♯12 52㎐の鯨⑤  コメントは控えさせていただきます(前編)

 

 翌日――五月五日の早朝。


 私立弟橘媛おとたちばなひめ女学院の本部施設――通称『教員棟』の最上階フロア。龍涎香りゅうぜんこうが焚かれ、シャンデリアの灯りが壁に掛かった名画を照らす、豪奢な理事長室で。


「それで? 昨夜の報告以降、何か新しい情報は入ったの?」


 理事長である希実のぞみはマホガニーのプレジデント・デスクを指でコツコツと鳴らしながら、招集をかけた幹部たちへれったそうに問い掛けていた。


「いえ。残念ながらまだ何も」


 おそらくは徹夜で情報収集に励んでくれたのだろう、目の下にくまを作り、顔に濃い疲労の色を浮かべた事務局長――近重このえかぶりを振って代表し答える。


「現時点で当局や当該生徒のご家族から得られた情報はごく僅かです。ゴールデンウイークを利用して本土の実家に帰省中だった生徒たちが、ここ二晩の間に十人も姿を消したこと。彼女たちの帰省先は北は北海道から南はまで多岐にわたり、年齢についても年少したは幼等部から年長うえは高等部までとまるで一貫性が無いこと。また、姿を消したタイミングも入浴中や就寝中、自室で勉強中と様々で、消えた瞬間の目撃者はいないこと……」

「『ほとんど』? 逆に言うと、多少はいるということ?」

「はあ、それが、そのぉ……」


 近重は言いにくそうに言い淀み、


「一昨日、京都にある実家で姿を消した中等部の成宮なるみやさんの御母堂の証言なのですが……」

「何?」

「なんでも成宮さんが夕食を終えて自室へ戻ろうとしたときに、そうでして……、んだとか……」

「「「「「………………」」」」」


 重苦しい沈黙。


「……ああ、そういえば昨夜もそんな報告を受けたわね。ならやはりウチの生徒たちも、近頃本土を騒がせているに巻き込まれたということ……?」

「それは……」

「馬鹿馬鹿しい! 今時分に神隠しなど……本気でおっしゃっているのですか理事長! それに事務局長もです! そんなモノ、成宮さんの御母堂の狂言に決まってますわ!」


 言い淀む近重の隣で、警備局長を務めている若い女性職員が憤慨する。


「現に警察も一連のについては犯罪シンジケートによるものと見て捜査を進めているそうじゃないですか! 当学院の生徒たちもヒトの手で攫われただけに決まっています!」

「狂言? なんのために?」


 それに異を唱えたのは、そろそろ初老にさしかかろうかという学院長だった。


「嘘をついて、成宮さんの御母堂になんの得があるというのです? まさか成宮さんのお家が犯罪シンジケートと裏で繋がっていて、自分の娘を攫わせたとでも?」

「い、いえ、そういうワケでは……」

「だいたい、嘘をつくのならもう少しリアリティのある嘘にしませんか? 成宮さんの御母堂は高名な書道家です、そのような方がつく嘘にしてはいくらなんでもお粗末過ぎるでしょう」


 彼女は次いで希実のほうへ向き直ると、


「それと、近頃の報道で皆さんももうお気づきでしょうが、消えているのは当学院の生徒だけではありません。政府筋からの情報によれば、なんでもここ一ヶ月の間に国内で消えた子供の数は百に及ぶとか……。報道管制が敷かれているようで、具体的な被害者数はまだ大っぴらにはなっていませんが」

「「「「「百⁉」」」」」

「しかもこの国以外でも同様の事件が起こっているようです。子供が行方不明になったことを報じるニュースの数が世界各国で増えています。現に、姿を消した当学院の生徒の中には、で家族とバカンス中だった者もいるのですから」

