♯2 幽明界の上に立ち① キスで起こされるのって浪漫だけど(後編)



 今、この子たちはなんと言った?

 この地球、この宇宙が、自分のいたそれとは全くの別物……?


「ここからはあたしたちの推測に過ぎませんですが。おにーさんは何らかの理由により、元いた第0宇宙でワームホールに呑み込まれてしまったのではありませんか? そして肉体を分解されたのち、別世界たる平行宇宙、つまりこの第3910平行宇宙へ、魂魄タマシイだけが吐き出されてしまったのでは?」

「聞いたことない、おにーちゃん? 『アインシュタイン・ローゼンブリッジ』って言葉。この第3910平行宇宙ではネ、二十五年前、白鳥座にそれが架かった記録があるんだヨ」


「ワームホール? アインシュタイン・ローゼンブリッジ? 第3910平行宇宙だって?」


「はい。そしてアインシュタイン・ローゼンローゼンブリッジを渡ってきたおにーさんの魂魄タマシイは、こっちの宇宙空間を漂っていたデブリにくっついて彷徨さまよっていたところを、『宇宙播種パンスペルミア』というチカラによって、デブリごとこの地球へ召喚されてしまったのです。―それがあたしたちとおにーさんが初めて出逢い、そしてあたしたちがおにーさんに救ってもらった、二十五年前のあの夜のこと」

「以来、おにーちゃんの魂魄タマシイは、長い年月ここで休眠していたんだヨ。二十五年前、わたしたちを救うため、他でもないおにーちゃん自身が『全球凍結スノーボール・アース』というチカラで造り上げたこの氷山の中でネ」


「休眠していた……? クマムシみたいにかい?」


「なんでそこで真っ先にクマムシが出てくるのですか」

「そこは普通にクマさんでいいと思うんだヨ」


 そうは言うが、クマの場合、休眠と言うより冬眠ではなかろうか。

 どうでもいいことだけれども。


「とにかく、魂魄タマシイ休眠状態スリープモードに入っていたワケです。それを今日、ワケあって起こさせてもらいました。あたしたちの肉体を顕現させている母様のチカラ、『地球系統ガイア・システム』を口移しで分け与えて。さっきの接吻キスがそれなのですよ」

「『地球系統ガイア・システム』ってのはネ、実体の無い存在、つまり神霊や魂魄タマシイといったモノに仮初の肉体を与えることが出来るチカラなんだヨ。それを息吹を介しておにーちゃんに分け与えて、受肉・復活させたってワケ」


「!」


「本来『地球系統ガイア・システム』は母様がこの模造地球デイジーワールドの分霊である現人神あらひとがみ、つまりあたしたちガイアをこの地上に顕現させる際に揮うチカラなのですが。それを流用したワケです」

「おにーちゃんの魂魄タマシイに蓄積された元の肉体の記憶を頼りに。酸素や炭素、水素や窒素といった二十種近くもの元素を操って、ネ」


「そういえば……」


 聞いたことがある。人体を構成する元素のうち、水素原子はビッグバン、つまり宇宙爆誕の際に出来たモノだが、それ以外の元素はすべて太古に星の内部で作られ、超新星爆発によって宇宙に撒き散らされたモノであると。

 そう意味では、ヒトもまた星屑で出来ているのだと。

 つまり『地球系統ガイア・システム』とやらは、星屑を素材に、人体錬成を行うチカラだとも言えるワケか。


「ただし注意してください。『地球系統ガイア・システム』で構築した肉体は、容姿はもちろん遺伝子情報すら再現し肉体的成長や生理現象といった機能を備える完璧な複製体ですが、あくまで仮初の肉体、依代に過ぎません。受肉していられる時間は限られています」

「母様が念入りに構築してくれたわたしたちの肉体とは違い、未熟なわたしたちが構築したおにーちゃんの肉体はたぶん一週間も維持できないんだヨ。それだってわたしたちが分け与え、今もその身を維持するために消費されている『地球系統ガイア・システム』が何らかの理由で枯渇しなければの話だしネ」

