♯12 52㎐の鯨⑤  コメントは控えさせていただきます(後編)


「こんな朝早くからここへ来るなんて、何か火急の用件でも?」


 希実の問いに、結芽はかぶりを振って「いえ」と答える。不自然なまでに淡々と。


「火急と言うほどではありませんが、早めにお伝えしておきたいことがありまして」

「何かしら?」

「先程、朝食の席で伝えられたのですが、くぐい勇魚いさなは昼前にはここを発ち本土へ渡るそうです」

「! そんな! もう⁉」

「……何をそんなに慌ててらっしゃるのですか?」

「そ、それは……その……、まだロクにおもてなし出来ていないのに、」

「ええ。もちろん、わたしもそう言って引き留めたのですが。しかし、連れの双子が言うには何やら本土でやらなければならないことがあるとかで」

「! やらなければならないこと?」

「はい。なんでも、勇魚にしか出来ないことらしく」


 もしやそれは……。

 だが、そういうことならば……。


「そう。なら――仕方ないわね」

「ええ。ですので、母様からアイツに伝えておきたいことがあるのでしたら、急いだほうがよろしいかと」

「………………」


 娘の言葉に逡巡する。

 が、希実は頭を振って、


「ありがとう。でも今、立て込んでいて手を離せないの。見送りも出来そうにないから、あなたからよろしく伝えておいてくれる?」

「……よろしいのですか? 勇魚とちゃんと話をしておかなくて。。積もる話もあるのでは?」

「………………っ⁉」


 結芽の言葉に、息を呑んだ。

 同時に、遅まきながらも気付く。

 こちらを見据える結芽の責めるような眼差し、身内の非を咎めるような冷たい声音に。


「旧知の間柄なのでしょう、母様と勇魚は。母様は子供のころ、アイツに会ったことがあるのでは」


 その刺々しい口調は、こちらの首を斬り落とすために振り下ろされた刃のようで。


「ど……どうしてそれを、」

「昨日母様はあのように仰いましたが、わたしたちが巨大なトンボに襲われ、勇魚の不思議なチカラで救われた話が事実であると、本当は確信していたのですよね? だからこそ、勇魚たちをここに招くことに反対しなかったのでしょう?」

「……彼から聞いたの? 四半世紀前、の前に再び現れ襲い掛かってきた〈太母〉グレートマザーから、私たちを護ってくれた彼は、そこから〈太母〉グレートマザーとの戦いに決着がつくまでの半年の間、私の家の離れに身を寄せていたことを」

「いいえ」


 観念した希実が溜め息混じりに認めるも、結芽はアッサリと否定して、


「アイツの口からは何も。〈太母〉グレートマザーという名も今初めて耳にしました。……昨夜の母様と勇魚の様子を見て、もしやと思ったに過ぎません」

「カマをかけたの⁉」

「はい。……それと、今のやりとりでわかったことがもうひとつ」

「えっ?」

「今『私たち』という言いかたをしたということは、母様の他にも勇魚と会ったことがある人物がいるのですよね? 察するにそれは、穂垂ほたる銀花ぎんかのお母さん――現在いまは本土に住んでいらっしゃる瑞穂さんと風花さんなのではありませんか?」

「……どうしてわかったの?」

「もしもそうなら、勇魚がわたしと穂垂、銀花にはダダ甘なことに納得がいきますから」

「ダダ甘?」


 どういうことだろう、それは。


「……あなたたち、彼に何をしたの?」

「別に大したことは何も。昨夜、同じ部屋で寝たいと駄々をこねてみたり、寝る前に枕投げに付き合ってもらったり、寝るとき腕枕をしてもらったり。それくらいですよ」

「何をやってるのあなたたちは! 寝間着を届けたらすぐに自室へ戻れと言ったでしょう⁉ 男女七歳にして席を同じゅうせず、という言葉もあるのよ」

「そう言う母様たちだって、昔は勇魚に甘えまくっていたのでしょう?」

「そ、そんなことありませんっ」

「声が上擦ってますよ」

「流石に夜に同衾、しかも腕枕まではしてもらってません! せいぜいお昼寝の際に膝枕してもらったことがあるくらいです!」

「違いが微妙すぎる……よくそれで力説できますね……」


 結芽の視線がますます冷たくなる。


「――とにかく! 我儘わがままを言うわたしたちに厳しく接そうと振る舞うもついつい甘やかしちゃう勇魚のあの感じは、なんといいますか、そう……姪っ子に対する叔父のそれを彷彿とさせましたので。勇魚と、当時小学生くらいだった母様たちは、なんらかの関わりがあった――もしかしたら『兄妹』のような関係性を築いていたのかもしれないと、そう察した次第です」