「っ。……この星でいったい何が起こっているの……?」


 眩暈を覚えて、希実は革張りのチェアに深く身を沈め目を掌で覆う。


如何いかがなさいますか、理事長」

「……事務局長。念のため確認するけれど、帰省せず当学院に残っている生徒の中にこのゴールデンウイークの間に消えた者は一人もいないのよね?」

「はい。今朝がた各寮の寮長が点呼を実施した時点では、所在不明の者はおりませんでした」

結芽ゆめは? あの子もちゃんと寮にいた?」

「はい。ちょうど点呼を始めたタイミングで、ご友人がたと一緒に玄関のほうからいらしたと報告を受けています。なんでも外でラジオ体操をなさっていたとか」

「玄関のほうから……? しかも友人たちと一緒に?」


 眉を顰め、「まさかあの子たち……」と唸る希実に、警備局長が身を乗り出し詰め寄る。


「ご安心ください理事長! 当学院の警備体制は万全ですわ! たとえ相手が犯罪シンジケートだろうと、当学院に侵入することは絶対に不可能です! ましてや誘拐など!」

「……つい先日、不法侵入した盗撮魔が生徒自らの手でボコボコにされたばかりなのだけれど?」


 しかもニュースにまでなってしまった。


「うっ」

「まあ、いいわ。今は私たちに出来ることをしましょう」

「では、昨夜、臨時職員会議で決めたとおり、まずは生徒を講堂に集めて注意喚起するということでよろしいですね?」

「ええ、お願いします学院長。――ちなみに現時点で何人の生徒がここに残っているの、事務局長?」

「事務局で把握できている未帰省者の数は百十七人。在籍数の一割ほどです」

「そう。ほとんどの生徒が帰省しているのね……」

「仕方ありませんよ。ウチは全寮制ですから、ご家族と一緒に過ごせる機会はそう多くありませんし」

「確かにね」


 希実は小さく嘆息し、しばし考えてから、


「――では大変だろうけれど、事務局は帰省した生徒のご家庭にも一軒一軒注意喚起の電話を入れてあげて頂戴。曜日の関係で今年のゴールデンウイークは明々後日しあさってまで続くから、どんなに早くても明日くらいにならないと生徒たちは戻ってこないでしょうし」

「しかし理事長。そうは仰いますが、具体的にはどのように注意喚起すればよろしいのでしょう? 『床に穴が開いて変な手に引き摺り込まれるかもしれないから気を付けろ』とか?」


 ……ヤバい薬でもキメているのかと思われそうだ。

 近重の補佐を務めている事務局職員の質問に、希実は少し考えてから頭を振った。


「そうね……残っている生徒たちには『今、大規模な犯罪シンジケートが各地で動き回っているから、決して敷地から出ないように』とだけ話しておきましょう」

「帰省中の生徒のご家庭には?」

「基本的にはそちらも同じように。それと『可能な限りお子さんから目を離さないように』とも」

「わかりました。……まあ、あまり現実味の無い話をして、真剣に受け取ってもらえなかったら元も子もありませんしね」

「ええ。もっとも、各々のお宅が独自の情報網を持っているはずだから、中には私たちなどよりも余程正確に現状を把握しているお宅もあるでしょうけれど」

「一軒一軒に、それとなく探りを入れてみましょうか」

「そうね。あと、警備局は直ちに厳戒態勢を敷いて頂戴。――ありとあらゆる可能性を想定して、ね」

「「「「「はい!」」」」」


 希実の指示に近重以外の全員が一礼して足早に退室する。


「どうしたの事務局長? あなたも早く行きなさい」

 一人残った従妹いとこへ希実がいぶかしみ訊ねると、彼女は躊躇ためらいがちにこう訊ねてきた。

「理事長。いえ――希実。あなた、さっきの話をどう思う?」

「どうって? 何が?」


 役職ではなく名前で呼んでくる従妹に、希実は彼女がオフレコの会話をしようとしていることを察する。


「例の、不気味な手のようなモノに穴の中へ引き摺り込まれて云々うんぬんの話よ。あの話、あなたは信じてるの? それとも疑ってるの?」

「……何故そんなことを訊くの? 常識で考えて、与太話以外の何物でもないじゃない」

「確かにそのとおりね。……でも、いいトシして何言ってるんだって感じだけれど、『もしかしたら全部本当のことなんじゃ?』って、私にはそう思えてならないのよ」

「……どうして?」

「たぶん、昨日の今日だからかしら」

「? どういうこと?」

「昨夜、あなたがウチにお招きしたお客様――あの男の子と、双子の女の子」

「っ」


 ドキリとする。


「彼らを一目見た瞬間、ふと思い出したの。子供のころ、あなたから聞いた不思議なお話を。あなたが兄のように慕っていたという宇宙人さんと、地球の化身だという双子の女の子にまつわる体験談を」