「つまりおにーさんの場合、この地上で顕現し続けるためには、週に一度はあたしたちから『地球系統ガイア・システム』を分けてもらう必要があるワケです」

「その都度、補充した『地球系統ガイア・システム』と使って受肉し直す必要も、ネ」


「………………待て待て待て」


 押し寄せる情報量と話の荒唐無稽さにポカンとしていた勇魚は、そこで我に返って苦笑する。


「じゃあ、何か? まとめると、ボクはもうとっくの昔に死んでいて、あの世の代わりに別の宇宙に辿り着き、摩訶不思議なチカラで生き返ったって言うのか?」

「いーえ。厳密には、魂魄タマシイと肉体が分離しただけでは『死んだ』とは言えないのですよ」

「本来はネ、肉体から離れた魂魄タマシイはお月様へと昇るんだヨ。そしてお月様の光を浴びることで生前の罪や未練といった穢れを洗い清められるの」


「月で穢れを?」


 ……なんだか急にメルヘンな話になってきた。


「はい。そののち、月面で魂魄タマシイは『タマ』と『シイ』のふたつに分かれ、前者、『タマ』は生前の記憶を保持したまま月の内部へ迎え入れられるのです。そしてそこで安らかな眠りにつくのですよ。所謂、月魄げっぱくとして」

「ちなみに後者、『シイ』は、生前の記憶を綺麗サッパリ消去されてからお月様の光に乗って地球へ舞い戻り、魄飛雨はくひうを介して誰かの胎内に宿るの。そして宿った母胎の、太陽の光をふんだんに浴びた『タマ』の複製を授かり、それと結合することで、新たな魂魄タマシイ、別の生命いのちに生まれ変わるんだヨ」


 ……前言撤回。メルヘンというにはどこかシステマチックすぎる。


「えーと……要するに、だ。肉体から離れた魂魄タマシイの半分は生の苦しみから永遠に解き放たれ、もう半分は輪廻転生することでやり直す機会を得るって解釈でいいのカナ……?」


「はい。それをおにーさんのように解放ややり直しと捉えるか、それとも永遠の停滞や終わらぬ試練と見做すかは、そのヒト次第でしょうが。……それに、聞いてのとおり、輪廻転生とは言ってもヒトが連想するそれとは多少プロセスが異なりますです。あと、生前あまりに大きな罪や幾多の過ちを犯した魂魄タマシイは、それらとはまた別のルートを辿ることになるのですよ」


「別のルート」


 それはもしかして――


「なんにせよ、お月様で穢れを洗い清められることなく現在いまに至り、『タマ』と『シイ』の両方、さらには生前の記憶さえも保持しているおにーちゃんは、厳密にはまだ『死んだ』とは言えない状態なんだヨ。その途中の段階に過ぎないの。長い長い臨死体験の最中とも言えるネ」


 ……俄かには信じがたい話だった。荒唐無稽も甚だしい。

 だが、これがただの作り話なら。

 この双子が見た目どおりの、ごくごく普通の人間の幼女でしかないのなら。

 もしそうならば、こんなにも難解な単語の羅列をこうも滑らかに紡げるものだろうか……?


