♯5 幽明界の上に立ち④ もっと普通のヒロインを所望します(前編)
「あなた様とこうしてまたお会いできる日を、一日千秋の思いでお待ちしておりました。イサナ様」
背後、耳元で囁くくぐもった声に、「っ⁉」と弾かれたように振り返った
「どわぁ⁉」
「……そこまで驚かなくても」
仰天し尻餅をつく勇魚を狐面の下から見下ろし呆れたように肩を竦めたのは、言うまでもなく
「いつから
「あなた様が蝶の翅に映る映像にお気づきになったのとほぼ同時に、ですが」
「おもいっきり最初のほうじゃん! ずっと無言で
「似たようなモノです。わたくしはこの二十五年、ずっとあなた様のお傍にいましたから。そう――あなた様の魂魄の一部となって」
「へ?」
さらっとトンデモナイことを言われた気がした。
「ボクの
「何か勘違いなさっているようですね」
袖で口元を隠し、ふう、と謎の少女は上品に溜め息を吐く。
「あの双子は正確には、あなた様の
「んんん? つまり……?」
「この二十五年の間にわたくしがあなた様の人となりを観察する機会は、途中、ほんの半年ほどですが、あったということです」
「それはどういう……?」
「……すべての始まりは二十五年前、ひとつの悲運によって一人のヒトの子が命を落とし、その友人である三人の子らがわたくしの同胞である
「! じゃあさっきの映像は」
「はい。そのときのモノです。あなた様も今ご覧になったとおり、わたくしどもをその身に宿した者たちは、友を救うため、
「
あの双子の口からも何度か聞いた名詞だ。
「そう――」
――大気中に含まれる二酸化炭素を消失させるなどして寒冷化を引き起こし、この地球全体を七千万年もの永きにわたって
――隕石に付着した微生物の胞子のようなモノ……
――因果に干渉したり確率を操作したりすることで、無数に分岐する未来の中から『最も望ましい
「――
「
その名も、模造地球デイジーワールド。
「そして、この地球に降り立ったあなた様の
「………………」
全く思い出せない。
「あなた様はわたくしどもの訴えに戸惑いつつも応じ、説明を受けると、双子を地上に遣わせるために我が主が揮った『
「息吹を介して乗り移った……」
「はい。あなた様の
「四十八願希実……早乙女瑞穂……氷室風花……それがあの三人の女の子の名前?」
こうなると、
「――いや、待て。ここまではすべて二十五年前の、ボクが初めてこの地球に降り立った夜の話だよな? キミがそれから二十五年の間、ずっとボクの
「……ふむ。あの三人の名前を聞いても何も思い出せないご様子。おそらくは
「放っときゃいいんだよ、ンな薄情者のことなんざ」
「えっ⁉ わぷっ⁉」
またもや背後から聞こえた声に驚き振り返った勇魚は、離散するように一斉に飛び立った蝶の群れに視界を遮られて息を呑み、そして蝶たちが去ると同時に視界に飛び込んできた光景に瞠目した。
「これは……!」
そこには、何故今まで気付かなかったのか、自分が今日まで眠りについていたモノより一回り小さな氷山が聳えていて。
そしてその頂きに、
「散々チカラを貸してやったってのに、ちょっと寝ただけでアタイらのことをコロッと忘れちまうような薄情者だぞ。放っときゃいいのさ。わざわざ説明してやるこたぁ無え」
もう一人、見知らぬ少女がいた。
仁王立ちで腕組みをし憤りに燃える
「キミは……?」
「ああ? だぁれが教えるもんかよ。自分で思い出しやがれ、バーカ!」
勇魚の
「彼女は〈
「って、言ってる傍からバラしてんじゃねーぞマナ! イサ
「別にいいではありませんか。遅かれ早かれ教えるつもりだったでしょう」
「自分で名乗りたかったんだよ! 格好良く!」
「……イサナ様。彼女はご覧のとおり、気難しい猫みたいな性格をしておりますゆえ、わたくしの説明をよく聞いて取り扱いには充分ご注意ください。特に今はあなた様に忘れられてしまったショックで完全に拗ねておりますので」
「はあ」
「百歩譲って猫扱いするのはいいとしても、ひとを医薬部外品みたいに言うのはヤメろや! てか、別にショックじゃねーし!」
「涙目ですよ」
「な、泣いてねーやいっ」
慌てて目をゴシゴシと擦る赤毛の少女、クー。
狐の面を着けた少女――マナが、ふう、と呆れたような溜め息をつく。
「無意味な強がりを。かつて、イサナ様の肉体に蓄積された『
「……なーに言ってやがる。あのチビどもに警戒されていたのはどっちかっつーとおまえのほうだろ? おまえ、イサ公に対してはみょ~に世話焼きなトコあるし」
