第74話 先輩の頼み

 〘瀬戸くんこの後どっか寄ってく?新しいミニバーが出来たんだけど〙


先輩のセルシオさんが声をかけてくれる。


〘いえ、嫁さんが夕飯作って待ってるんで帰ります〙


しかし俺はハッキリ断る。日本人の様に曖昧な表現で断っても通じないので、意思表示は明確にしないといけない。


新人は製造部署からのスタートだが、3ヶ月も過ぎると大分仕事にも慣れてきた。

製造工程での、各部署の人たちとも大分知り合いが増えた。



〘カズマ、お前の弁当いつも美味しそうだよな〙


いつもは外食のセルシオさんが俺の弁当を覗いている。今日はサンドウィッチを買ってきたらしく一緒にお昼を摂っている。


〘そりゃ美味いですよ。嫁さんが作ってくれたんですから〙


俺は先輩の言葉に当たり前のように答えると、気にせず弁当の続きを食べていた。そこへいきなり横から手が伸びてきたかと思ったら螢が昨夜時間をかけて煮てくれた含め煮をサッと持っていくと自分の口の中へ放り込みモグモグと食べてしまった。


〘あーっ! 俺の含め煮! 先輩何するんです!〙


少し甘めに煮た含め煮は、母さんからの直伝だ。

俺は憎々しげに食べてしまった先輩の顔を睨んだ。


〘なんだよ、お前なんかいつも食べてるんだからひとつくらい食ったっていいだろ?〙


〘そう云う問題じゃありません!折角俺のために朝早くから螢が作ってくれたのに!〙


俺は残りの弁当を取られないよう抱えて食べた。


〘お前の愛妻ぶりも凄いな。奥さん螢さんて云うんだ。料理うまくて羨ましいよ〙


俺はその事にはこたえなかった。


螢にとって母親といったら多分俺の母さんだろう。

子供の頃、今のあの家で俺たちは姉弟同然に育った。母さんは螢を自分の娘の様に育てたから、料理も母さんが螢に教えていた。



〘螢さん、俺の分も弁当作ってくれないかな?

今月だけでいいからさ〙


残りの弁当を食べている俺に、先輩がとんでもない事を頼んできた。


〘はぁ?!〙


訊くと、今月は出費が多すぎて、次の給料日まで大変なのだと言う。


〘勿論、材料費は払うからさ、お前からも螢さんに頼んでくれよ〙


螢さん、螢さんと、いくら先輩だからって馴れ馴れしく呼ばないでくれ!




「螢ただいま…」


俺は先輩のことで気が重い…


「数くんお帰り」


螢がタマモを抱いて出迎えてくれる。


「お父さん帰ってきたよ~」


螢が声をかけるとタマモはにこにこ笑って俺に手を伸ばしてくる。

螢からタマモを受け取ると、俺の後ろにいる先輩に彼女が気付いた。


「数くん、お客様?」


俺は苦笑しながら頷いた。




〘どうぞ〙

〘ありがとう〙


俺が着替えてくる間、螢にお茶を出してもらい先輩には居間で待っていてもらった。

螢にはざっと先輩が来た理由を説明してある。


〘先輩、お待たせしました〙


俺が居間に戻ると、先輩が螢と話をしている。


〘俺は大丈夫だ。螢さんと話しをしてたから〙


全く、こっちの男は…

気安く俺の螢に話しかけるなよ!


〘あの…本当にわたしのお弁当でいいんですか?〙


〘ああ、今月だけ頼みます!〙


そう言って頭を下げる先輩に螢だって断れる筈も無い。結局、1食2ユーロで引き受ける事になった。





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