♯3 幽明界の上に立ち② 三葉虫とか食べたくないです(後編)


「ちょっ……! アレ!」


 黒猫の親子が咥えた獲物。それはオウム貝に似た渦巻き状の殻からイカやタコのような吸盤の付いた触手をびろーんと垂らしている、勇魚がこれまで図鑑や創作物の中でしかお目に掛かったことのない生き物だったのだ。


「ねえ、あの猫ちゃんたちが咥えてるヤツ! アレってじゃないの⁉ 確か大昔に絶滅したはずじゃ⁉」

「落ち着くのです。アンモナイトが絶滅したのは、おにーさんが生まれ育った地球での話でしょう?」

「えっ?」

「確かにおにーちゃんが生まれ育った地球では、彼らは古生代の途中から中生代の白亜紀末までの三億五千万年ほどを生きたものの、絶滅。その化石は、発見された地層が堆積した地質時代を示す『示準しじゅん化石』として役立ったりもしたみたいだネ」

「……もしかして、」

「はい。この地球では、アンモナイトは絶滅することなく現代までその命脈を繋いでいるのですよ。彼らに限らず、そういうしゅは数多いのです」

「さっき市場のほうから聞こえてきた名前の中だと、メガロドンさんやウミサソリさんがそうだヨ。反対に、おにーちゃんが生まれ育った地球だとおにーちゃんが生まれた時代まで絶滅することなく生き延びていたのに、この地球ではとうの昔に絶滅してしまったしゅも数多くいるの。あと、誕生すらしなかったしゅもネ」

「えええええっ⁉ 地形だけじゃなく生物相まで全然違うのか⁉」


 叫んで、ハッと思い至る。


「ま、まさかとは思うけどこの地球、恐竜なんかも生き残ってたり……? ほら、 ティラノサウルスとか、トリケラトプスとか、プテラノドンとか、フタバスズキリュウとか……」

「いいえ。流石に大型の恐竜までは生き残ってないのですよ。あ、でもこの国にも棲息してる有名ドコロですと、アケボノゾウやニホンオオカミ、ニホンカワウソなんかはバッチリ生き残ってますです」

「ていうかおにーちゃん、プテラノドンさんとフタバスズキリュウさんは厳密には恐竜とは別のグループだヨ?」

「ンな細かいこと今はどうだっていいよ! 何⁉ この星、こんな有様でボクが生まれ育った地球を参考に創造されたっていうの⁉ だとしたら絶対あちこちバグってるよね⁉」

「失敬な。ここまで本物に近付けるだけでもどれだけの苦労があったと思ってるのですか?」

生命いのちが存在できる環境を用意するだけでも、この星の質量や重力、大気組成、それに太陽を始めとする他の天体との距離とか、途方もない数の要素を神懸かり的なバランスで積み上げる必要があったんだヨ?」

「……そうなの?」

「聞いたことはありませんですか? 『生命居住可能領域ハビタブルゾーン』や『ドレイクの方程式』といった言葉を」

「おにーちゃんがなんの支障もなく生きていられる環境や人間社会が存在するだけ上出来と思ってほしいんだヨ」

「えー……」


 イマイチ釈然としない。


「というか、なのですよ。確かにこの星は、おにーさんが生まれ育った地球――オリジナルの地球を参考に、母様とその眷属たちが創造した星ではありますが」

「でもネ、別に、おにーちゃんが生まれ育った地球を完璧に再現することが目的だったワケじゃないんだヨ? 目指したのはあくまでだけだったんだ」

「う、うーん」


 ……生命居住可能領域ハビタブルゾーンだのドレイクの方程式だの、正直チンプンカンプンなのだが。


「今更だけどいったい何者なのさ、キミたちのお母さんや、その眷属? ってのは……」


 やはり、俗に言う『神様』というヤツなのだろうか?


