♯10 52㎐の鯨③  わーいハーレムだぁ(棒)(後編)


 楽しいやりとりをしているうちに車はアーチ状の建物へと到着、入口の脇にある詰所の前でいったん停まる。そして運転手と警備員の間で二、三のやりとりが行われたあと再び動き出し、校門をくぐって敷地内へ入った。


「校門をくぐってからも長いな……」


 五月だというのに薄紅色の花弁を咲き誇らせたままの桜と、青々と繁るコルダイテスに挟まれた並木道をしばらく走り、


「着きました」


 最終的に迎賓館のような瀟洒しょうしゃな建物の前で停車する。


「これらの建物は……?」


 勇魚は運転手に促されてリムジンから降りると、目の前の木と漆喰で出来た建物と、少し離れた場所に聳える高級ホテルのような外観のコンクリート製の建物を交互に見比べ、傍らに降り立った希実へと訊ねた。


「あちらに見えるコンクリート製の建物は学生寮です。当学院は全寮制ですので」

「寮⁉ あのホテルみたいな建物が⁉」

「同様の建物が敷地内にあとふたつ御座いまして、いずれも完全個室制となっております。ちなみにスタッフによる部屋の掃除やリネン交換、衣類の洗濯といったサービスも行なっておりますよ。談話室はもちろん売店やジム、共同浴場も完備しております」

「まんまホテルじゃん! そんなの、もう寮とは言えないよ!」

「なお、あちらには幼等部と初等部の子たちが入居しております。もっとも今はゴールデンウイークですので、大半の生徒が本土や海外の実家に帰省しているはずですが。――そして目の前のこれは、」


 希実は目の前の迎賓館のような建物を示し、


「元々はダンスホールでしたが、現在は学生向けの食堂として活用しております」

「学食⁉ この迎賓館みたいな建物が⁉」

「はい。あちらの寮で生活している幼等部と初等部の生徒たちが平日は朝食と夕食を、休日のみ昼食も加えた三食を、こちらで摂っております」

「平日の昼食はどこで?」

「各校舎にも食堂はありますので、そちらで。当学院が召し抱えているシェフたちはみな、五ツ星ホテルや高級料亭で総料理長などを長年務めた経験がある者たちばかりですので、料理のクオリティは折り紙付きですよ」

「五ツ星ホテル……高級料亭……?」


 どちらも未知の世界だ。

 まあ、それを言ったら女子校自体がそうだが。


「もっとも、生徒の大半は花嫁修業の一環として、寮の個室に備え付けてあるシステムキッチンで自炊に励んでいるようですが」

「花嫁修業……システムキッチン……?」

「なお、この学食は休日の昼食のみ、あちらの寮へのデリバリーも行なっております」

「デリバリー⁉」

「……そんなに驚かれてばかりいて疲れませんか?」

「ここ心臓に悪いよ! ねえ、二人とも⁉」


 勇魚は両脇にはべる双子に同意を求めるが、


「も、もしかして今からここの料理を御馳走してもらえるのでしょうか⁉」

「い、五ツ星ホテルや高級料亭で出てくるような食事をカナ⁉」


 地球の分霊である女の子たちは頬をだらしなく緩ませ、目を爛々と輝かせていた。


「……ダメだこれ」


 何が一番ダメかって、そんな双子を見て呆れるより先にほっこりしてしまう自分だ。

 悔しいが、この双子の一挙手一投足が愛おしくて仕方がない。


「でも仕方ないよね……全部思い出しちゃったんだから。昔、ボクがこの子たちにどれほど救われていたか。ボクにとってこの子たちが、どれほどかけがえのない存在だったのか」


 むしろ何故忘れることが出来たのだろう?




