♯3 幽明界の上に立ち② 三葉虫とか食べたくないです(前編)

「いらっしゃいいらっしゃいー! ついさっき陸揚げされたばかりのマグロだよー!」

「わー、美味しそう!」

牡蠣かきどう牡蠣! 今ならひとつマケとくよ!」

「んー……もう一声!」

「そこ行く奥さん! どうだい、このフカヒレ! 美味そうだろう? ここいらじゃ滅多にお目に掛れないのフカヒレだぜ!」

「いいわねぇ、ふたつ頂戴」

「毎度ありー!」

「ねえねえおじさん、ワカメとヒラメ、あとが欲しいんだけど!」

「あいよっ」

「さあさあ、本土行きのフェリーが間もなく出るよー! 他に乗るヒトはいないかーい?」

「はいはい! 乗りまーす!」

「新入りー! 船曳ふなびき用の網、こっち持ってこーい!」

「うーす! って親方、後ろ後ろ! 氷塊にぶつかる! 気を付けて!」

「おっとっと……。危ねぇ危ねぇ。誰だ、こんなトコにちっこい氷山なんか置いたのは」

「いや、じゃないっスかそれ……」


 みゃあ、みゃあ、みゃあ……


 建ち並ぶ出店の主人たちと行き交う買い物客たちの間で交わされる丁々発止ちょうちょうはっしのやりとりと、波飛沫を上げて出入港する漁船のエンジン音、そして頭上を飛び交うウミネコたちの鳴き声。

 喧騒に包まれた漁港の片隅。

 活気に満ちた魚市場の玄関口で。


「なんだ……この地図……? これ……本当に日本なのか……?」


 大きな氷の塊に半ば埋もれるように立っていた案内板、そこに描かれていた日本地図を前に、勇魚いさなは眩暈に似た衝撃を受けていた。


「ボクが知っている日本列島とは、カタチが全然違う……」


 自分にとって日本列島とは、北海道、本州、四国、九州、沖縄などの島嶼とうしょで構成されているモノだが、そこに描かれていた日本列島には、それらの面影が全くと言っていいほど無かった。

 というのも、北海道であろう場所は数個の陸地に分断されていて、そのうちのひとつは本州と細長い陸橋りくきょうで繋がっており、どこまでが北海道でどこからが本州なのか、非常にわかり難かったのだ。


 それだけではない。


「四国や九州に至っては完全に本州の一部と化してるし……」


 その本州もフォッサマグナから西側はそれなりに広大なものの東側は驚くほど狭く、その西の端はなんとユーラシア大陸と地続きになっていた。


「いや待て、この端っこの大陸っぽいのは本当にユーラシア大陸で合ってるのか……?」


 例によって自分が知るそれとはカタチが全く違うため、イマイチ確証が持てない。


「どうやらここは、ボクが知っている日本列島で言えば東北地方……宮城県と岩手県の境目辺りにある離島みたいだけれど……」


 日本地図の右側に拡大表示されているこの島の地図を穴が開きそうなほど見つめ、腕組みをして唸る。


「ただ、位置関係で言えば大体その辺りかな? って推測できるだけで、地形的な面影は全くと言っていいほど無いんだよな……。三陸海岸は? リアス式海岸はどこ行ったのさ?」


