(2) グーちゃん、反抗期

 それからおよそ半年間。


 今のところ、なんとか頑張って起きては朝当番の任務をこなしてきたものの、運悪く順番が月曜日に当たってしまった時だけは、こうして時間に追われてしまっている。

 おまけに今日は、前の日目覚ましをかけ忘れてしまい、起きてからすぐに家を飛び出すはめになった。

 ああもう、本当に最悪だ。


 幸い、わたしの通う「南山高校」は自宅から結構近い。

 全速力だと五分ほどで到着する。


 前少しだけ遅刻してしまった時は担当の先生からくどくど小言を言われたから、これ以上遅れるわけにはいかない。

 息を切らしながら最後の地獄坂を駆け上がると、そのまま勢いよく校門を突破した。


 グラウンドを通り過ぎ、やっと飼育小屋に辿り着く。

 こっそりカバンからスマホを取り出すと、時刻は七時二十九分だった。


 危ない、危ない。

 思わず深く息を吐き出すと目の前の古びたドアをそっと開いた。



 小屋の中には、既にもう一人の飼育委員がいた。


 彼女はわたしとは違い、いつも余裕を持って朝当番に来ている。

 前に一度どの辺りに住んでいるのか尋ねた時、わたしの何倍もの距離から来ていることにとても驚いた。


 どうして、そんなに朝が強いのだろう。

 いつかコツとか聞いてみよう、と思いながら小さな背中に声を掛ける。


「おはよう、紅葉ちゃん。ごめんね、遅れて」

「いいよ、別に。てか、全然時間通りじゃん」


 ホウキを動かす手を止め、紅葉ちゃんは軽く右手を振り返した。


 クラスメイトの手島てじま紅葉もみじちゃん。

 まんまと先生の罠にはまった(間抜けな)わたしとは違い、じゃんけんに負けて選ばれた彼女とは、五十音順で席が前後だったこともあり一番最初に仲良くなった。

 サイドポニーの髪型が似合う気さくな女の子だ。


 そんな紅葉ちゃんに掃除を任せ、わたしは餌やりをすることにした。

 棚から小袋をいくつか取り出し、右端の檻から順に回っていく。


 ニワトリやウサギに手際よく餌をやり終えると、最後にマングースの檻へと近づいた。


 マングースたちは、島では害獣として忌み嫌われている。

 けれどわたしは、目の前のこのこを「グーちゃん」と呼んで密かにかわいがっていた。


 そもそもミーアキャットだっておんなじ仲間なんだし、見た目のキュートさはピカ一なんだ。

 よーし、よし。おいしいご飯をあげに来たよ。お姉ちゃんのそばまで寄っといで。


 グーちゃんはお誘い通りそばまで近寄ると、小さなお口を指先に付ける。

 そして大きく顎を開け、親指ごと餌に噛みついた。


「いたーい!」


 狭い小屋に悲痛な叫び声が響く。

 どうしたん! 紅葉ちゃんが慌てて駆け寄ってきた。


 わたしは、いくら甘噛みとはいえ真っ赤に腫れてしまった指先を見つめながら涙声で訴える。

「どうしよう、紅葉ちゃん。グーちゃんが反抗期に入っちゃった」



 保健室から帰って来た時には、もう始業のチャイム五分前だった。

 残りの仕事は既に紅葉ちゃんがやってくれたようで、何度もお礼を言いながらわたしは忙しなく小屋を後にした。


 教室に向かう途中、紅葉ちゃんの方を見ると、お気に入りのピカピカな一眼レフを首に提げ、熱心に画面を見つめている。

 何を撮ったのか気になりお願いすると、ほい、と気前よく見せてくれた。


 軽快なボタン操作に合わせ、小さな画面には次々と小屋の動物たちが映し出されていく。


「う~。やっぱり、何度見ても可愛いねぇ」


 さっき噛まれた指先のことも忘れ、しばし動物たちに癒されるわたし。

 その横から、いかにも誇らしげに声が聞こえてきた。


「ま。なんせこの私が撮ったんだから! かわいく撮れて当たり前、っていうか」


 紅葉ちゃんは写真部に所属している。

 朝当番の日は、こうしていつもさっさと作業を済ますと、空いた時間で動物たちを自慢のカメラに収めているみたいだ。


 彼女の撮った写真は、どれも被写体の魅力を存分に引き出たせている。

 画面越しに十分堪能しながら思わず声が漏れた。


「本当に紅葉ちゃんって、動物撮るの上手いよね~」


 紅葉ちゃんは、なぜか少しだけムッとした顔をすると、わたしからさっとカメラを奪い取る。そして。


「私が得意なのは、動物“だけ”じゃないよーだ」


 素早く構えた瞬間、鋭い閃光が目を襲った。


「……わっ、なになに!?」


 驚いて慌てふためくわたしをけらけら笑うと、紅葉ちゃんはすぐさまカメラのモードを切り替える。

 やがて画面から目を離し、再びニヤニヤと笑みを向けてきた。


「不意打ちの表情、頂きました」


 恐る恐る画面の中を覗き込むと、そこには目を大きく見開いた変顔の少女が映っていた。

 途端に顔が火照るのを感じ、「こらー、早く消しなさい!」と叫びながら、逃げる彼女を追い掛ける。


 後ろから先生の注意が聞こえてきたけど、全く気にも留めなかった。

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