第73話 かけがえの無い日常

 役所に出した婚姻届は程なく受理された。

俺たちは名実ともに夫婦になった。


「螢、」

「はい」


「螢…」

「はい」


「螢!」

「はい」


我ながらバカみたいなことをしてると云う自覚はある。だが、何度名前を呼んでも笑顔で返してくれる彼女が愛しくて…可愛くて…凄く嬉しくて…

このままずっと名前を呼んでいたいくらいだった。


来週から俺も、とうとう社会人だ。

螢とタマモのために頑張らないと…


就職活動では、色々な会社を紹介してもらったが、会社の将来性や、業務内容、業績など、総合的に見て俺はこの会社に決めた。

それにはちゃんと理由があった。


俺は、将来的には自分で企業を立ち上げようと思っていた。

扱うのは医療用のフード。


螢のために、食事には可成り気を遣っている。

彼女は必要以上に塩分を摂取出来ない。

その他にも蛋白制限、カリウム制限。


こう云った食宅を扱う会社はたくさんある。

俺もそれに参戦しようと思った。


手軽に、安心、低価格。

最近は介護食やベビーフードも扱いたいと思い始めている。


そう云ったノウハウはきっとこの会社で色々学べる筈だ。



「マモちゃん、おやつはパンプディングだよ」

「あ〜、あ〜」


タマモのヤツが早くくれと強請る。

螢はタマモの口に入れるパンは自分で焼いている。


無理しないように注意をしたが、「数くんのお陰でわたしは何もしないで家にいられるんだから食事くらい頑張らせて」そう言ってくれた。


螢が働きたいなら止めないし、

大学に行きたいならそれも止めない。


ただ今は、躰を治すことに専念して欲しいだけだ。

その為に俺は頑張るのだから…




初出勤の日、螢が弁当を持たせてくれる。

大変になるが、毎日螢の弁当を食べて頑張りたいと俺が頼んだ。


「行ってらっしゃい数くん」

「ああ、行ってくる」


玄関までタマモを抱いて見送ってくれる螢の唇に、自分の唇をそっと重ねる。


嬉しくて胸の動悸が止まらない…


ウチの父さんは画家なので、基本毎日家にいる。

その中で、個展や共同展など、外に出る時必ず母さんとキスをしていた。


子ども心に、大きくなったら同じことをしてみたいと思ったものだ。


念願叶って、螢と交わせる俺はなんて幸せ者だろう!


俺は意気揚々と会社に向かった。




〘そういや、今日から新人が来るんだっけ〙

〘物凄いイケメンらしいですよ〙


数真が入る会社では、新入社員の噂で持ちきりだった。

面接を担当した人間の【王子の様なイケメン】と云う評価に、話半分にしろ女性たちの期待は高まっていた。


〘カズマ・セトです。よろしくお願いします〙


そう言って、案内された部署で挨拶する度女性たちからの甘い声が聞こえてくる。


〘いやぁ瀬戸くん、どこ行っても女性たちからの視線が熱かったね〙


案内してくれた、これから一緒に仕事をする先輩が皮肉交じりに言った。


〘俺には関係ありませんよ。妻子持ちなんで〙


数真もあっさり返した。


〘えっ?! 瀬戸くん結婚してるの?!〙


〘はい、先日入籍を済ませましたから。勿論法律婚ですよ。息子もそろそろ7ヶ月になります〙


この爆誕発言に先輩も言葉が出なかった。


『コイツ俺より5歳も下なんだぞ』


一週間も経たないうちに、この事実は全社員の知ることとなった。


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