「今はどこで何をしているんだ? そもそも、何故ヒトというしゅを再生しようなんて思ったのさ? いや待て……再生だって?」




 ――




「―――――っ」


 瞬間、気付く。

 その可能性に。


「……まさか、」




? ――

 現在いまとなっては、もう。




「そうか……そうだよ」


 この魂魄タマシイがアインシュタイン・ローゼンブリッジとやらを渡ってこっちの宇宙へ辿り着き、デブリにくっついて宇宙空間を彷徨さまよったり、この地球にばれたあと氷山の中で長い眠りについたり、そんなこんなをしているうちに、あっちでは何万年、何億年という時間が過ぎ去っていたとしたら……?


「その間にあっちの地球の人類が滅びていても、何もおかしくはないんじゃないか……?」


 もしもそうなら。

 自分は今の今まで、迷子の魂魄タマシイをあるべき地へ還すため――自分を元いた宇宙、あっちの地球へ帰すため、この双子はコンタクトを取ってきたのではないかと踏んでいたのだが。


 だが、


「仮に本物の肉体を取り戻し、あっちの地球へ帰還できたとしても、今となってはなんの意味もないんじゃ……?」


 それともこの双子の協力があれば、時間を遡行することすら可能なのだろうか……?


「……いや、」


 やはりこの双子が自分の前に現れた目的、理由は、全く別のところにあるのでは……?


 だとしたらそれは――


「母様やその眷属は、ヒトが言うところの『神様』とは大分異なりますですが、造物主という一点においてはそう呼べないこともないのですよ。その辺りについてはおいおい説明しますです☆」

「難しい話は置いておいて、今はまずこの地球への理解を深めようヨ。社会見学を兼ねたデートで☆」


 表情を翳らせるこちらに気を遣ったのか、双子は明るく言って、こちらの手を引いて歩き出す。

 どうやら市場のほうへと向かうつもりらしい。


 それはいいが、


「なんでそこらじゅうにデカい氷の塊が転がってるんだ……?」


 道中のあちらこちらに大きな氷の塊が鎮座しているのが気になる。


「よく見ると、ここから見える海面にも流氷がプカプカ浮いてるし……。もしかして、今って真冬なのか? それにしては暖かいけれど……」


 首を傾げつつ、双子に先導されるままヒトの波を掻き分けて進み、やがて一件の出店の前を通りかかったところで、


「らっしゃい! ……おっ、また随分とめんこい嬢ちゃんたちを両脇を侍らしてんなぁあんちゃん! まさに両手に花じゃねーか! やるねぇ!」


 ツナギの上にゴムの前掛けを着けて、頭にじり鉢巻きをした、いかにも魚屋といった風体の店主に呼び止められてしまった。


「いや、彼女たちの場合花というよりつぼみ――うはぁ……」


 ツッコミを入れるため反射的に歩みを止めてしまった勇魚は、店頭に並ぶ品々を目にして、眩暈を覚える。

 店頭には様々な海産物が所狭しと並べられていた。マグロやヒラメを始めとする魚類にシジミや牡蠣といった貝類、ワカメやコンブなどの海藻類。フカヒレやアンコウなどの変わり種もある。

 そこまではいい。

 問題はそこからだった。


 というのも、


「アンモナイトとウミサソリの外にも、三葉虫さんようちゅうやオパビニア、それにアノマロカリスまである……」


 そこにはまさに『驚嘆すべき生物ワンダフル・ライフ』と呼ばれるに相応しい生物群が、これでもかとばかりに積み重なっていたのだ。


「こいつらって、どこを食べればいいの? やっぱ胴体? そもそも、本当に食べられるもんなの……? 毒とかあったりしない?」


 ドイツもコイツも食べられる部位がそれほどあるようには見えないのだが。

 オマケにどこからどう見ても美味そうには見えない。少なくとも「この中からどれかひとつを選んで食べなさい」と言われたら、自分なら迷うことなくアンモナイトを選ぶ。アンモナイトはイカやタコの近縁種なかまだと昔何かの本で読んだことがあるからだ。

