♯2 幽明界の上に立ち① キスで起こされるのって浪漫だけど(前編)


 

 目覚めよと呼ぶ声が聴こえ、瞼を持ち上げると、すぐ目の前に女の子の顔があった。

 それもふたつ。


「ん~~~っ☆」

「ちゅ~~~☆」


 下ろした瞼の、綺麗に整った長い睫毛を緊張で震わせて、緩やかなカーブを描くあどけない頬に紅葉もみじを散らした人形のような女の子が二人。前屈みになって顔を寄せ合い、その桜色の薄い唇をこちらの唇に押し当てていたのだ。

 それは情熱的だが唇をぐりぐりと押し付けるだけの、こちらの唇をついばむことしか考えていない、ひどく不慣れで不器用な接吻キス


「………………? ………………!」


 最初何が起こっているのかわからず、かしずくように大地に片膝をついたままパチパチと目を瞬かせることしか出来なかった勇魚いさなだが、視界を占める女の子たちの顔のどアップと、唇に感じるふたつのしっとりとした感触に、遅まきながらも自身の置かれた状況を理解して、おもてを紅潮させる。

 からすのような黒髪と、黒曜石こくようせきを彷彿とさせる鋭利な黒瞳こくどう――。中学を卒業した現在いまでも女の子と間違われることがある母譲りの童顔を、たちまち上気させる。


 早鐘を打つ心臓。耳の奥で騒めく血流の音。思わず腰が砕け、その場に尻餅をつく。すると追い縋るように女の子たちが身を乗り出し顔をますます近付けてきて、互いの鼻の頭がコツン、とぶつかった。睫毛と睫毛、頬と頬、顎と顎とが擦れ合う。反射的におとがいを反らし、両腕を突き出して、どうにかして目の前の女の子たちの唇を引き剥がそうと試みるも、彼女たちの手がいつの間にかこちらの頭をがっちりホールドしていたためそれも叶わず、どころか下手に抗おうとしたことが不興を買ったのか、いっそう押し付けられる結果となってしまった――挙句の果てには舌で強引にこじ開けられた唇の隙間から、「ふうぅぅぅぅ」と熱い吐息を送り込まれ、肺を始めとする五臓六腑にじんわりと浸透していくのを否が応でも感じてしまう。


「むー! むー! ふ、ふぐっ……じゅるっ……」


 さらには、彼女たちのすべすべした柔肌から立ち昇るミルクにも似た甘い匂いと、口内に侵入し蹂躙してくるふたつの小さな舌の感触が脳を蕩かして、思考能力すら奪い去り――

 ついには視界が狭まり、色彩を失い、耳鳴りまでし始めて――


 ……って、


「――これ、酸欠の症状じゃないかっ! 殺す気かぁ⁉ いい加減離れろぉぉぉぉぉ!」


 ……半ば失神オチかけていた勇魚はそこでようやく我に返ると、なけなしの力を振り絞り、目の前の女の子たちをドン!と突き飛ばした。


「「わあっ!」」

「ぜー……。ぜー……。あ、危なかった……! もう少しでヒトに言えない死にかたをするトコだった……!」


 額の脂汗を拭いつつ立ち上がった勇魚は、地面に尻餅をついて「「痛たたた……」」とお尻を擦っている女の子たちを見下ろし、パチパチと再度目を瞬かせる。

 自分を大胆極まりない方法で起こしてくれた二人の女の子。

 その正体……というより年齢は、こちらの想定とあまりにかけ離れたものだった。


 と言うのも、


「えっ? チビッ子……⁉」

「良かった! 成功したのですよ、レア」

「ん。やったネ、テルル」


 ぴょん、と飛び跳ねるように起き上がって喜色満面で駆け寄ってきた女の子たちはどちらも、背丈が勇魚の腰ほどしか無く、せいぜい小学校低学年くらいにしか見えなかったのだ。


「無事に起こせてホッとしたのですよ☆」


 片や、勝気そうな吊り目に紅玉ルビーのような煌めきを宿し、左の側頭部でサイドテールにした黒髪には紫水晶アメジストまぶしたような菫色の艶を湛えた女の子。


「失敗したらどうしようかと思ったんだヨ☆」


 片や、内気そうな垂れ目に瑠璃ラピスラズリのような煌めきを宿し、ツインテールにした黒髪には青瓊玉ブルーカルセドニーを塗したような蒼い艶を湛えた女の子。


 見た目の印象こそ異なれど、その出来すぎなほど整った顔立ち、美しく繊細な硝子細工がらすざいくのごとき美貌はひどく似通っていて、両者が双子であることは疑いようも無かった。