「叔父なんていないくせに、何わかったようなことを言っているのよ」


 この行動力と大胆さは誰に似たのやら……と希実は頭を抱えてしまう。


「でも、まさか娘に見抜かれるなんて……。そんなに態度に出てた?」

「あれで隠せているつもりだったのなら、そっちのほうが驚きです。母様に比べれば、勇魚のほうがまだいくらか自然体をよそおえていましたよ」

「そんな……。私たちから見ても朴念仁と甲斐性なしを足して二で割ったような男だった彼よりも、不自然な態度になってしまっていたというの?」

「当時まだ小学生だった女の子にそんな印象を抱かせていたって、どんだけなんですかアイツは。……まあ確かに、下手に惚れたらいろいろ苦労させられそうな男だとは思いますが」


 何かを思い出し、遠い目でツッコむ我が子に、希実は「まだ子供のくせに甘いも酸いも噛み分けてきたようなことを言うわね……」と溜め息をついて、


「それで? 結局のところ、何が言いたいの?」

「っ。せっかく二十四年もの刻を経てようやく再会できたのに! 何故ちゃんと『妹』として勇魚と向き合ってやらないのですか⁉」


 バン! とプレジデント・デスクを両手で叩き、結芽は身を乗り出しておのが母をそしる。


「宇宙人であるアイツにとって――この地球のどこにも故郷や居場所が無いアイツにとって、母様たちとの想い出、きずながどれだけかけがえのないモノなのか想像できないワケではないでしょう⁉ アイツにとっては、母様たちと一緒に過ごした半年間だけが唯一ののはず! なのに、何故⁉ 何故、あんな素っ気ない態度を取るのですか⁉」

「……それはね、私たちにとってあの半年間は、幼き日の過ちでしかないからよ」


 その言葉に。


「あやま……ち?」


 結芽は息を呑み、一歩後退ってから、震える声でオウム返しした。


「過ちって……。勇魚と過ごした日々――アイツを兄のように慕ったことが……?」

「そう。結芽、あなたはまだ子供で、常識や分別が足りない。良く言えば純真無垢、悪く言えば無知蒙昧なの。現実や世間というモノを知らない。戦争なんかしてなんの得があるのかと不思議がる子供そのもの。――いい? 彼の人間性、危ないところを助けてもらった恩義はいったん忘れなさい。そして冷静になって、常識で考えてみるの」


 希実は立ち上がって結芽の目の前まで移動すると、しゃがんで目線の高さを合わせ、娘の肩に手を置く。


「『別の地球の人間』と言えば聞こえはいいかもしれないけれど、でも、要はエイリアンよ? オバケやUMAユーマと同じ非常識な存在。偶々たまたま肥大化した脳や無数の触手を持っていない、私たちと同じ姿形をしたしゅだったというだけ。だけど宇宙人であることに変わりはないわ。オマケにこの宇宙における彼は本来魂魄タマシイだけの存在で、あの肉体も仮初かりそめのモノでしかない……。エイリアンであると同時にオバケでもあるの。――ね? そう聞くと、気味が悪いでしょう?」

「でも! 勇魚は誘拐犯やトンボの化け物からわたしたちを助けてくれました! 話だって通じるし、その人柄も信用できると思います! それに、母様はいつも仰っているではありませんか! ヒトとの紲を大切にしろ、恩を仇で返すような真似はするなと! それなのに、」

「……それは相手が同じ地球人のときの話よ。何度も言うようだけれど、彼は所詮宇宙人なの。同じ星で生まれた人間同士ですら、髪や肌の色、信じる神様が違うというだけでわかり合えず殺し合うことがあるのに。どうしてそんなモノを受け容れられるというの?」

「っ。……今、確信しました」


 結芽は唇を噛み、キッと希実を睨む。


「瑞穂さんが例の亡霊騎士の絵本を描いたのも、風花さんがそれをわたしにプレゼントしてくれたのも、母様が物心ついたばかりのわたしに毎晩それを読んで聞かせたのも! 全部、それが目的だったのですね!」

「……それとは?」

「トボけないでください! 母様たちは絵本を使って、亡霊騎士――勇魚が危険な存在だということをわたしたちに吹き込みたかったのでしょう!」


 そう――万が一自分の娘が『自分がかつて出逢った超常的存在』と邂逅してしまったときは、絵本の内容を思い出し『コイツがあの亡霊騎士に違いない、心を許してはダメだ』と考え、関わるまいとする、そんな子供に育つように。


