第一章 さかな

(1) 朝当番はつらいよ

「ああ~っ、もう、ほんとツイてない!」


 不意に口からこぼれ出た愚痴は、秋の澄んだ空気に溶け、すぐに消えていった。


 月曜の朝はとにかく苦手。もしこの世界に逆に得意だという人がいるとしたら、ぜひ会ってみたい。

 潮風薫る海沿いの通学路を全力で駆け抜けながら、酸素不足の脳裏に思い浮かぶのは、そんなくだらないことばかりだった。


 そもそも、今はまだ七時半ちょっと前。八時からのホームルームには、慌てなくたって十分間に合う。

 実際わたしの他に、こんな時間にこの道を通っているのは数えるほどしかいない。


 それでもわたしがここまで急ぐ理由はただ一つ。

 …すべては、飼育委員の「朝当番」のせいだ。


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 事の発端は、入学式の日、クラスで行われた自己紹介タイムまで遡る。


 高校生活最初の自己アピールの場。

 第一印象は、その人の後々のイメージのほとんどを占めるみたい。(この前テレビで言ってた。確か、メラなんとかの法則、だったっけ?)


 だから貴重なこの瞬間を一言だけのテンプレ挨拶では絶対に済ませたくなくて、先生から名前を呼ばれると勢いよく立ち上がり、椅子が傾いたのも気にせずにいそいそと声を出した。


「はじめまして! わたし、遠矢とおや桜良さくら、っていいます。好きなことは楽しいなって思えることで、好きな食べ物は、おばあちゃんの作る鶏飯です!

 あとは…、そう、昔からなぜかよく動物に懐かれるんですよ! 中学の時のことなんですけど、帰りながら足元でずっと何か音がするな~、って思ってて。で、家のドアを閉めようとしたら、このくらいの小っちゃなうり坊がすぐ後ろで三匹仲良く整列してて、それがもうすっごくかわいかったんですよ~!」


 教室が一気に笑い声に包まれる。よし、もう十分かな。

 そう確信し、「……というわけで、これからも、どうぞよろしくお願いしまぁす」とはにかみながら、ぺこっと頭を下げる。

 それに合わせるかのように、パラパラと周りから拍手の音が沸いた。


 決まった。我ながらこの名スピーチで、クラスのみんなの心もばっちり掴めたはず。

 これで、わたしの高校デビューも成功同然かも。うしし。


 バレないようにうっすらほくそ笑みながら席に着くと、担任のあたり先生がにっこりと話しかけてきた。


「遠矢さんって、動物が好きなのね。だったら、飼育委員とかなってみない?」

「飼育委員、……ですか?」


 思わずキョトンとしながら尋ねると、先生は名簿を一旦教卓に置いてすぐ目の前まで近寄ってくる。


「そう。うちの高校では、中庭の飼育小屋でたくさんの動物を飼っているの。ニワトリの他に、島ゆかりのクロウサギやマングースだっているのよ。元々原生林にいた野生のこたちばかりだけど、今じゃみんな大人しいしかわいいわよ。遠矢さんにはぴったりな仕事だと思うんだけど」


 飼育委員……。動物の世話は嫌いじゃないし、可愛いこたちに囲まれて癒される高校生活も悪くないかも。

 それに何より、教室のみんながわたしのことを期待のこもった目で見つめている(ような気がする)から、これはきっと、高校生活最初のやる気の見せ所かもしれない!


 わたしの前向きな反応を感じ取り、先生はしたり顔でわかりやすく口角を上げる。そして。


「あら、良かったわ! 飼育委員を引き受けてくれる人が見つかって。朝当番があるから、毎年なかなか決めきらなかったのよねぇ」


「……へ、朝当番?」


 何やら不穏な単語が聞こえてきて、思わず間抜けな声が出てしまった。

 そんなわたしに構うことなく、先生はけろっとした顔で後出しの説明を始める。


「そうなの。飼育委員は週一回の当番日に、ホームルームの三十分前から、餌やりや掃除、あと観察記録をつける大事なお仕事があるの。各クラスから二人ずつだから、もう一人の子と協力して頑張ってね」


 三十分前。始業のチャイムが八時だから、七時半。

 朝がそこまで得意ではないわたしの心に、その宣告はずしんと重くのしかかる。


 再び周りから、拍手の音が聞こえてきた。

 でも、さっきとは違い憂鬱が支配する頭には、それらは最早ただの非情なノイズにしか聞こえなかった。

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