 ……いやまあ、本音を言うとアンモナイトだってごめん被りたいくらいなのだが。


「オイオイ、兄ちゃんよ、まさかコイツらを食ったことが無いってのか⁉ 生まれてから一度も⁉ アンモナイトすら⁉ 牡蠣やフカヒレに並ぶこの仙臺県の名物だぞ⁉ つーか品質にさえこだわらなきゃ日本全国どこでだって食えるだろ⁉」

……」


 どうやらこの地球では宮城県はそう呼ばれているらしい(日本はこちらでも日本と呼ばれているようだが)。

 どうもこの地球の人類は、あちらの地球のそれとだいぶ似て非なる歴史を歩んできたようだ。


「ちなみにピンからキリまであるアンモナイトの中でも、兄ちゃんが今見てるそのニッポニテスっつーしゅは超が付くほどの高級品でな。『異常巻き』と呼ばれているその貝殻の滑稽さとは裏腹に、軟骨周りの肉はプリプリしていてジューシーなんだぜ? 酒の肴に最高なのよ!」

「へ、へぇ~」


 そんなふうに力説されても自分は未成年だから酒を嗜まないし、『異常巻き』というパワーワードからは「不味そ……」という感想しか浮かばないのだが。


「どうだい、兄ちゃん。いい機会だ、どれかひとつ買ってかないか? そこのめんこい妹さんたちに美味いモン食わしてやんなって! ほら、このアノマロカリスなんてどうだ⁉」

「むー……。あたしたち、おにーさんの妹じゃないのですよっ」

「ぶー……。わたしたち、おにーちゃんのお嫁さんなんだヨっ」


 可愛めんこいと言われて喜ぶかと思われた双子は変なところに拘って憤慨し、ぷくぅと頬を膨らませて抗議する。


「そうかいそうかい! 嬢ちゃんたちは大きくなったらお兄ちゃんのお嫁さんになりたいのかぁ。いや~、慕われてるねぇ兄ちゃん!」

「……いや、この子たちがボクの妹じゃないってのは、ただの事実なんですケドね」


 嫁かどうかはさておき。


「兄ちゃんたち、見ない顔だし、島の外の人間だよな? 歓迎するぜ!」

「島の外の人間……。まあ、そうだネ」


 自分の場合、(双子の話が本当なら)島どころか星、いや、宇宙の外から来たワケだが。


「いやー、からこっち、一番の被災地とも言えるこの島は兄ちゃんたちみたいな観光客が途絶えなくてな。経済的には助かってるよ。皮肉は話ではあるけどな」

「二十五年前の天災……」

「ああ。ただ、最近じゃあ観光客に紛れて不審な輩も入り込んでいるって噂だからなぁ。兄ちゃんたちも一応用心しとけよ?」

「不審な輩……」

「なんでも、明らかに堅気じゃない連中が島のあちこちをうろついているらしくてな」

「へえ……」


 と、ここまでは店頭に並ぶ品々を見比べつつ、おざなりな相槌を打っていた勇魚だが、




「もっとも、近頃物騒なのはこの島に限った話じゃねーけどな。ニュースによると本土のほうじゃあ子供が行方不明になる事件が連続で発生しているらしいしよ」




 という店主の言葉が引っ掛かり、弾かれたように顔を上げる。


「子供が行方不明に?」

「ああ。神隠しに遭ったんじゃねーかって噂まで立つ始末だ。だからよ、兄ちゃんもそこの嬢ちゃんたちから目を離すんじゃねーぞ? 行方不明になってるのは女の子ばかりらしいしな」

「………………」


 何故だろう。胸騒ぎがする。なんだか嫌な感じだ。

 適当に聞き流すべきではない――自分の中で、何かがそう警鐘を鳴らしているような……。




「なんなんだ……この胸騒ぎは……?」



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