 地図を見るに、ここは宮城県の平野部を仙台市辺りから真っ二つに引き裂いて岩手県の花巻市辺りまで食い込んでいる広大な内湾の、中央よりやや北寄りに浮かぶ島のようだ。

 一番近い本土とも五㎞ほどの距離があるらしい。

 五㎞という距離を近いと見るか遠いと見るか……『離島』という表現が相応しいかどうかは判断が分かれるところかもしれないが……。


「で。この広大な内湾には『竜の口の海』っていう名前が付いているのか……。随分と大仰な名前だなぁ」


 なお、地図の横に記載されているデータによると、一日に二度ほど東京と行き来するフェリーを別にすれば、この島と本土を結ぶのは一本の架橋だけらしい。


「へ~、そんな長い橋をわざわざ架けたのか。その上、東京と行き来するフェリーまであるなんて、もしかしてこの島、有名な観光地か何かなのか? ……って、えっ? ⁉」


 ちなみにこの島の総面積は百㎢をゆうに超え、人口は三万人に達するとある。主な産業は漁業と農業。あとは観光業もこの四半世期ほどで急成長を果たしたとかなんとか。


「この島の名前は……『美夜受みやずしま』か。こっちは聞いたことないな」


 地図を見る限り、市街地と呼べるような人口密集地は島の西部とこの漁港がある南部に集中しているらしく、東部には丘陵や原生林といった牧歌的な風景が広がっているらしい。

 残る北部はと言うと、こちらは大半がどこぞの学校法人の所有地らしく、『私有地につき関係者以外立ち入り禁止』と注記されていた。


「ボクが目覚めたあの学校の跡地も含まれるっぽいな。道理で人気が無かったワケだ」


 島の土地の四分の一近くを占有する学校法人というのも気になるところではあるが……それはそれとして。


「この案内板、なんで半分くらい氷に覆われてるんだ? てかこの氷、こんなに暖かいのになんで解けてしまわないんだ?」


 そしてそれ以上に気になるのが、


「この地図、なんであちこちに変なイラストが描かれてるの……?」


『ようこそ! ロマンとミステリーが眠る島、美夜受島へ☆』という謳い文句が記されたこの島の地図には、味のあるイラストがあちこちに描かれていた。


「この絵は……氷山? まさかとは思うケド、ボクが休眠していたっていうアレか? 周りには月面のクレーターみたいな穴凹あなぼこまで描かれてるし、まず間違いないよな? へぇ……。てっきりあの氷山は誰にも存在を認知されていないものとばかり……。ん? 何か注記がある? えーと……『注意! 地割れから毒ガス! 絶対近付くな!』……? あれ? 地割れなんて無かったケドなぁ? 私有地への部外者の立ち入りを防ぐための方便かもしれないけれど、なんでここにだけ……?」


 他にも二人の巫女さんだったり、さらには人魂を背負った中世の騎士っぽい亡霊だったりと、バラエティーに富むイラストがあちこちに散りばめられていたが、ひとつひとつに脈絡があるようには思えず、何を描いたモノなのか皆目見当がつかない。

 この島にはロマンとミステリーが眠っているらしいが、これらのイラストが何か関係しているのだろうか?


「ていうか、この二人の巫女さんのイラスト……。何かを彷彿とさせるような……。ただの偶然か?」


 呟いて、両脇に侍る双子――自称『地球の分霊』たちをチラリと見遣るも、当人たちは聞いているのかいないのか、ニコニコしているだけでなんのリアクションも返してこなかった。


「………………。いずれにせよ、ここがボクの知っている日本じゃないことだけは確かだ」


 悪戯にしては大掛かり過ぎるし。


「いい加減認めるしかないのか……これは紛れもない現実で、ここはボクが生まれ育った地球じゃないんだって」


 呻いて、「だとしても、だ」勇魚は相変わらずニコニコしている双子を順繰りにめつけた。


「キミたちの説明だと、この星はボクが生まれ育った地球を参考に模造されたって話じゃなかったっけ? そのわりに、似ても似つかないのだけれど? ボクが生まれ育った地球の完コピを目指した結果がこれなら、目を覆いたくなるようなクオリティとしか言えないのだけれど」

「……目を覆いたくなるようなクオリティ……?」

「……それはブサイクってこと……?」

「えっ⁉」


 手を繋いでいた双子の紅玉ルビー瑠璃ラピスラズリのような人間離れした美しい色合いの瞳に、じわりと大粒の涙が浮かぶのを見て、「そういやこの子たち、この地球の分霊だったー! この子たちに『クオリティが低い』なんて言ったら、面と向かってブサイクって言ってるようなものじゃん!」と気付き、勇魚は焦る。


「い、いや! 今のは別に、キミたちがどうこうって話じゃなくて……! キミたちでもブサイクなら、この世にかわ……美人は存在しないことになるというか、なんなら大人になったキミたちを一目見てみたいくらいというか……!」


