25 集中治療室
「見えた!あの看板が病院だ。そこを曲がったらすぐだよ」
イオの腰に後ろからしがみつきながらセトカが言った。
「オーケー。でも、塀を超えてった方が早いな」
「え?」
イオはバイクの前輪を持ち上げて浮かすと、塀に向かってスピードを緩めずに突進した。
「ぶつかる!!」
バイクはふわりと空を飛んだ。と、今度は病院の壁が迫る。
「飛び降りて!」
間一髪、二人が道路に倒れこむと同時にバイクは壁に激突してめしゃっというような音を立ててつぶれた。
「君はときどき信じられないようなことをするね」
セトカはぽかんとした顔でイオを見上げた。
イオは服についた汚れを払う。
「急ごう」
❀ ❀ ❀
集中治療室には体中をチューブにつながれた少女が眠っていた。無機質な機械音が白い部屋に響いている。関係者に聞くところによると、出火したのはツガルの部屋とみて間違いがないらしい。火はもう鎮火して、その量に住んでいた他の生徒たちが別の寮に一時的に避難するために荷物を運び出しているそうだ。ツガルの部屋は丸焦げになってしまってなにも残っていなかった。
「ツガル……。どうして、火をつけたの」
ゆっくりと、ツガルが目を開いた。
「こんなとこまで来させてごめん」
セトカはなにか言おうとするも、口からは声が出ず、嗚咽のようなものが出る。
「生きてて、良かった」
「うん。ごめんね、セトカ。……けじめだったんだ。もう写真はやめる」
セトカの瞳が揺れる。
「どうして」
「セトカが現れて、そしていなくなってわかったんだ。数学の道に入って、そして決意をして出ていくのを見て。私が写真の道に入ったのは、心を震わす、美しいベストショットを求める純粋な心が生まれたからじゃなかったんだ。私が写真をもう好きじゃないのにしがみついていたのはさ、……ほんと、情けないんだけど、きっと、そばにいてくれる人が欲しかったんだ。最初はそんなつもりじゃなかったのに、いつしか写真は単なるその手段になってしまった。だから、もうやめようと思ったの。セトカがけじめをつけるのを見て」
「そんな……。なんで……」
「もう、決めたんだ」
セトカは唇を噛む。
二人は、好きじゃなくちゃ続けられるわけがないと思っている。本当はそれぞれの道を大切にしているのに、やめなくちゃならないなんて思うのはきっと、ちゃんと向き合ったからだ。イオにはセトカとツガルがどうしようもなく似て見えた。
「あなたたちの言うことを聞いていると、むかつきます」
イオは言った。
病室に放たれた言葉に一瞬時が止まる。
「は……?部外者が、私たちの決断にどうこう言う権利があるの?!」
セトカは両手でイオの胸倉をつかんだ。
イオはひるまずにさらに言った。
「やめるの、やめませんか。数学を好きじゃないから、もうやらない、写真を好きじゃないから、もうやめる。そういうせりふが言えるのは、ちゃんと向き合ったからだと思うんです。それって、愛だと思うんです。その道を大切にしていて、自分がたどるのはその道にとってふさわしくない。だから辞めたい。あなたたちはそう言っているように聞こえます」
「だったらなんだよ。大事にするのはただしがみついていることだって、わかりきった答えがやっとわかったんだよ。邪魔をしないでくれ」
ツガルが言う。
「大事にしてるくせに身を引いて自己満足か?満足できるわけがない。周りも巻き込んで、バカみたいだ。――しがみつけよ!」
イオはセトカの手を振り払った。
「道はなんのためにあるんだよ。強いものがするものじゃない。強くなるためにするものだ。あなたたちがやめることは道に背を向けることだ。道の否定だ。あなたは自分の技を好きじゃない?だから何だ。――あなたの数学は、あなたの写真は、ちゃんと僕の心を打った。本当に愛してないなら、人の心は打てないはずだ」
背中をぽんと押されたような気がした。気付くと荒野には一本の道が伸び、青空が照らしている。セトカの足は、つんのめるように長いこと踏んでいなかった一歩を踏み出した。
横にはツガルがいる。イオがいる。学園の仲間が、先生が、家族が。――見える。
「……今の顔、写真にとればよかったな」
泣かないようにひんまがった口でツガルがセトカに言った。セトカは一歩踏み出す。
「イオ。私、パーティーに入ったってイオの言う通りにはしないよ。数学は一回やめる。――で、もう一回始める!」
❀ ❀ ❀
学園の中庭、昼休み。
「あー、ごめん。またへんなとこ行っちゃった」
「へーき、へーき。とってくるよ。もうちょっと腰のひねり意識してみるとまっすぐ飛ぶかも」
セトカとツガルがキャッチボールをしている。ツガルは包帯こそしているものの、すでに運動には問題ないほどに回復していた。イオは食堂で買った昼食を食べながらそれを見ていた。
ボールがまた手から手へと放物線を描いて飛ぶ。
「イオもやろーよ。そんなとこで見てないでさ」
セトカが手を振って、イオは苦笑しながら立ち上がる。
夏が近づいてきていた。
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