 ――『おにーさん……たとえこの先、何百年、何千年経とうと、あたしたちはずーっとずーっとおにーさんの傍にいますです……。この氷山の前で、共にその日を待ち続けますですよ』

 ――『わたしたちはこれからもずーっと変わらないヨ。この胸の想いと同じく。たとえ長期にわたる魂魄の休眠スリープモードが、おにーちゃんからわたしたちとの想い出を奪ってしまってもネ……』




 あの日の宣言どおり、目の前の双子はこの四半世紀ずっと変わらずにいてくれたのに。


「死んで詫びたいくらいだ……もう死んでいるようなものだけれど……」


 そのときだ。




「理事長! 良かった、お戻りでしたか!」




「事務局長?」


 夜陰やいんの向こうからベージュのスーツに身を包んだ女性が息を切らせながら駆け寄ってきて、訝る希実にゴショゴショと何事かを耳打ちした。

 それを遠巻きに眺めつつ勇魚は結芽に訊ねる。


「結芽。あのヒトは?」

近重このえさんといって、この学院の事務局長だ。母様の従妹いとこに当たる。わたしにとっても親戚ということになるな」

「へー。道理で。美人なワケだ」

「っ。よ、よく臆面もなく言えるな、そんなセリフ。……それともアレか? 遠回しにわたしを口説いているのか?」

「言われて見ればキミのお母さんと顔立ちが似てるもんなぁ。並ぶと美人姉妹って感じ」

「………………。おまえ、年増が好きなのか?」

「?」


 頬を赤らめモジモジしていたかと思えば一転ジト……ッとした眼差しを向けてくる結芽に、勇魚は「え。なんで不機嫌になってんのこの子……?」と戸惑いつつ希実と近重の会話に聞き耳を立てる。

 拾えたのはごく一部だが、『不気味な手』だの『例の神隠し』だの、どこかで聞いたような不穏なフレーズが零れてきて、


「……鵠様。急用が出来ましたため、私は失礼させて頂きます。ここからの案内は娘が致しますので」


 眉を顰める勇魚に、希実はそう言って深々とお辞儀をすると、


「結芽。くれぐれも粗相のないように」


 娘にしっかりと釘を刺す。


「ご安心ください母様! 母様の代わりに勇魚の面倒はわたしがちゃーんと見ますので! ささ、お早く!」

「……こころなしか嬉しそうに見えますね。そんなに母が邪魔ですか?」

「ご、誤解です。別に母様をお邪魔虫扱いするつもりは、」

「……何か粗相があった場合、華道と舞踊と合気道の他に、お琴も習い事に加えますからね」

「そんな殺生な!」


 本当に合気道を習っていたらしい。


「母を年増呼ばわりした罰です」

「聞かれてた⁉」

「憶えておきなさい、結芽。世の殿方の大半は、乳臭いガキンチョと匂い立つオトナの女性の二択なら、後者に惹かれるものなのです」

「娘相手に対抗意識を燃やさないでください!」


 仲の良い母娘おやこだった。

 下手に口を挟めない。

 ……この場合、どう口を挟んだらいいのかわからないというのもあるが。


「てかリジチョー、今、自分の娘を乳臭いガキンチョ呼ばわりした?」

「……自分で自分のことを匂い立つオトナな女性って言うのもどうかと思う。大人げない」


 穂垂と銀花が陰でツッコんでいる。


「理事長、お早く! 漫才をしている場合ではありません」


 部下にまで漫才とか言われているし。


「ごめんなさい、事務局長。――それでは鵠様、失礼致します」


 希実は近重に促され、最後にもう一度勇魚にお辞儀すると、近重と共にリムジンに乗り込み、慌ただしく去っていった。

 ただ、


「……あら?」


 と、去り際、近重という名らしい女性がこちら(と双子)の全身を眺め回し目を丸くしていたが、何か気になることでもあったのだろうか?


