告した『その日』まで、ボクは人間社会とは距離を置いたほうがいい。いつかまたこの星をけがそうとする邪悪な連中が現れ、〈ガイアセンチネル〉の出番となる『その日』まで……この魂魄タマシイは人知れず休眠ねむりについているべきだ。ほとぼりを冷ます意味でも、ね」


地球系統ガイア・システム』のチカラを使って別人の姿を借りれば、ひょっとしたらヒトの世に紛れて生きていくことも可能かもしれないが。

 しかし、そうしたところで、この地球の上に自分の居場所が無いことに変わりはない。


「でも……、あの女も言ってしましたが、『その日』が来るのは半年後や十年後かもしれませんが、いっぽうで百年後や千年後の可能性だってあるのですよ?」

「そのとき、希実や結芽たちが存命とは限らない……。これが今生の別れになるかもしれないんだヨ? 次に目覚めたとき、おにーちゃんが知っている人間は誰一人いないかもしれないんだ」

「……そう、だね。でも、もう決めたことだから」


 それは二十四年前にも覚悟したことだから。


「もう二度と逢えないかもしれないと思っていた『妹』の一人に、また逢えた……。それだけで良しとするさ。心残りがあるとすれば、現在いまは本土で暮らしているらしい瑞穂みずほ風花ふうかの姿も一目見ておきたかったってことくらいカナ。……でも、まあ、あの二人にまで拒絶されるのは辛いものがあるし……これはこれで良かったと考えよう」

「おにーさん……」

「おにーちゃん……」


 負い目を感じているのだろう――白と朱のころもの裾をぎゅっと掴み、きつく唇を噛み締め俯いていた双子は、


「たとえこの先、何百年、何千年経とうと、あたしたちはずーっとずーっとおにーさんの傍にいますです……。この氷山の前で、共に『その日』を待ち続けますですよ」

「わたしたちはこれからもずーっと変わらないヨ。この胸の想いと同じく。たとえ長期にわたる魂魄の休眠スリープモードが、おにーちゃんからわたしたちとの想い出をまた奪ってしまってもネ……」


 そう、『あの日』と同じことを言って、こちらの腰にぎゅっと抱き着いてくる。


「テルル……レア……」


 勇魚は振り返って双子を抱き締めたい衝動に駆られたが、それをしてしまうと決意が鈍りそうだったため辛うじて思い止まった。


「さて……こうしていても仕方ないし。そろそろ――」

「………………! おにーさん」

「………………見て、おにーちゃん」

「え?」


 双子に促されて、そこで初めて氷山から目を離し振り返った勇魚は、彼女たちの視線の先、ここから五十メートルは離れている原生林の樹々の合間に、思いがけないモノを発見して目を瞠った。




「勇魚ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

「勇魚さぁぁぁんっ!」

「勇魚くん……!」




 そこには、手を振りながら懸命に駆けてくる、弟橘媛女学院の校章が入った白と臙脂えんじのジャージに身を包んだ女の子たちの姿があったのだ。

言うまでもなく、結芽、穂垂、銀花の三人である。


「キミたち、どうしてここに⁉」


 目の前までやってきて、ぜーぜーと息を切らしている三人の女の子に問い掛けると、


「おまえの姿が見えないことに気付いて右往左往していたわたしに、母様が教えてくださったのだ。おまえのことだから、ヒトの世に余計な混乱を招かないよう、また戦うべきときが来るその日まで、ここで長い眠りにつくつもりに違いないと……。だから、ここまでの道案内を母様にお願いして……」


 顔を上げた結芽から、そんな意外な答えが返ってくる。


「教えてくれた? 希実のぞみ……キミのお母さんが? それに道案内って……。でも彼女は、」


 ――愛娘とその縁者たちが、くぐい勇魚という宇宙人、非日常的な存在と関わりを持つことを、快くは思っていないはずでは……?


「!」


 言葉にしかけたそんな疑問を、勇魚が実際に紡ぐことはなかった。

 視界に、遅れて樹々の合間から姿を現したカーキ色のブラウスとカーゴパンツに身を包んだ『妹』の姿が映ったから。




「………………」




 希実もこちらに気付いたようで、迷うような素振りを見せつつもその場で歩みを止めると、それ以上は近付いてくることなく、じっ……と見つめてくる。


「希実……」


 やがて彼女は、思いつめたような顔でほんの少しだけ唇を動かし、何かを言いかけ……けれど躊躇ためらうように口をつぐむと、無言で深々とお辞儀をした。


「っ」


 ……それだけで充分だった。

 ……それだけで報われた気がした。

 目覚めた意味はあったと――再会できて良かったと、心からそう思う。


「ねえ勇魚さん、どうして黙っていなくなっちゃうの⁉ せっかく仲良くなれたのに!」

「そうだよ、勇魚くん。これからもずーっとあたしたちの近くにいて?」


 そう言って、穂垂はこちらの右脚に、銀花は左脚にひっしとすがりついてくる。


「そうだぞ、勇魚! おまえが何を不安に思い、何を恐れているのか、わたしにも察しはつく。だが安心しろ! 葉加瀬はかせグループの影響力ちからでわたしが必ずおまえを護ってやる! それにわたしは……わたしたちは、絶対におまえを嫌いになどならない! 大人になっても、ずーっとずーっとおまえを大好きでいるから! だから……だから……っ!」