 ……何を口走っているのだろう、自分は。

 というか、いくらなんでも焦り過ぎだ。

 焦りすぎて、危うく褒めかたを間違えるところだった。

 ある程度大きくなった子供に面と向かって『可愛い』は禁句だ。

 こちらは純粋に褒めたつもりでも、『子供扱いされた』と受け止められてしまうことが往々にある。


「……本当ですか? 本当におにーさんは、あたしたちのこと、美人だと思いますですか?」

「も、もちろんだよ!」

「……じゃあおにーちゃん、わたしたちのこと恋人にしたい? お嫁さんに欲しいと思う?」

「思う思う! だから泣かないで! お願いだからお目々の涙をひっこめてー!」

「「……えへへー☆」」


 一転、嬉しそうにはにかみ、こちらの腰へぎゅっと抱き着いてくる双子。

 勇魚は安堵の溜め息を零し、額に浮かんだ汗を拭う。


「ハァァァァァ……。子供って何を引き鉄に感情を爆発させるかわからないから苦手だよ……。ほとんど地雷みたいなモノなんだもん」


 それ以前に、こんなチビッ子たちが46億年の歴史を持つ地球の分霊だと言われても釈然としないものがあるのだが。

 というか、同じ地球の分霊なのにキャラクターが微妙に違うのも、よくよく考えればおかしな話ではないか。


「やりました! 言質を取ったのですよ! 嘘ついたら針千本飲ーます、なのです☆」

「チャンスだヨ! 既成事実を作っちゃお! あと婚姻届とかいう紙を貰ってこないとネ☆」


 ……ちなみに、再び手を繋ぎ直し、そのマシュマロのような柔らかい頬をこちらの手の甲にスリスリと擦りつけつつ何やら不穏なことをのたまっているくだんのチビッ子たちは今、水色のタイリボンが付いた純白のティアードワンピースに身を包んでいた。

 まるで良家のお嬢様のような出で立ちである。

 その不思議な色合いをした黒髪から零れる光の粒は今は鳴りを潜めているが、ただでさえ人目を惹く容姿の彼女たちが町中であんな白無垢や巫女装束みたいな服を着ていたら目立つことこの上ないので、『星核構築デイジーワールド・プログラム』とやらのチカラで着替えてもらったのだ。


「『着替え』と言うより、悪と戦うヒロインの『変身』って感じだったケド……。女児向けのアニメでよく見るヤツ」


 宙に浮き、眩い光を放ちながら、数秒でコスチュームチェンジする彼女たちを見て抱いた感想がそれだった。


「この子たちがボクより年上の女性か、あるいは同世代だったなら、一瞬だけ見えた裸に動揺したかもしれないけれど」


 どれほど見目麗しかろうと、小学校低学年くらいの女の子の裸など、見えたところでなんの感慨も湧きはしない。


「……まあ、この子たちにそんなことを言ったら『地球系統ガイア・システム』とやらを使って大人の姿に変身して迫ってきかねないから、間違っても口には出せないケドさ……」


 もし、子供の時点で既に人間離れした美貌の持ち主であるこの子たちが、大人の姿でアプローチしてきたら――


「果たして理性を保っていられるかどうか……って、待てよ?」


 そうなると、自分の好みが『包容力溢れる優しいお姉さん』だということに絶対気付かれてはならないのでは?


「……でも、大人の姿になったこの子たちも一目でいいから見てみたいなぁ……。いやしかし、大人の姿になったこのコたちって、ボクの好みドンピシャリな予感しかしないんだよナ……。それはマズい。何がどうとは言えないけれど、マズい気がする。……悩ましいなぁ……」

「おにーさん? さっきから何ブツブツ言ってるのですか?」

「『年上の女性』とか『大人の姿』とか『ボクの好み』とか聞こえたヨ? もしかして……」

「な、なんでもないよ⁉」


 じーっと探るような眼差しを向けられて、「チビッ子とはいえ女の勘は侮れない……!」勇魚は慌てて目を逸らす。


 すると市場のほうからトコトコ歩いてくる黒猫の親子の姿が偶々そこにあって、


「ニャンコの愛らしさは全宇宙共通なんだなぁ」


 思わずほっこりし、あわよくば撫でさせてもらえないものかと腰を屈めようとする――が。


「「むー」」


 それに気付いた双子が頬をぷくぅと膨らませ、「放しちゃダメ!」と言わんばかりに繋いだ手にぎゅっと力を籠めてきた。


「おにーさん? 確かに猫さんは可愛いですが、おにーさんがまず構うべきはあたしたちなのですよ?」

「おにーちゃん? そんなに猫ちゃんを撫でたいのなら、代わりにわたしたちの頭を撫でてくれてもいいんだヨ?」

「いや小動物相手にそんな対抗心を燃やさなくても……って、ああ、そうこう言っているうちにニャンコが行っちゃう」


 黒猫の親子は人間に貰ったかあるいは店頭から掻っ攫ってきたと思われる獲物を口に咥えており、痴話喧嘩するこちらを一顧だにせず通り過ぎていく。

 双子がどうしても手を放してくれなかったのでそれを黙って見送ろうとした勇魚は、しかし彼らが咥えた獲物の正体に気付いて、


「えっ⁉ あれってまさか……⁉」


 ぎょっとし、目を剥いた。



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