♯13 永遠の存在者①  だからノーコメントだってば!(後編)


「「「「「「「「「「っ」」」」」」」」」」


 ……謎の生徒の挑発するような不遜な物言い、生理的嫌悪感を覚えずにはいられないノイズめいた声音に、結芽や穂垂、銀花を始めとする講堂内にいた人間全員の背筋が凍る。

 何かが、激しい警鐘を鳴らす。


『今すぐ逃げろ』

『あれは「良くないモノ」だ』

『このままだと死ぬぞ』――と。


 ……だが、全身がおこりのように震え、脚が竦み、立ち上がることはもちろん呻くことすらままならない……。


「そ――れは、どういう意味です……?」


 それは長く生きた学院長とて例外ではないらしく、額に脂汗を浮かべ、無意識のうちに後退りながら発せられた声は、みっともないほどかすれていた。


「くふっ。くふふふふっ! 本当はぁ、わかってるくせにぃ。あれがぁ、ヒトの手による犯行じゃあないことくらいぃ。あなたたちだってぇ、薄々は察してるはずよぉ? わたくしぃの姿を一目見た瞬間にぃ。今まさにぃ、異常なことが起こりつつあるってぇ。下等生物なりにぃ。本能ってヤツでねぇ」


 そう言って、壇上に立つその生徒――姿は、階段席をグルリと見回す。

 そのとき初めて、結芽はそのナニカの容姿、全貌を確認することが出来た。

 頭の左右で赤いリボンによって結わえられた、いっそ『どす黒い』と形容すべき黒髪。

 まるで欲情しているかのように妖しく潤む、遠目にもハッキリわかるほど鋭い真紅の双眸。

 それでいて肌の色は不自然なほど青白く、鮮血のように真っ赤なルージュがひかれた蟲惑的な唇からは鋭い犬歯がチラリと覗いている。

 年のころは今この場にいない宇宙人の少年と同じか、少し年上。せいぜい十七、八歳だろう。

 ……あくまでヒトならば、だが。


「くふっ。くふふふふっ。くふふふふふふふふ――」


 その三日月のような禍々しい嘲笑といい、どこか人間離れした美貌といい、全身から醸す剣呑な雰囲気といい、明らかに普通の存在ではなかった。

 不吉。凶兆。災禍。邪悪。

 そういった負のイメージの具現化だと言われたら、納得してしまいそうなほどに。


「だ――誰です、あなたは⁉ ウチの生徒ではありませんね⁉」


 それまで緞帳の裏に控えていた近重このえが異常を察知して飛び出し、学院長を背中に庇いつつ、震える声でナニカへ誰何すいかする。


「わたくしぃ? そうねぇ……。宇宙間集合無意識アカシックレコードに残されしぃ第0宇宙の記録、オリジナルの地球の人間が生み出した概念の中からぁ、最も近しいモノを挙げるならぁ、」


 ナニカは顎に指を当てて、少しだけ考えるような素振りをして見せてから、




「――『這い寄る混沌』。その眷属といったところかしらぁ?」




 ニヤリ、と。

 口角を吊り上げ、そう答えた。


「……は? こんとん?」

「くふふっ、冗談よぅ。……半分は、ねぇ☆」


 そう言ってケタケタと嗤うナニカ、その姿が、突然ぐにゃりと歪む。


「「「「「「「「「「えっ⁉」」」」」」」」」」


 その場にいた人間の大半がゴシゴシと目を擦って注視する中、ナニカが纏っていた桃色の着物と紺色の袴がたちまち風化、砂礫されきのように崩れ落ちた。

 弟橘媛おとたちばなひめ女学院の制服の下から現れたのは、乾いた血のように赤黒い、どこか喪服のような印象を受けるドレスだ。


「な……何、今の? どういう仕掛け? 私は夢でも見ているの……?」


 唖然とする近重。


「くふふっ! おのまなこに映ったモノさえ受け入れられないなんてぇ……。なぁんて可哀相な生き物なのぉ。下等! あまりに未熟だわぁ! ――まぁあ? そうでないとぉ、からぁ、別にいいのだけれどぉ♪」