 結芽もまた瞳から大粒の涙をボロボロと零し、こちらの腰に腕を回して縋りついてきた。


「穂垂……銀花……結芽……」


 ……充分以上だった。

 もうこれ以上、望むことなど何も無かった。

 何ひとつ。


「……ありがとう、三人とも」


 だから。

 勇魚はその場に片膝をつくと、両の腕の大きく広げ、三人のいとをそっと抱き寄せる。


「キミたちに出逢えてよかった」


 ……二十四年前、こんなふうに泣きじゃくる彼女たちの母親にそうしたように……。


「ケド、ごめんね。ボクはキミたちと一緒にはいられないんだ」

「! なんで――」

「キミたちは、帰らなくちゃダメだから。元いた日常へ。ボクのような非常識な存在とは無縁の、退屈だけど穏やかな日々へ……ね」

「そんな……。でも、それじゃあ、おまえにとっての救いはどこにあるんだ……?」

「……結芽?」

「おまえは宇宙人で……オバケみたいなモノで……仲間とはぐれた迷子だ。わたしたちを護るために戦う義務なんてなかったはずだろう……。それなのに戦ったくれたおまえにだって、何かひとつくらい救いがあってもいいじゃないか」

「結芽……」

「あんなに頑張ってくれたのに……。昨夜、あんなに淋しそうな表情かおをしていたくせに」

「……………」

「これじゃあまるで故郷のために戦ったのに裏切られ、最後は孤独な死を迎え白鳥となって飛び去るしかなかったヤマトタケルみたいじゃないか。広い海をいつも独りぼっちで泳ぎながら、それでも自分を励ますように歌い続けるしかない『52ヘルツの鯨』みたいじゃないか」




 ――『ねえ、兄様! 兄様の「鵠」という姓は「白鳥」を意味するらしいけど、「勇魚」という名にも「鯨」という意味があるんでしょう? あのね、この星には「52㎐の鯨」って呼ばれている鯨さんがいるんだって! ねっ、瑞穂!』


 ――『うん、希実! そんでねそんでねっ、その鯨くんが泳ぐコースはねっ、他のどんな鯨とも違っていて、しかも仲間の鯨たちとは、別のしゅーはーすー? で歌っているんだって! そんで、広い海をいつも独りぼっちで泳いでいるんだよ! おぃ、知ってた?』


 ――『……だからそのコ、「世界で一番孤独な鯨」って呼ばれているんだって。……可哀相だよね。宇宙人のお兄ちゃんですら、独りぼっちなんかじゃないのに。だって、ほら、お兄ちゃんには風花たちがいるもんね?』




「……救いなら、ちゃんとあるさ。ここに、ね」


 いつだったか、『妹』たちと交わしたやりとりを思い出しながら、勇魚は駄々っ子のようにをかぶりを振って縋りついてくる結芽をそっと引き剥がす。

そして、幼さこそ残るものの既に美人と言っていいその顔を……涙でべしょべしょになったほっぺたを、両の掌で包み込んで微笑みかけ告げた。


「ボクが護った日常で、無事大きくなったキミたちが、夢を叶えたり、偉業を果たしたり、大好きになったヒトと結ばれて温かな家族を作ったり、毎日を笑顔で過ごしたり……そういった幸せを掴んでくれたなら、それこそがボクにとっての救いとなるんだよ」


 ……そうだ。

 瑞穂と風花、そして希実が懸命に生きて、幸せを掴んだ証とも言えるこの子たちの存在それ自体が、自分にとっては既に救いなのだ。

 鵠勇魚という異分子、52㎐の鯨にとっての救い。


 ……ちっとも淋しくない、なんの未練もないと言えば、それは嘘になるけれど。

 でも、自分はもうこの子たちから沢山のモノを貰ったから。

 これ以上、何も要らないから。


「さあ、下がって。三人とも、もう戻りなさい。希実のところまで。今、彼女がいる場所こそが日常と非日常のあわい。境界線だ。……キミたちはこちら側へ来てはいけないよ」


 そう言って勇魚がみっつの頭を順番に撫でると、愛し子たちはこちらの想いを汲み取ってくれたらしく、溢れる涙をゴシゴシ乱暴に拭うと、コクリと頷きながら一歩、また一歩と下がっていった。

 ゆっくりと。

 名残惜し気に。

 かつて、勇魚の『妹』だった女性の傍らへと。


 それを見届けた勇魚は、今一度深々とお辞儀をする希実に頷くと、後ろ髪を引かれながらも氷山へと向き直り、


「……おやすみなさい。おにーさん」

「……せめて、いい夢を。おにーちゃん」


 必死に涙をこらえて頬笑む双子のそんな声を聞きながら、『地球系統(ガイア・システム)』のチカラによる受肉・顕現を解除する。


……そして。


 ゆらゆらと揺らめく白い鬼火――魂魄タマシイだけの状態に戻った勇魚は、空中をふわふわ漂い移動すると、愛し子たちが見守る中、氷山へ吸い込まれるように消えた。


 守人もりびとは今再び休眠ねむりについたのだ。




「きっと……きっとまた逢おうな、勇魚」

「優しい優しい宇宙人さん。……強くて孤独な鯨さん」

「……あたしたちの……初恋のひと……」




 愛し子たちの小さな胸、幼年期の1ページに、失恋という甘くほろ苦い想い出を刻み。


 少しだけ彼女たちを大人へと近付けて。



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