 その上、その身を包んでいるのはいかにも霊験灼れいげんあらたかといった装い、白無垢や巫女装束を彷彿とさせる白と朱のころもで、その左手の薬指では年齢に不釣り合いな虹色の指輪が輝いているのが見て取れた。


「き、キミたちは……?」


 先程の接吻キスの相手が(超絶的なまでの美少女とはいえ)まだ年端もいかない女の子たちだとわかり、勇魚は拍子抜けしたらいいのかそれとも青ざめたらいいのか迷いながら訊ねる。


 そんな勇魚の反応を見た双子は、形のいい眉をピクンと跳ね上げて、「やっぱり……」といった表情で目配せし合うと、




「あたしですか? あたしはテルルですっ。この地球の化身、分霊であるガイアにして、破壊と修正を司る造物主たちを束ねる身なのですよ☆」

「わ、わたしはレアだヨ……。同じくこの地球の化身、分霊であるガイアにして、創造と再生を司る造物主たちを束ねる身なの☆」




 と。

 ドヤ顔で、しかも女児向けアニメの変身ヒロインみたいな決めポーズをビシッと取り、名乗った。


「………………は? ちきゅうのけしん? ぶんれい? がいあ……?」

「うむ。苦しゅうないのですよ☆」

ちこう寄れ、なんだヨ☆」


 ……この子たちは何を言っているのだろう?


「あのね、お嬢ちゃんたち。悪いんだケド、キミたちのオママゴト、いや、何かのアニメのなりきりごっこかな? ま、どっちでもいいんだけど、とにかくキミたちのお遊戯に付き合ってあげられるほど暇じゃないんだよボク」

「むぅ……。あたしたちの言ったこと、信じてくれないのですか?」

「わたしたち、今はヒトの身だけど、本当にこの地球の分霊なんだヨ。言わば現人神あらひとがみなの」

「あはは。そんな馬鹿な……」


 勇魚は一笑に付そうとするも、テルルと名乗った幼女のサイドテールにした黒髪、特に蒼いルリイロモンフェを象った髪留めで束ねられた髪の房が、ふりふりと揺れて火の粉のような光の粒を振り撒いているのに気付き、「えっ」と絶句する。

 そしてギ、ギ、ギ、ギ……と油が切れたブリキの玩具のようにレアと名乗ったもう一人の幼女を見、彼女のツインテールにした黒髪、特に水色の水引みずひきで束ねられた左右の髪の房が、やはりふりふりと揺れて蛍火ほたるびのような光の粒を振り撒いているのを確認すると、口のを引き攣らせた。


「な、何その光? それ、どういう仕掛け……?」

「でーすーかーらー。あたしたちはただのヒトではないと何度も言っているのですよ」

「タネも仕掛けも無いんだヨ……。これはヒトで言う、おーら? みたいなモノだから……」

「……ま、まさかそんな……。そんな漫画や小説みたいな話が現実にあるワケが……」

「む。さては『事実は小説よりも奇なり』という諺を知らないと見えます。ヒトのくせに」

「この宇宙は不思議でいっぱいなんだヨ。ヒトの常識が通じないことだって沢山あるの」


 勇魚が滝のような汗を流していると、双子が「やれやれ」というジト眼を向けてくる。


「いやいやいやいや。どうせ何かのトリックでしょ、それ。そう簡単には騙されないぞ!」

「むぅ……困りました。メチャクチャ疑り深いのですよ。(……)」

「(う……ん。……)。かくなる上は、その身で確かめてもらうしか無いんだヨ」

「ちょっと待った! 小声で何ブツブツ言ってるんだ? 気になるじゃないか! ていうか、その身で確かめてって、ボク今から何をされるのさ⁉ 嫌な予感しかしないんだけど!」

