第三十一話 雲行き怪しいで?

 待ちに待った土曜日や。一年一組は午前と午後に一回ずつ上演することになっとるが、ゾーイとリアムはもう朝から待ちきれんらしく、既に衣装に身を包んで準備万端や。

 ゾーイのミニスカがめっちゃかわええねんけど、太一郎が赤くなったり青くなったりして彼女から目を逸らそうとしとる方が見てておもろい。さっき俺の耳元で、

「ゾーイの衣装がなんと申しますか嫁入り前の女子が着るにはちょっとアレでございまして目のやり場に難儀致します」

 なーんて言うとったし。まあ、江戸には存在しねえわな、ミニスカート。

 みんなでワイワイと準備をしとると、ピーポーピーポーとなんや妙に外が騒々しい。太一郎が宇部に「あれは何ですか」と聞いて、宇部がまた懇切丁寧に「あれは警察車両のサイレンってやつで、太一郎的に言えば、同心が『御用だ御用だ』と喚きながら走っているようなもんだ」とか正解なのか不正解なのかようわからん説明をしとる。

 ところが。それからしばらくして同じサイレンの音がたくさん近付いて来よった。なんやねん、近くで事故でもあったんか?

 窓際に寄って外を覗こうとしたら、葛城が名倉に声をかけた。

「ねえ、ペネロペとジェイコブと蕪月姉妹、まだ来てないんだけど」

「別に遅刻ってわけじゃないんだ、もうちょっとお待ちよ。そのうち来るさ」

「そうだよね。なんだかサイレンが鳴ってると心配になっちゃって」

 そやな、俺もちょっと心配や。名倉はサイレン知らんのとちゃうか?

「この音は何か良くないのかい?」

 あ、やっぱ知らんねや。

「パトカーが急行するってことはどこかで事故があったのかなって」

「そういうことなら救急車も来るだろ? ユウヤもまだ来てないな」

 おお、グッジョブやで、宇部。

「今日はみんなが早いだけさ。ほら、ユウヤ来たよ」

「あ、ペネロペおはよう!」

 そうこうするうちにみんな無事に登校し、朝のホームルームが始まったんやが……先生の第一声は耳を疑うもんやった。

「ちょっと問題が起きていて、今日の文化祭は中止になるかもしれない」

 これにはさすがの俺もみんなの大ブーイングに被せて「にゃあああ?」言うてもーたがな。あの四人組もさることながら、太一郎は頑張っとったんやで? ホンマにホンマに頑張っとった。



 昨日、家に帰って太一郎がボソリと言うたんや。

「わたくし、これまでいったい南雲屋で何をしてきたのでしょう。江戸の町で何を学んで来たのでしょう」

『どないしたんや。熱でもあるんちゃうか』

「太一殿、わたくしはここに来て初めて『わたくし』を生きているような気が致します」

『俺の体やけどな』

「ええ。ですが、太一殿の体を借りなければこの体験はできませんでした。あのまま掘割で死んでいたら、自分を生きぬまま生きたつもりになって死んでいたのでしょう」

 なんや喋りたそうやし、ここは黙って聞いとくか。

「わたくしは商人の跡取りとして様々な稽古に励んだり、学問に打ち込んだりしておりました。あまり自分の好きな事をさせて貰っていなかったように感じていました。その反面、お稽古事をさせていただいたおかげで自信もつきました。ですが、同年代の友達がおりませんでした。同年代はみな女中や丁稚、わたくしは跡取り息子、身分が違うのです。わたくしはこんなにも恵まれていたのに、好きな事をさせて貰えないと思っていた自分が恥ずかしい」

 デッチって何やろ? お店の下働きのことみたいやな。

「彼らが店先を掃き清めている時、わたくしは剣術の稽古をしていた。彼らが小麦粉を運んでいる時、わたくしは算術に励んでいた。彼らが雑巾がけをしている時、わたくしはお茶を点てていたのです」

 それが坊っちゃんの仕事やさかいな。

「ですがここは違う。ゲーム実況配信者の家も、レジ打ちパートの家も、大学の先生の家も、コラムニストの家も、IT系サラリーマンの家も、みんな同じ身分です。その子供たちは同じクラスで同じ勉強をし、一緒に一つの舞台を作る。これはとても恵まれた環境です」

「にゃ」

「今日、感動したのです。みんなの動きを見ていて、胸がいっぱいになったのです」

「……にゃ」

「わたくしは明日、このお芝居が終わったら、いつでも太一殿にこの体をお返ししても悔いはございません」

『お前、小梅どうすんねや? あいつが江戸の話をして通じるんは太一郎だけなんやで? 惚れた女を一人ぼっちにさせる気かいな』

 打ちながら俺の方が照れてもーたわ。

「あ、いえ、それはその……」

 ホンマにわかりやすいやっちゃな。

『俺は猫の体に慣れてもーたし、お前がおらんようになるのはやっぱ寂しい。せやから俺の体そのまま使っててええねんで。っちゅーか、どないやったら体返して貰えるのかわからんしな』

「わたくし思うに、もう一度階段から落ちれば……」

『ほんなら、お前文化祭終わるまで絶対に階段落ちんようにせな。死んでも死にきれんようになるで』



「ちょいとそれはびっくり下谷の広徳寺てなもんですよ。理由を聞きたいんですけどねぇ。いきなり理由もなく中止なんて嫌じゃ有馬の水天宮さ」

 名倉の抗議でふと我に返った。そや、文化祭中止なんて言うたら太一郎があんまりにも気の毒や。

「さっきサイレンが鳴ってただろう。この近くでコンビニ強盗があったらしい」

 こんな朝っぱらからコンビニ強盗かよ!

「現場はここから一キロほど離れてるんで問題ないとは思うんだが、逃走中らしくて警察から注意するようにと連絡が入ったもんだから。まあ、多分安全確認ができたら少々遅れて開始になると思う。このクラスは午前の回は十一時開演だから予定通りいけるだろう。ただし、開始までは教室から出ないように」

 いくら「多分できるだろう」言われても、みんなのテンションはダダ下がりや。ホンマ迷惑なやっちゃ。

 だが、一人だけテンションの下がらない奴がいた。名倉や。ヤツはホンマモンのプロやった。

「間違いとキチガイはどこにでもいるもんさ。見上げたもんだよ屋根屋のふんどし、見下げて掘らせる井戸屋の後家さん、上がっちゃいけないお米の相場ときたもんだ。こうなりゃあたしも焼けのやんぱち日焼けのなすびさ。せっかく時間ができたんだ、小道具と衣装の最終チェックと流れの確認しとこうじゃないか、え?」

 俯き加減の顔が一つ、また一つと上がっていく。これが小梅の力か。

「そうでございますね。心得たぬきの腹鼓、時は金なり常盤橋。やりましょう」

 いや、小梅のというより、江戸の力なのかもしれへん。

 なんや俺、柄にもなく感激してもーた。

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