 そう言ってナニカは空中にふわりと浮かび上がると、「と、飛んだ……?」と絶句する教員勢や茫然自失したままの生徒一同を眺め回す。


「それにしてもぉ、あなたたちの魂魄タマシイはぁ、どれもこれも綺麗ねぇ☆ こぉんなに美しい魂魄タマシイがぁ一度に手に入るなんてぇ! わたくしぃってばぁ、とぉぉぉってもラッキー☆ 

「………………!」


 その言葉が意味するところに気付けたのは、結芽だけだった。

 だから――叫ぶ。

 弾かれたように立ち上がり。大きく息を吸って。

 原初的な感情――死への恐怖に駆られ、すくむ者たちを、呪縛から解き放つために。


「アイツは化け物だっ! 逃げろぉぉぉぉぉ!」


 それを引き鉄に。


「「「「「「「「「「っ、きゃあああああああああああああああああああああああああっ!」」」」」」」」」」


 生徒たちの悲鳴が爆発のように膨れ上がり、講堂内の空気を震わせた。

 我に返った生徒たちは最上段にある出入り口の観音扉へと雪崩れ込むように殺到、

 そして、その先頭が扉の取っ手へ触れる寸前に、


「逃ぃぃぃがぁぁぁすぅぅぅワケがぁぁぁぁぁ、なぁぁぁいでしょぉぉぉぉぉっ!」


 ナニカが咆え――直後。




 講堂の床が陥没した。




 それはもはや崩落、あるいは消失と呼ぶべき事象だった。

 なにしろ床全面が階段席ごと粉微塵となり、漏斗じょうごを滑り落ちていくように、渦を描きながら沈み込んでいったのだ。

 まるで講堂の真下にブラックホールでも出来たかのように、


「「「「「「「「「「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」」」」」」」」」」


 それはまるで巨大なアリジゴク。

 這い上がることはもちろん踏ん張ることすらままならない――


「! あれは……⁉」


 他の生徒たち同様、成すすべなく陥没に呑み込まれていく最中、結芽はただ一人に気付く。

陥没の中心、渦の奥底で、ヒトの身の丈ほどもありそうな細長いモノがふたつ、わきわきと不気味に蠢いていたのだ。

いな、手というよりはむしろ――


あぎと……⁉」


 瞬間、悟る。

 

 だが、こんな化け物じみたサイズのアリジゴクなど聞いたことがない。

 また、仮にあのアリジゴクがこの講堂の真下に広大な空洞を作り、それによって建物を自重で倒壊せしめたのだとしても、床や基礎を粉微塵にした方法までは、皆目見当がつかなかった。

 考えられるとすれば――


「あのアリジゴクには何か普通のアリジゴクには無い能力がある……つまり改造されている? ……誰に? あの女か? まさか昨日のトンボの化け物も……」


 そのとき。

  空中からこちらを見下ろすナニカと、目が合った。

合ってしまった。


 ――見・ツ・ケ・タ


 それまで三日月のごとき禍々しい笑みを浮かべていたナニカの唇がそう動いたのがわかって、結芽は「ひっ――」と悲鳴を上げる。

 ゾクリと、背筋を悪寒が奔る。

 聞かれた。さっきの独白を。この崩落の音と悲鳴の洪水の中で。

 

 間違いない――手段は不明だが、あの女は、昨日あの海上で起こったことをすべて見ていたのだ!


「怖い……。怖いよぅ……。誰か助けて……」


 結芽の中で、それまで麻痺していた感情が――恐怖が噴出し、そのまま一気に爆発する。


「助けて母様!」


 瞳に涙を浮かべ、叫ぶ。

 救いを求める。

 真っ先に、大好きな母へ。

 そして、


「助けて――勇魚ぁ!」


 そのまま地中へと引き摺り込まれ、気を失う直前、結芽が最後に目にしたのは、


「くっふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ――」


 こちらを見下ろし不気味に笑うナニカと。




「「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」」




 バン! と。


 出入口の観音扉を開け放ち、文字どおり飛び込んできたふたつの人影――白無垢や巫女装束を彷彿とさせる白と朱のころもを身に纏った双子の姿だった……。


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