「えーっと……。このへんの重力をゼロにして、大気圏の外までポイってされるのと、」

「逆にこのへんの重力だけ千倍にして、車に轢かれた蛙さんみたいにプチッってなるの、」


「「――どっちがいい?」」


「どっちもイヤだよ⁉」


 双子が提示した選択肢にドン引きし、後退る勇魚。

 と、右脚の踵が何かにぶつかった。


「? なんだ?」


 ビクッとし、反射的に振り返った勇魚は、背後に聳えていたにそこでようやく気付き、


「な、なんだこの壁……?」


 視線をそろそろと持ち上げて、それの正体を悟り「なっ……⁉」と息を呑んだ。


「こ、これ……氷山⁉」


 そう。それの正体は、今の今までその存在に気付かなかったのが不思議なほど巨大な氷の塊。通常、北大西洋くらいでしかお目に掛れない氷の大剱山だいけんざんだったのである。

 三叉の矛のような先端を天をも貫けとばかりに雄々しく屹立させ、全面からひんやりとした冷気を発して周囲の気温を著しく低下させているその威容は、空気を含まない氷河の氷のごとき幻想めいた青さも相俟あいまって、眩暈にも似た強烈な違和感を覚えさせるに充分な代物だった。

 それこそ、異界に迷い込んでしまったかのような錯覚を覚えずにはいられないほどに。


 否。――


「な、なんで⁉ まだ雪がチラつく三月とはいえ、なんでこんなところに氷山が……⁉」

「いえ、こんなところとは言いますが、そもそもここがどこかちゃんとわかっているのですか?」

「というか、自分で創造しておいて、そこまで驚くこともないと思うんだヨ」

「は、はぁ? 創造した? 誰が? 何を?」

「いえ、ですから、おにーさんが」

「この氷山を、だヨ」

「……さっきから何をワケをわからないことを言って……。ん? アレは?」


 よくよく見ると氷山の周囲には何かの遺構と思しき無数の建材、大小様々な瓦礫がれきがそこかしこに転がっていた。そのうちのひとつにヒビの入った大きな丸時計がくっ付いているところを見るに、それらはすべて時計塔の残骸なのだろう。

 また、半ば氷山に埋もれるように木造の建築物が一棟ひっそりと佇んでいるのがわかったが、それは過去に火事にでもなったのか、一部の壁と柱だけを残して焼け落ち朽ち果てている。


「なんだ、あの建物? ていうか――」


 眉を顰め、周囲を見回す。どうやらここは鬱蒼と生い茂る原生林と、物々しい鉄条網で四方を囲まれただだっ広い空き地のど真ん中らしく、外界とは完全に隔てられているようで、自分たちの他には人っ子一人いなかった。

 しかも、直径十メートルはあろうかという円い穴ボコがそこかしこで口を開けている。


「この地面の穴ボコは何? まるで月面のクレーターみたいな……」

「……憶えてないのですか? かつてここには、廃校となった小学校があったのです」

「でも、をキッカケに、この辺り一帯は封鎖されてしまったんだヨ」

「小学校? じゃあ、あの建物は校舎か? ってことは……そうか、このだだっ広い空き地は校庭か! ――でも、封鎖っていったい何があったんだ? 二十五年前の事件って……?」


