第75話 螢の弁当
「じゃあ数くんお願いね」
螢は俺の弁当の他にもうひとつ包みを手渡してくれた。先輩の弁当だ。
「悪いな螢…」
俺は申し訳なかった。
「大丈夫、ひとつもふたつも変わらないよ」
そう言って笑顔で送り出してくれたが、詰めるにはさほど時間が変わらなくても、下ごしらえにはいつもより時間も手間もかかる筈なのに…
俺は嬉しかった。
たかがお弁当かもしれない…
だけどそれを毎日作るのは大変だ。
そんな些細な事でも、俺のためだと思うと幸せで胸の中が熱くなる。
仕事場でのランチは、大概何人かで情報交換やコミュニケーションのため一緒に摂る。
一週間もしないうち、先輩の弁当を螢が作ってると周りに知られた。
しかも螢の作った弁当はメチャクチャ美味しいと先輩が絶賛するもんだからいい迷惑だ!
〘1食2ユーロなら俺も作って欲しい〙
〘1食2ユーロなんて安すぎよ!〙
などと仕事場の人たちから言われるが、俺は今回限りで螢に弁当を作らせる気は無い。
元々、螢の躰のことを考えたら自分の分だって無理言って作ってもらっているんだから…
これ以上彼女の躰の負担を増やしたく無かった。
なんだかんだと約束の弁当は終わった。
〘いやぁ~螢さんの弁当は美味かったなぁ~〙
そんな声を先輩から時々訊くが無視だ!
〘だけどお前も随分過保護じゃないのか?〙
俺が彼女の負担を増やしたくないとこれ以上の弁当を断ったらそんなことを言われた。
まあ、弁当だけなら誰だってそう思うだろう…
〘プライベートな質問ですから答えられません〙
螢が病気を抱えている事は上司より上の人しか知らない。
そんな中、ランチになるとおれの弁当をよく覗かれるようになった。
〘それがカズマの奥さんが作るお弁当なのね〙
〘日本食美味しそうだな〙
〘カズマは毎日作ってもらえて幸せだな〙
などと評価もそれぞれだ…
日本食の弁当はどちらにしてもフランス人には興味深い一品のようだ。
〘ねえ、奥さんに作り方を習いたいんだけど…〙
同じ部署の女性から頼まれる。
俺は悩んだ末、螢の病気の事を打ち明けた。
螢が腎臓の病気を抱えている事。
症状がまだ安定せず芳しくない事。
本当は家の事もせず育児だけで療養に専念してほしい事。
それでも俺のために色々無理をしがちなので自分からはこれ以上負担をかけたくない事。
彼女は俺の気持ちを判ってくれ、料理は病気が良くなったら教えてもらうと言ってくれた。
だが、やっぱりひとりに言えばそのうち職場の人たちには螢のことが知れ渡ってしまった。
〘カズマ、螢さんに無理させて悪かったな…〙
先輩が急にしおらしい事を言ってきた。
〘何言ってるんですか…大丈夫ですよ。螢も結構喜んでましたから。先輩が自分の弁当を美味しいって言ってくれたので〙
それは本当だった。
日本人向けの弁当をフランス人の先輩が毎日喜んで食べてくれたのが螢には嬉しかったようだ。
だから逆に、毎日おかずの下ごしらえに時間をかける彼女が心配だった。
「折角だから、少しでも喜んで欲しいから」
螢はそう言ってた。
俺は…本当にいい嫁さんをもらったな…
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