「………………」

「母様たちは子供のころ、勇魚に護ってもらったにもかかわらず、真実とは真逆の物語を生み出した! 恩人であるはずのアイツをわざとおとしめたんだ!」

「……じゃあ、どうして私たちがそんな真似をしたか、わかる?」

「それは……、宇宙人である勇魚を、母様たちは大人になるにつれて不気味に感じるようになってきたから……、アイツとわたしを関わらせまいと……」

「………………。そこまでわかっているのなら、これ以上の問答は無意味ね。あなたの推測は正しいわ。私はもう彼と関わるつもりはないし、あなたにもそれを許すつもりもない。諦めなさい。どのみち、彼はもうすぐここを発つのだし」

「……失礼します」


 結芽はギリッと歯ぎしりをして己が母を睨むと、そのままきびすを返して退室しようとする。

 その背中に、希実は訊ねた。


「ねえ結芽。何故、彼に肩入れするの? どうしてそこまで……」

「………………」

「窮地を救われたとはいえ、知り合って二日目の相手に。それも、あんな胡散臭い存在に。この私に楯突いてまで。いったいどうして、」

「………………母様は、昨夜いなかったから……。だから、平気でそんなことが言えるんだ」

「えっ?」




 ――『彼女たちは大人になるよりもずーっとずーっと早く……ボクとのお別れからさほど時間が経たないうちに、「どうしてかつての自分は、親に反発してまで、あんな得体の知れないモノを慕っていたんだろう?」って、後悔するようになったのかもしれないな……』

 ――『……それもまた「仕方がないこと」か』




「そう言って自虐するように笑ったアイツを……あの淋しそうな顔を見ていないから……」

「………………!」

「母様。葉加瀬はかせグループの支援があったとはいえ、こと、わたしは心から感謝しています。もちろん尊敬も」

「結芽、」

「ですが、この件ばかりは譲れません。あなたがなんと言おうと、わたしは鵠勇魚という一人の『人間』を信じます。――だって、」


 結芽はそこでいったん言葉を切ると、頬に紅葉もみじを散らし、少し照れくさそうに笑って告げた。


「わたし自身、今さっき気付いたのですが、どうもわたしはアイツをメチャクチャ気に入っているようなので」




 ――『母様の意地悪! どうして兄様と会っちゃダメなの? 私は兄様が大好きなのに!』




「結芽……あなたまさか、」


 娘の向こうに昔日の己の姿を重ね合わせた希実は息を呑む。


「それでは失礼します」

「……待ちなさい!」

「これ以上まだ何か?」

「っ」


 振り返った結芽の眼差し、そこに宿った揺るぎない意志に、希実は喉まで出かかった言葉を呑み込んだ。

 呑み込まざるを得なかった。

 今の結芽に『親の気持ち』など関係ないことは、昔の自分が証明していたから……。

 そう。今の結芽に理屈は通じない。

 結芽の中に芽生えた感情それ自体が、理屈で語れるようなモノではないのだから。

 かつての自分もそうだったから、わかる。

 もしかしたら、結芽だけでなく、友人の娘たち――穂垂と銀花も……。


「……血は水よりも濃い、か……」

「え?」

「なんでもないわ。――聞きなさい、結芽。もうすぐ全校生徒へ校内放送で指示が出るはずよ。『帰省していない生徒は直ちに講堂へ集まるように』と」

「講堂に? こんな朝早くから?」

「そう。学院長から重要なお話があります。あなたもすぐに講堂へ向かいなさい。いいわね」

「……わかりました」


 結芽はどこか腑に落ちない様子のまま頷くと、一礼をして退室する。


「………………」


 それを無言で見送った希実は、チェアへ戻って腰を深く沈めると、掌で顔を覆い力なく項垂れた。

 そしてデスクの引き出しをもう一度開けて、そこに仕舞われていたひとつの写真立てを手に取ると、収まっていた古ぼけた写真を見つめる。

 そこには未宇たちとの写真を撮ったときよりも少しだけ大きくなった自分と、瑞穂、風花の三人に加え、が写っていて。

 その集合写真の、中央に映った少年の笑顔を見つめ。


「……こんな思いをするくらいなら、いっそ出逢わなければよかった。……好きになんか、ならなければよかった……」


 希実は、もう二度と取り戻すことの出来ない愛おしい日々を思い出し、迷子のような嗚咽を漏らすのだった……。


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