 もう、ワケがわからない。


「ここ、どこなのさ⁉ なんでボクはこんなところにいるんだ⁉」


 いや、待て。違う。そうじゃない。

 それよりも自分がまず疑問に思うべきことは――


「ボク、⁉ どうしてパンツすら身に着けてないんだ⁉」

「……今更過ぎますですよ、おにーさん。目覚めてから今までずーっとスッポンポンだったのに」

「……微塵も気にする素振りが無かったから、おにーちゃんは所謂いわゆる裸族らぞくさんなのかと思ったヨ」

「ンなワケあるか! 爽やかな青空の下、小学校低学年くらいの幼女たちと全裸でチューしていたという現実から目を背けていただけだっ!」

「威張って言うことじゃないのです……」

「というか、とっくに気付いてたんだネ……」

「でももう無理! 限界! ていうか寒い! 氷山から漂ってくる冷気でメッチャ寒い! ボクが着ていた服はどこ行ったの⁉ このままじゃ凍死しちゃうよ!」

「「そのわりにとっても元気☆」」

「ダメ! こっち見ないで! 子供が見るものじゃありません! ……つーかマジでどこ見て言ってんの⁉ それだとまるで下半身の一部が元気になってるみたいじゃん!」

「「はあはあはあ」」

「息を荒げるなー!」

「「じゅるり……」」

「舌舐りもしないで⁉ 目が肉食獣のそれなんだケド⁉ ホントなんなのサこのマセガキどもは⁉ 親御さんはどういう教育をしてるんだ!」


 勇魚が手で股間を隠し、その場にうずくまっていると、


「……揶揄からかうのはこれくらいにするのです。ですから、ちょっと落ち着いてほしいのですよ」

「……魂魄タマシイだけでこのあだし宇宙、模造された地球に辿り着いたのだし。裸なのは仕方ないヨ」

「えっ?」


 いきなり素に戻った双子に、またもやワケのわからないことを言われた。


魂魄タマシイだけでこのあだし宇宙、模造された地球に辿り着いた……?」


 この子たちはいったい何を言っているのだろう……?


「ホントに何も憶えてないのですか? 二十五年前のことを何ひとつ?」

「わたしたち、逢うのは今日が初めてじゃないヨ? 二十五年前に、ここで出逢ってるの」

「……二十五年前?」


 そう言われても、自分はこの春に高校生になったばかりの十五歳で……。

 いや、もしかすると自分とこの子たちの間には何か根本的な認識のズレが……。


「二十五年前のあの夜。母様から『全球凍結スノーボール・アース』『宇宙播種パンスペルミア』『稀少地球レアアース』のみっつの地球創造のチカラを奪って出奔した眷属、〈太母グレートマザー〉を、この地でようやく追い詰めることに成功したあたしたちは、けれど自らの失策により、倒壊する建物の下敷きになりかけていました――」

「……いや、ちょっと待って。その話、長くなる? どーしても今聞かなくちゃダメ? ボク今、シャレじゃなく本気で凍え死にそうなんだけど。出来れば先に、何か着るモノを」

「そのとき、『宇宙播種パンスペルミア』によって引き寄せられた隕石に便乗してこの地球へ降り立ったおにーちゃんが、『全球凍結スノーボール・アース』を揮ってこの氷山を造り上げ、倒壊する建物を押し戻して、わたしたちを救ってくれたんだヨ」

「無視⁉ たぶんだけどそれ、すっごく重要な情報だよね⁉ 間違ってもスッポンポンで聞く場面じゃないよね、ここ⁉ 本来なら襟を正して聞くべきトコだよね⁉」


 というか、今の話だとこの氷山は二十五年も前からずーっとここに在ることになるのだが。

 四季巡る日本で四半世紀経っても氷が解けないなんてことが普通に考えてあるワケが……。

 まあ、それを言ったら氷山なんてモノそれ自体がこの国じゃ普通じゃないのだけれど……。


「……いいからひとまず落ち着くのですよ、おにーさん」

「……真面目に聞いてほしいんだヨ、おにーちゃん」

「無茶言うな。今の格好からして落ち着かないし不真面目なことこの上ないってのに。フルチンだぞ、フ・ル・チ・ン。見ろ!」

「「……見ていいの?(じー)」」

「やっぱダメ! お願いこっち見ないでー!」

「(……相変わらず揶揄い甲斐のあるヒトなのです……)」

「(……二十五年前のあの夜は、同じ全裸でも格好良かったんだけどネ……)」

「待って! 今のは聞き取れたぞ! ボク、二十五年前も全裸だったの⁉  何やってんの、二十五年前のボク⁉  今のボクに言えたことじゃないけども!」

「心配要らないのですよ。あのときのおにーさんは今と違い、宵闇で紫色に光ってたのです」

「眩しくて肉体の細部までは確認できなかったんだヨ……。輪郭を捉えるので精一杯だった」

「いや。宵闇で光ってたって。それはそれでどーなってんのボク……。――


「「――聞いて」」


 瞬間。

 何が引きがねになったのか、それまでどこか面白がっているふうでもあった双子の眼差しが、すっ……とかつてない真剣さを帯びてすがめられる。




「この地球はですね、おにーさんが知っている、おにーさんが生まれ育った地球ではありませんのですよ。それどころかこの宇宙自体、かつておにーさんがいた宇宙とは別物なのです」

「この地球はネ、おにーちゃんが生まれ育ったオリジナルの地球を参考に、わたしたちの母様とその眷属である聖霊たちが一から創造した惑星――なんだヨ」




「………………は?」



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