「どう……して、」

「おそらく、あの男の子と双子の容姿や雰囲気が、かつてあなたが語ってくれたお話の登場人物と驚くほど一致したからでしょうね」

「……よくもまあ、そんな昔のことを憶えていたものね。確かに子供のころそんな話をしたけれど、回数にすれば四、五回だけのはずよ?」

「そうね。当時、私とあなたが会えたのは、お盆とか、お正月とか、四十八願よいなら家の本家で親戚一同が会すときだけだったもの」


 昔日せきじつを思い返し、近重は細めた。


「――その上、二~三年もしたらあなたは彼らにまつわる話をしなくなったし。私のほうから話をせがもうにも、辛そうな顔をされるから、せがめなかったし」

「なのに何故、」

「あなた以上に箱入り娘だった私には、それだけ興味深いお話だったのよ。当時のあなたはとても真剣で、冗談を言っているふうには見えなかったし」

「それは……」

「……だからこそ思うの。もしかしたら昔あなたが語ってくれた体験談は全部本当にあったことで、昨夜の男の子と双子こそが――」

「………………」

「だとしたら……。異地球人ウチュウジンや地球の化身なんてモノが本当に存在するのなら……。例の不気味な手のようなモノの話も」

「……馬鹿なことを言ってないで自分の仕事に戻りなさい、事務局長」

「『馬鹿なこと』か。……そうね。確かにそのとおりだわ。どうも寝不足で正常な判断が出来なくなっているみたいね。ごめんなさい、理事長」


 近重は自嘲の笑みを浮かべて溜め息をつくと、一礼して退室する。

 希実は近重の姿がドアの向こうへ消えるのを待ってから、閉じたドアへそっと囁いた。


「……同感よ、近重。異地球人ウチュウジンや地球の分霊なんて非常識なモノが存在する世の中だもの。あの話が真実でも驚かないわ。……このタイミングで彼らが現れたのもきっと偶然じゃない」


 何しろ自分が知る彼は、……。


「そう。地球の化身、分霊であるあの二人が、今になって彼を起こした理由はたぶん……」


 けれどそれは、この島が再び戦場となりかねないことを示唆していて……。

 結芽たちが巨大なトンボに襲われたことからもわかるとおり――昨日はああ言ったがトンボの話が事実であることは最初から疑っていない――子供たちを攫っている何かと、彼らの戦いに、結芽たちがいつ巻き込まれてもおかしくはないワケで……。


「でも、この星の上で暗躍している何かが超常的存在であるのなら、やはり超常のチカラを持つ彼らの傍が一番安全という考えかたもあるわ。だからこそ、『助けてもらったお礼がしたい』という結芽の提案に乗る形で彼らをここへ招いたのだし」


 問題があるとすれば、だ。


「彼らをここに招いたことが――結芽の傍に彼らを置くことがマイナスに働いてしまわないかということ。……そして、結芽が彼らに近付きすぎて、非日常あちら側に足を踏み入れてしまわないかということね」