「……もしや喧嘩を売っているのですか? お望みならお相手致しますよ?」
「そりゃこっちのセリフだっ。下っ端が、上位眷属であるこのアタイと
「はいはい。それくらいにしておきなさいな。……ほら、彼が話についていけず途方に暮れてしまっているわよ?」
「⁉」
パンパンと手を打ち鳴らし、いがみ合う
クーよりも見た目は幾つか年上、自分と同じ高校生くらいか。地面に触れてしまいそうなほど長く伸ばした
肌すらもが雪のように白いその少女は、バツが悪そうに顔を背けるマナとクーを兎のように赤みがかった目で一瞥し、次いで勇魚へ向き直ると、
「お久しぶり、イサナ。いえ、今のあなたにとって私は初対面も同然だろうし、ここは馴れ馴れしく思われないよう
ニコリと笑って、両手でコートの裾を軽く持ち上げて優雅にお辞儀をする。
……が、
「怖っ」
気のせいだろうか。目の前の少女――リッカの淡々とした口調、
「「うわぁ……」」
現に、マナとクーですらドン引きしているように見えるのだが……。
勇魚もまた後退りつつ、恐る恐る口を開く。
「えっと……出来れば名前で呼んでくれないか?
「あら。あなたはこの期に及んでまだ自分を『普通の人間』だと思ってるの? この地球があなたの知る地球じゃないことや、自身の立ち位置は、もう充分認識できたと思うのだけれど。忘れっぽい上に、未練がましいのね」
「………………」
確信する。この中で間違いなく彼女が一番不機嫌だ。
「でもまあ、いいわ。あなたがそうしてほしいと言うのなら、イサナと呼ぶことにしましょう。かつてのように、ね」
「……ありがとうございます」
つい敬語になってしまった。
「おいこら、リッカ。おまえ、いくらなんでもイサ公に当たりが強すぎるんじゃねーか?」
「クー、あなたがそれを言いますか……」
「はいはい。悪かったわ。でも、皮肉のひとつくらい言いたくもなるでしょう。こうも見事にこちらのことを忘れられたら」
「「わかる」」
わかるらしい。
「あのおチビちゃんたちも、よく平静を装っていられるものだわ。いえ、それだけイサナのことを信じているということかしら? だとしたら流石ね」
「待ってくれ。キミたちの口振り……それにさっきのマナの言葉……もしかして、二十五年前氷山の中で休眠に入ったボクの
「まだ秘密です」
「なんで⁉ 気になるんだけど⁉」
「うっせーなぁ。一々細かいことを気にする男は嫌われるぜ?」
「細かくない! 断じて細かくはないよ⁉」
「ぶっちゃけ説明すると長くなるし、面倒なのよね」
「えー……」
それはもうほとんど肯定しているようなものだと思うのだが。
「なら質問を変えるけど……そもそもの話、キミたち眷属ってのはいったいなんなワケ?」
「あら。あのおチビちゃんたちが説明しなかった? この宇宙そのものであり、地球を始めとする万物の生みの親、〈
「〈
「わたくしどもは、」
リッカの説明をマナが補足する。
「模造地球デイジーワールドを創造するための八十八個のチカラ……そのうちのひとつの源泉にして、イベントや概念を担う聖霊なのです」
「聖霊?」
「そう。実体無き聖霊。既にご説明したとおり、わたくしが『
「アタイたちが揮うチカラは最初から持っていたモノだから、地球の分霊であり〈
「かく言うクーや私なんかは、もう役割を終えてるようなものなのだけれどね。『
そういえばあの双子も、自身が揮うチカラ――『
「ってことは、あんなデタラメなチカラが他にも八十個近くあるの……? 全部で八十八だっけ? 星座の数と一緒じゃない」
「はい。そのためわたくしどもはいずれかの星座をシンボルとしています。わたくしの場合はくじら座ですね」
「……くじら座」
親近感が湧く星座だ。
「アタイは乙女座だぜ!」
「私は牡羊座ね」
「……なんであっちの
「黄道十二星座のいずれかをシンボルとしている眷属は、それ以外の星座をシンボルとしている眷属よりも上位に位置しているのです。……わたくしとしては不本意なのですが」
「「ふふん」」
先程クーがマナのことを下っ端呼ばわりしていたのはそういうことか。
……そのわりにマナのクーやリッカに対する言動は
「そして、」
マナは自慢げにふんぞり返る
「二十五年前、すべての引き鉄を引いた
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