44 見張り小屋

 秘湯から屋敷に戻ってくると、イオとローレンは小さな部屋に通された。他の部屋は障子やふすまによって区切られているのにこの部屋は壁が厚く、扉があるので、秘密の話などをするときに使う部屋なのかもしれない。


 しばらく待っていると、赤いスカーフの忍者が入ってきた。そのあとに続いてかなり高齢で腰の曲がった老人が灰色の忍者装束を着てゆっくりと入ってきた。歩き方が転びそうで不安になるほどおぼつかなかったが、大事なバランスのポイントは決して外さず、器用に歩いていた。テストでよく使うステップを駆使しているかのようにも見えた。


「待たせた。一族を代表して私から二人に提案がある」

 赤いスカーフの忍者はそう切り出した。懐から紙を取り出した。


「実は、数日前、この予告状が屋敷の前に張り付けてあった。ここには『1月20日、族長の儀式の際、なぞなぞ様の首をいただく。燕雀えんじゃく』と書いてある」

 イオが間違って殺される原因となった予告状だ。


「なぞなぞ様は一族が代々守ってきた大切な神像だ。そこで、なぞなぞ様のモンダイを解いたあなた様の力量を見込んで頼みがある。どうか、このテロリストを捕まえるのを手伝ってはくれぬか?先ほど会議を行っていたのだが、二人が知り合いだとするならば、二人で共謀して盗みにきたテロリストなのではないかと疑う一族の者もいたのだ。二人がテロリストではないと私は信じているが、それを手っ取り早く照明するには二人が本物のテロリストを捕まえてみんなの目の前に引き出すことだ」


 赤いスカーフの忍者は隣に座る灰色の忍者のほうをちらりと見た。イオだけでなく、ローレンにも疑いの目を向けていたヒトがいたのだ。灰色の忍者は何も言わずに静かに座っている。


「いいですよ。テロリストを捕まえてここへ引き出して見せましょう」

 ローレンはすぐに提案を呑んだ。


「テロリストの名前はおそらく故事に由来するものからとってあるので、かなりの知能犯との勝負になることが予想できます。とてもいい修行になると思います。私は実はアメの一族のみなさんのもとに弟子入りしてしばらく修行を積ませていただきたいと思ってこの山を登っていたのです。テロリストを捕まえたら弟子入りは許してくださいますか?」


「いいでしょう。あなた様のような人材が我々のもとに弟子入りを希望するなど光栄です」


「それと、テロリストを捕まえたらイオさんに、アメの一族の家宝の矢を一目見せてあげてくれませんか?」


「矢を?まあ、いいでしょう」


 二人は握手をした。ローレンはイオにこっそりとウインクした。


「……おぬしは、……曲がっておる」


 しわがれた声がして一同が顔を向けると、さっきまで静かに座っているばかりだった灰色の忍者が鋭い眼光でローレンを見据えていた。

「曲がっておる」


「私がですか?」

 ローレンが聞き返したが、灰色の忍者はもう言葉を発することはなかった。


「どうか気になさるな。祖父はヒトのガクの揺らぎみたいなものを見えるとよく主張しているんですが、なにせ歳ですので。他愛ない老人の言葉とか占いのようなものだと思って聞き流してもらえれば」

 赤いスカーフの忍者は場をとりなすように言うと、扉を軽くたたいて合図した。


「それで、あなた方を見守る役として一人忍者をつける。サミダレ、入ってこい」


 扉の後ろで待っていたであろう若い忍者が入ってきた。水色のスカーフをしているので、先ほどイオを殺そうとした例の青年である。


「屋敷は自由に動き回ってもかまわん。わからないことはサミダレに聞いてくれ。それでは、健闘を祈る」


❀ ❀ ❀


「ここで予告の日が来るまで祠を見張れ」


 屋敷の部屋を借りてよく眠った翌朝、サミダレが二人を連れて行ったのは、岩に囲まれてほぼ全体が覆われているかのような小屋だった。祠のある岩から斜面を少し上ったところに位置していて、祠を見下ろせるようになっていた。


 小さな小屋の窓は一つだけであり、外壁には雪山らしくスキーが何組か立てかけてある。中の壁にはつるはしやシャベルなどの道具が立てかけられていて、中央には机と達磨ストーブ。吊り下げ式のベッドが四つ。部屋の隅には屋敷と連絡を取るためかわからないが黒電話がおいてある。


「ストーブつけると煙で位置がばれませんか?」

 イオが聞くが、ローレンはきょとんとしている。


「この見た目ですが、電気で動いてるので心配ないと思いますけど」


 ローレンはストーブのスイッチを押す。よく見ると煙突もないし本当に電気で動くようだ。あまりにレトロな見た目の暖房装置なので楽園が高度に発達した科学力によって作られた保存都市だということを失念していた。