 間違っても結芽に自分と同じ轍を踏ませるワケにはいかない。


「そう……この地獄の責め苦のような悔恨を味わわせるワケにはいかないわ」


 ひとちて、机の引き出しから古い新聞記事をスクラップしてまとめたファイルを取り出し、一ページ一ページゆっくりとめくって眺める。

 ……この二十五年の歳月は、自分と瑞穂みずほ風花ふうかにとって半ば生き地獄のようなモノだった。

 なにしろ二十五年前自分たちが考えなしに揮ってしまった地球創造のチカラによって、このアジア一帯は筆舌に尽くしがたい災厄に見舞われてしまったのだから。

 数多の穀倉地帯を壊滅せしめた隕石の絨毯爆撃。

 長きにわたり続く不漁や不作の引き鉄となった大寒波。

 それに、


「私たちの身勝手な行動が招いた食料危機は、甚大な被害をもたらした……」


 隕石が降った場所は『幸運にも』人間の住んでいない場所ばかりだった。大寒波による事故や凍死が直接の原因となって死んだ人間も『奇蹟的に』確認されなかった。

 だが、穀倉地帯の壊滅と大寒波によるエネルギーの供給不足により、間接的な被害はどうしたって避けられなかったのだ。

 数え切れないほどの餓死者が出た。

 親をうしない、孤児となってしまった者も。

 このファイルは自分たちが犯した罪の証、犠牲者の記録だ。


「っ」


 いっそ死んで責任を取ろうと思ったことも一度や二度ではない。

 けれど、自ら命を絶ったところでなんの償いにもならないし、自分がそうしたら瑞穂や風花も追従してしまうという確信があった。


「私一人が死ぬぶんにはいい……二十五年前、〈太母〉グレートマザーの口車に真っ先に乗ってしまったのは、他でもない私なのだから」


 だが、自分とは違い完全に尻込みしていたにもかかわらず、自分が焚きつけたために同じ苦しみを味わわせることになってしまったあの二人も死なせるのはあまりに忍びない。




 ――『希実一人の責任じゃないよ!』

 ――『……そうだよ。私たちも、最後は自分で意思でやると決めた。私たちも同罪だもの』




 そう、笑って自分を赦してくれた優しい二人を。

 だからこそ、自死は選べなかった。

 あまつさえ、こんな自分を愛し、この悔恨を受け止めてくれる男性と出逢い、一緒になるという幸せまで掴んでしまった。

 気が付けば大人になり、愛し子を授かり、結芽という宝物を手に入れてしまっていたのだ。


「……私は間違いなく、地獄に落ちるでしょうね」


 だが――だからこそ。


「結芽に同じ過ちは犯させない。非日常あちら側に足を踏み入れさせるワケにはいかないわ」


 そのためには、


「いかにして彼らを利用し、結芽の安全を確保するか……。それも、これ以上、結芽を彼らと関わらせることなく……」


 そもそも――自分と瑞穂、風花が、葛藤の末、娘をこの島の学校に通わせることにしたのもそのためなのだ。

 万が一この地球上で人智を超えた何かが暗躍するようなことがまたあったとき、彼らのすぐ駆けつけられる範囲――すぐ彼らの庇護下に入れる範囲に結芽たちを置いておくことで、最悪の事態だけは防ぐため。

 ……だが、結芽たちが、彼らのすぐ駆けつけられる範囲どころか手の届くような範囲にいて、暗躍する『何か』との戦いに自ら巻き込まれにいくようなことがあったら本末転倒だ。

 もちろん自分たちも、この島の学校に結芽たちを通わせることで、彼らと接点が出来てしまうリスクが跳ね上がることは承知の上で、それでも、いざというときの結芽たちの生存率を上げることを選んだワケだが……。


「理想は、結芽たちが彼らと接点を持たないうちに――私たちと関わりの無いところで彼らが暗躍する『何か』を排除してくれることだったのだけれど」


 上手くいかないものだ。

 ……さて、どうしたものか。


「もういっそのこと、彼らに例の神隠しに関する情報をそれとなく流し、解決に向けて尽力するよう誘導したほうが手っ取り早いかしら?」


 ファイルをめくっていた希実は途中挟まっていた一葉いちようの写真に、ふと手を止める。

 昔日の一瞬を切り取り今日まで保存してきたその色褪せた写真の中では、小学校の入学式を迎え、新品のランドセルを背負って緊張混じりの笑顔を浮かべている自分と、似たような様子の幼馴染が三人、仲良く並んでいた。

 三人のうち、一人は瑞穂で、もう一人は風花だ。

 そして最後の一人は――


「……未宇みう


 成人式はおろか小学校の卒業式すら出席することが叶わなかった、ベレー帽を頭に載せた亜麻色の髪の女の子。

 自分と瑞穂と風花が悪魔に魂を売り渡してでも助けたい、もう一度笑顔が見たいと願った幼馴染。

 神々廻ししば未宇。


「優しかった未宇。花屋さんになることを夢見ていた未宇。……大人になれなかった未宇。かつて兄のように慕ったヒトすら娘を護るため利用できてしまう汚い大人になった私を見たら、あなたはどう思うのかしら?」


 今はもうこの写真でしか逢えない女の子の屈託のない笑顔を、希実は指先でそっと撫でる。

 が、そこでふと、誰かがドアをノックしていることに気付いて、


「どうぞ」


 と入室を促した。

 ドアを開け、一礼してから入ってきたのは、他でもない、


「失礼します、理事長。いえ――母様」

「……結芽?」


 珍しく険しい面持ちの愛娘だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る