「まさか……本当に……? いや……いくらなんでもそんな非現実的な話が……」

「信じられないのも無理ありません。百聞は一見に如かずです。今から証拠をお見せしましょう」

「証拠だって?」

「目を閉じて。服を着ている自分、その姿を頭に思い浮かべてみてヨ」

「服を着ている自分を……?」


 言われたとおり目を閉じて、お気に入りの服を着た自分の姿を脳裏に思い浮かべてみる。

 上半身は紺のインナーに白のジャケット。下半身は黒のジーンズと同色のショートブーツ。


 ……高校入学を目前を控えた三月の半ば、ある肌寒い日を境に、ブツリと途切れてしまっている記憶。それを辿る限り、自分が最後に身に着けていたはずの衣装――


「あっ! あと、これもなのですよ、おにーさん!」

「思い浮かべた姿の両手の薬指に、これと同じ虹色の指輪を追加して、おにーちゃん!」

「……え? 虹色の指輪?」


 反射的に瞼を持ち上げる。

 そして、鼻先に突き付けられた双子の左手、その薬指で輝く指輪を見て、勇魚が素直に指示に従ったその瞬間。




 全身を駆け巡るさざなみのようなくすぐったい感触とともに、視界を蒼い閃光が覆った。




「な、なんだ⁉ って、これは……⁉」


 己が全身を見回して、勇魚は驚きに目を瞠る。


 炎のようにゆらゆら揺らめく蒼い燐光が全身を包んだかと思うと、それは次の瞬間物質化、上下一式の衣類を構築したのだ。


 それは紛れもなく、たった今頭に思い浮かべたばかりの衣装――紺のインナーと白のジャケット、そして黒のジーンズと白のスニーカー。


 オマケに両手の薬指には双子が填めているモノと全く同じデザインの指輪、虹色のシグネットリングがいつの間にか填まっていて、陽光を反射しキラキラと光っている。

 よく見ると右手のそれには『♓』『♍』『♈』『Ω』の四つの刻印が、左手のそれには『♊』『A』のふたつの刻印がそれぞれ刻まれているのがわかった。

 勇魚はそこでようやくテルルの指輪には『♊』の刻印が、レアの指輪には『♓』の刻印がそれぞれ刻まれていることに気付く。


 ……もっとも、今気にすべきはそこではなかったが。

 今、まず気にすべきは、


「えええええっ⁉ 何、今の⁉ どういう原理⁉ この服、どこから湧いて出たの⁉」

「落ち着くのです、おにーさん。今のは『星核構築デイジーワールド・プログラム』というチカラが発動しただけなのですよ」

「で、『星核構築デイジーワールド・プログラム』……?」


 また知らない単語が出てきた。

 そろそろ脳が許容量キャパシティオーバーしそうなのだが。


「さっきおにーちゃんにした接吻キスだけど。テルルのアレは、おにーちゃんに受肉してもらうため、おにーちゃんの『タマ』に『地球系統ガイア・システム』を注ぎ込むことが目的だったんだけど。わたしのヤツは、おにーちゃんの『シイ』に『星核構築デイジーワールド・プログラム』を分け与えるためのモノだったんだヨ」

「ど、そういうこと?」

「つまりですね、『地球系統ガイア・システム』が酸素や炭素、水素や窒素といった元素を操って『生体』を生成するチカラなら、『星核構築デイジーワールド・プログラム』は同じように様々な元素を操って星のコアといった『物体』を形成するチカラなのです」

「おにーちゃんはネ、今、わたしから分け与えられた『星核構築デイジーワールド・プログラム』を使って、服や指輪を形成したの。無自覚にネ」

「もう何がなんだか……」

「ちなみにその指輪ですが、それは一種の制御装置セーフティなのです。外しちゃダメなのですよ?」

「チカラが暴発するのを防いでくれるからネ。……用途はそれだけじゃないけど。詳しくは、おいおい説明するヨ」

「な……っ」


 暴発?


「するの、暴発⁉ する可能性があるの⁉ キミたち、そんな物騒なモノをボクの魂魄タマシイに注ぎ込んだワケ⁉」

「……あと、予め言っておきますと、『星核構築デイジーワールド・プログラム』を使えば衣類以外のモノも形成できますですよ。ただ、本来は地球の核を形成するためのチカラで、繊細なコントロールを必要としますので、イタズラに何かを――特に大きいモノや複雑な構造を持つモノを形成するのはお奨め出来ませんです」

「スルー⁉」

「それに、ネ。『星核構築デイジーワールド・プログラム』も『地球系統ガイア・システム』同様、元を辿れば母様から分けてもらった借り物のチカラだから。おにーちゃんがこのチカラで形成したモノがカタチを維持していられる時間は、『地球系統ガイア・システム』で生成されたその肉体同様、限られているの」

「っ」


 勇魚が思わずその場にしゃがみ込んで頭を抱える。


「なんなんだよこれ……。まさか、さっきの話も全部マジなのか……? それともボクは悪い夢でも見ているのか……?」

「今度は夢扱いですか……。(……)」

「埒が明かないんだヨ……。(……)」


 いい加減面倒くさくなったのか、双子は溜め息をつくと、


「「――えいっ」」


 突然悪戯っぽい笑みを浮かべて、テルルがこちらの左手を、レアが右手を、それぞれ掴み引っ張ってきた。


「ちょっ⁉」


 勇魚は双子の行動に面食らいつつも反射的に腰を浮かせ立ち上がる。


 双子はそれを見て満足そうに頷くと、「「よーいドン!」」と言って駆け出した。


「こ、こら、待っ、引っ張るなっ。ボクをどこへ連れていくつもりさ⁉」

「こうなったら荒療治なのです! もっともっと徹底的に現実を突き付けてあげましょう☆」

「まずはここがおにーちゃんの生まれ育った地球じゃないってことを証明してあげるヨ☆」

「ええっ⁉」


 証明?

 ここが自分の生まれ育った地球ではないことを――あだし宇宙、模造された地球であることを?


「い、いったいどうやって――」

「決まっているのです!」

「簡単なんだヨ!」


 頭に浮かんだ疑問をそのまま発する勇魚に、双子は仲良く振り返ると、パチッとウインクして異口同音に答えた。




「「街でデートをするんだよ☆」」



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