 サミダレは弓と矢筒を背負ってすたすたと外に出ていく。


「どこ行くんですか?私たちを見張るんじゃなかったでしたっけ」

 ローレンが呼び止める。


「祠を見張るのが嫌なら逃げてもいいが、俺はこの山を熟知している。怪しい動きをすれば二人とも射殺す」


「そうですか」

 ドアが閉められる。かなり放任主義な見張りの見張りだ。


 しばらく二人は達磨ストーブのそばに突っ立っていた。

「お昼ご飯はどうなるんでしょうか」

 ローレンはぽつりと心底心配そうにつぶやいた。


❀ ❀ ❀


 見張りを始めて半日になる。

 ローレンの危惧していた昼食は無事、別の忍者によって届けられた。鮭と梅のおにぎりと温かいお茶だった。昼食は三人分届けられたが、サミダレが食べに戻ってくることはなかった。


 窓から一人が祠を見張り、見張っていないほうは暇なので小屋に置いてあった古文を読んで、一時間ごとで交代する。


「全く、昔の人はエモくなったらすぐ歌を詠みますね。節操もなく結婚するし」

 ローレンは吊り下げ式ベッドにごろごろと横になりながらぶつぶつ文句を言っている。


「一時間を過ぎたんですが、交代しますか?僕はまだ交代しなくても大丈夫ですが」

 ストーブを焚いているが、窓際は少し寒い。


「いいですよ。交代しましょう。それより、聞いてください。平安の人、ほんとにすぐ恋するんですよ。一瞬、ちらっとしか顔見てないくせに好きになんてなるわけないでしょうが。しかも相手は13歳とかの子供ですよ。こんな話読んで評価されるなんて古文って学問は私にはよくわからないです」

 理系が古文のラブコメを読んで困惑するのは誰もが通る道なのである。


「それ、最後まで読んでから交代でもいいですよ。この見張りをしなくちゃいけなくなったのは元はと言えば僕のせいですし」

 イオは申し訳なくなって言ったが、ローレンは本を閉じた。


「いえ、私も見張りします。この物語長いし。イオさんもその辺の本見てみてください」

 ローレンは窓際からイオを退かして、陣取った。


「そういえばサミダレさんはおなか空かないんですかね。どこに行ったんでしょう。私はもうおなかが空いてきて夕ご飯食べたくなってきちゃいました」

 ローレンは机に置きっぱなしのサミダレの分のおにぎりを見て言った。たしかにもう数時間すれば夕食の時間になってしまう。


「とりあえず、夕食なににするかもう考え始めませんか?あっちも作るのに時間かかるかもしれないし」


 夕食は何が食べたいかを電話で注文して届けてもらうシステムらしい。さっき昼食を運んできた忍者が説明してくれた。なんだかカラオケのようだ。


「そうですね。何がいいですか?」


「せっかくみんなで食事できるので、鍋とかどうですか?同じ鍋をつつくのってやってみたかったんですよ」


「いいですね。味は何にします?鶏塩とか、醤油とか、キムチや豆乳もいいですね」


「味はイオさんにお任せしますよ。うーん、ますますおなか空いてきちゃいます」


 イオは電話をして注文した。


❀ ❀ ❀


 数回交代すると、もう暗くなってきて、窓の外が見えにくくなり、部屋の明かりを消さざるを得なくなってきた。


「そろそろ鍋が来てもいいと思うんですけど、サミダレさん、帰ってきませんね。もったいないのでそのおにぎり私が食べてもいいですか?」

 ローレンは機は熟したとばかりにおにぎりに手を伸ばす。我慢できなくなったのだろう。


 ローレンがおにぎりにかぶりつこうとしたとき、小屋のドアが開いた。サミダレが立っている。手には湯気を立てる鍋。


 サミダレは無表情のまま机に鍋をどんと置いた。背負っていた弓を片付け、体についた雪を払う。


「どういう表情でしょうか……?」

「なんか怒ってたら面倒ですね……」


 まさか夕食のデリバリーをサミダレが持ってくるとは予想していなかった二人はひそひそと話した。よりによって普通に僕らのことを殺すなどと言ってくる人物に飯を運ばせることとなってしまった。


 サミダレも席について夕食が始まった。イオは率先してお椀によそう係を引き受けた。


「ええと、今日は一日何をしてたんですか?」

 ローレンはおずおずと聞いた。意外にもサミダレはそれに答えた。


「弓の稽古だ。この小屋の裏の練習場にいた」


「昼ごはんはどうしたんですか?」

 ローレンはさっきかぶりつこうとしたが、元に戻したおにぎりをちらりと見て言う。


「雪を食べた」

 サミダレは懐からかき氷シロップいちご味を取り出して見せた。表情は相変わらずぴくりともしない。


「え、これは笑っていいんでしょうか?」

「いや、まじめな顔してるのでそっとしときましょうよ。この辺りでは普通なのかも」

 二人はまたひそひそと相談する。


「弓の道はけわしいんですね」

 イオはまじめな顔で言った。


 サミダレは懐からさらにかき氷シロップメロン味を取り出した。そして間髪入れずにブルーハワイ味、レモン味を取り出して机に並べた。机の上は湯気を立てているザ!冬の風物詩!な鍋と、ザ!夏の風物詩!なかき氷シロップが共存するカオス空間が出来上がった。それらを囲むヒトはみなまじめな顔でそれらを見ていた。