「むぅ……いったい何があったというのだ?」


 走り去る車をしばし怪訝そうに見送っていた結芽は、「まあ、いい」とすぐに気を取り直すと、


「さあ、中へ入ろう! 母様が予め手配しておいてくれたからな。準備は万端なはずだ! 見て驚くなよ? そのへんのレストランじゃあお目に掛かれないようなご馳走ばかりだぞ!」


 こちらの手を取り、鼻歌混じりに歩き出す。


「ん……」


 本音を言えば今は食事よりも希実と話がしたかったが、


「なんか、それを言ったら結芽を傷付けてしまうような気がする……」


 ……あくまで、なんとなく、だが。


「ま、いっか。今日はいろいろあってクタクタだし、難しいことは明日考えよう……」


 だから、勇魚は大人しく結芽についていくことにする。


「勇魚! わたしたちも夕食がまだなんだ! 一緒に食べるぞ! ――そうだ! ここの看板メニューである地中海産アンモナイトの赤ワイン蒸しはわたしと半分コしないか⁉」

「あ、だったら穂垂も! 黒毛和牛とマンモス肉のダブルソテーがあったら半分コしよっ!」

「……じゃああたしは、料理を半分コする代わりに勇魚くんに『あーん』してあげるね。だから勇魚くんもあたしに『あーん』して?」

「はいはい……」

「待つですおにーさん! 生返事してると後悔することになるですよ⁉」

「気付いておにーちゃん! 魔性の女がいる! 一人、呼吸するように男をたぶらかしてる末恐ろしい小学生がいるヨ⁉」


 ……そう。

 すべてが終わったあと、この瞬間を振り返り。

 自分はなんて呑気のんきだったのかと悔やむことになるとは夢にも思わずに……。






                     ☆






 夜のとばりが落ちた海上、『全球凍結』スノーボール・アースで凍結した海面に、全長三メートル近い巨蟲きょちゅう――例のメガネウラだ――の脚に掴まって飛来した女がふわりと降り立つ。


「……ざぁんねぇん。ひとつくらいは残っているかと思ったのだけれどぉ」


 海上を見回した女は、下僕しもべむくろが全く見当たらないことを確認すると、言葉とは裏腹に楽しそうに笑った。


「でもぉ、これでほぼ確定ねぇ。この地球の造物主たちが〈ガイアセンチネル〉に仕立て上げようとしているのはぁ、あの男に違いないわぁ。……まあ、ガイアどもを侍らせている時点でぇ、わかりきっていたことだけれどぉ」


 黒い――いっそ『どす黒い』と言ってもいい長い髪を潮風になびかせて、女は真紅の双眸をすがめ思案する。


「さぁて、どうしたものかしらねぇ。――ガイア共々ぉ、さっさと叩きのめすぅ? それともぉ、アイツらは無視してぇ、に専念するべきかしらぁ?」


 そこに、女をここまで運んできたのとは別の巨蟲がどこからともなく飛んできて、女の頭上で旋回すると、




 ――ぎちぎちぎちっ!




 鋭い顎を打ち鳴らし、何事かを報告した。


「……そぉ」


 女は血のように真っ赤なルージュがひかれた唇を歪め、禍々しく笑う。


「そぉんな素敵なを見つけちゃった以上ぉ、放っておく手は無いわねぇ。あのやぁたら勘のいいガイアどもに邪魔されないようにコソコソと暗躍するのもぉ、ぼちぼち面倒になってきたところだしぃ。丁度いいわぁ」


 ……問題があるとすれば、だ。


「連中はぁ、そこに逗留するつもりらしいことねぇ。連中が立ち去るまでぇ、手を出さないほうがいいかしらぁ?」


 しばしの黙考。

 だが、女はやがて面倒くさそうに溜め息をつくと、


「……まぁ、いいわぁ。なるようになるでしょうしぃ。邪魔になるようなら排除する、それだけよぉ」


 肩を竦めてから、すっと右腕を頭上に掲げる。

 すると女をここまで運んできた巨蟲がスルリと上空から降りてきて、その右腕を六つの脚でむんずと掴んだ。

 そしてそのまま空中へと持ち上げる。


「この地球の分霊であるガイアどもとぉ、その守護者たる存在――〈ガイアセンチネル〉……。果たしてあなたたちにぃ、わたくしぃを止めることが出来るかしらぁ?」


 島へ向かって飛ぶ巨蟲に運ばれながら、女は血戦けっせんの予感に胸を躍らせた。


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