「レインボー味もできます」


 最初にローレンの肩が震えだし、耐えきれなくなって「ちょっと失礼」と言ってトイレに逃げ込む。


 イオとサミダレが残される。イオも噴き出す限界はすぐそこまできていたが、耐え、絞り出した。


「素敵です」


 するとなぜか、サミダレはうつむいてとてもさみしそうな表情を作った。


「ちょっと失礼」


 イオも机から逃げ出した。トイレには腹を抱えてひいひい笑っているローレンがうずくまっていた。


❀ ❀ ❀


「非常にまずいですね」

 イオとローレンはトイレのドアの陰から部屋の中に取り残されたサミダレの様子をうかがっていた。

すでにかき氷シロップは片付けられて机の上は鍋だけだ。かき氷シロップはどこに行ったのかと部屋を見渡すと、部屋の隅にぞんざいに投げ捨てられていた。


「私たちは彼の渾身のギャグをスベらせてしまったのかもしれません」


 ローレンはそこでイオのほうを向く。

「しかし、それをいまさら詫びても彼の心の傷をえぐるだけです。私たちはあくまで、かき氷を真実として受け止め、鍋の途中で急におなかが痛くなったという設定でいきましょう」


「わかりました」


 二人は何事もなかったかのように席に着き、鍋をつついた。


 見張り暮らしの一日目はそのまま終わった。


❀ ❀ ❀


「えっ、朝食がない?」

 ローレンは絶望した声で言った。どうやらこの一族は修行のために朝は早起きしてすぐに冷たい水で顔を洗い、弓の稽古に出かけるらしい。一日の最初の食事は、運動した後の昼ご飯ということになる。ローレンは弟子入りするつもりでこの山に来たはずだが、その調子で大丈夫だろうかとイオは心配になる。


「そんな……。今六時だから、つぎの食事までは早くても六時間……。え、六時間?」


 もっとも、ローレンとイオは暖かい部屋の中でろくに動かず、ぬくぬくと見張りをしているだけなので、朝食の有無による影響は、修行している人に比べれば少ないだろう。


「では、失礼」

 混乱しているローレンを置いてサミダレは弓を担いで出ていこうとする。朝の光が小屋の中に差し込んだ。


「あ、シロップ忘れてますよ」

 イオは部屋の隅の例のかき氷シロップを指さす。


「いらんことしないでください!」

 ローレンは我に返り、イオの肩に手を置いて、ひそひそと続ける。


「そっとしておきましょうと昨日言ったじゃないですか。またほじくり返したら大変なことになりますよ!イオさんはときどき信じられないことをしますね」


「いや、ジョークだったと打ち明けるには今がいタイミングじゃないですか。僕はそのタイミングを彼に作ろうと思ったんですよ」


「また気まずくなったらどうするんですか。それに、シロップがあれば朝食がなくて口さみしいのがなんとかなったかもしれないのに」


「え、そこ?!」


 えへん、と咳払いがして二人は相談の体勢をくずしてふりかえる。


「……あの、実は昨日のあれは嘘だ。実は、その……自分は山の下に住んでいるヒトと仲良くなりたくて……つい、あんな嘘を……っ。いかなる時も自分にまっすぐでないと矢はまっすぐに飛ばないというのに、俺はなんてことをしたんだっ。弓人ゆみびとの恥だ。あああ」


 サミダレはしぼりだすように言うと、頭を抱えてしゃがみこんだ。かなり大きな罪の意識が彼を苛んでいるようだ。


「あの、落ち着いてください。誰もあれを嘘だとは思ってないし、信じていませんから」


「もういっそ死ぬしかない。誰か俺を安土にはりつけにして殺してくれ」


「ええ、ただ、ジョークを言うときはそういう雰囲気づくりといいますか、そういうのも大事なんです、きっと」

 二人はサミダレの肩をさすって慰めた。


「ありがとう。本当は夕食のときももっと話したかったんだ。しかし、弓の教えに背くのは初めてで、緊張のあまりあんな態度をとってしまって……」


「真面目なヒトなんですね。大丈夫ですよ。私たち、きっといい友達になれますよ」

 サミダレは手で顔を覆ったままこくりこくりとうなずいた。そして、しばらくすると落ち着いたのか、すっくと立ちあがると、何事もなかったかのように無表情ですたすたと外に出ていった。シロップはもっていかなかった。


❀ ❀ ❀


 今日も一日まったりとした雰囲気で見張りの役目を遂行したイオとローレンだが、昨日は夜中に交代で見張りをしていたので、どちらも少し眠気が残っていた。眠い時に読む古文はさらに眠気を煽り、イオは何度かうつらうつらした。


「今日の夕食は何にします?」

「昨日鍋だったので、別のものがいいですよね。ラーメンとかどうですか?」

「そうしましょう」


 滞在二日目にして二人はこの生活にすっかりなじんでしまっていた。

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