第26話 夏祭り 前篇
心臓がまだ早鐘のように鳴っている…
離れた後も二人とも顔が熱かった。
「螢姉のハートは兄貴が射止めたか…
見かけに寄らず重たい男なんだから程々にしないと螢姉に嫌われるぞ」
弟の翔真が減らず口を叩く。
「うるさい黙れ!」
まだ火照った顔が冷めない数真が弟の頭を小突いた。
そんな二人の様子を翔吾も真古都も優しく見つめている。
「まあ、螢は大丈夫だろう…それより数真」
翔吾が数真に向かって声をかけた。
少し重い口調に数真だけでなく翔真も父親の顔を息を呑んで見つめた。
「螢が大事なら彼女だけを大切にしろ。
誰にも取られたく無ければ形振り構わず自分の下に囲っておけ。ほんの少しの行き違いで手離してからでは遅いぞ」
翔吾はそれだけ言うと真古都の躰を支えながら搭乗口へ向かっていく。
父と母の詳しい馴れ初めは判らない。
しかし、兄妹3人とも父親が違う事からしても、父が母と結婚するまで色々な事があったのは想像に難くない。
『帰ったら…今度はちゃんと伝えよう』
父親からの言葉に改めて数真は決心した。
「螢ちゃん、瀬戸くんの言ってた約束ってなぁに?」
彩希の問いに火照った顔を一層赤らめて螢は答えた。
「あ…あの…数くん以外の男の人と二人きりになっちゃダメだって…」
全く…告白も出来ないくせに、そう云うところはしっかり強要するのか…
淳史も彩希も心の中で同じ事を思った。
「真芝さんもわざわざ来てくれたのにごめんなさい。」
螢は真芝に謝ると彩希と淳史に手を振ってタクシー乗り場に向かった。
真芝が彩希たちと別れ、急いでタクシー乗り場に行った時は、螢の乗った車が丁度出たところだった。
「くそっ! あの小僧めっ!」
夏休みといえども、母親役の螢に休みはない。
寧ろ弟や妹たちがずっと家にいる長い休みは帰って大変だ。
それなのに愚痴もこぼさず当たり前のように子供たちの世話をしている。
部屋の衣紋掛けには浴衣が掛けてあった。
夏祭りの話をした時、浴衣の持っていない螢に真古都がくれた物だった。
螢は浴衣をたたんで風呂敷の中にしまった。
出掛ける用意をして降りていくと、キラが下の子たちと遊んでいる。
「忘れ物ないか?今日は楽しんでこいよ」
「うん」
数真の家で螢は真古都に浴衣を着せてもらった。
「真古ちゃん、ありがとう」
真古都は浴衣の帯の上から、綺麗なレース地を結んで、レースのリボンを飾ってくれた。
浴衣姿の螢と数真を見送り、遠い日の夏祭りを翔吾は懐かしんでいた。
「お祭り楽しんでくるといいね」
二人を見つめ真古都が言った。
「そうだな」
翔吾もそれに答える。
「翔くんと初めて見た花火も綺麗だったな」
真古都が家に入る時何気なく呟いた。
それを翔吾が訊き逃す訳が無い。
「真古都! 真古都!」
名前を呼びながら追いかけてくる翔吾に不思議な面持ちで振り返る。
彼女は病気が発症してから、記憶の殆どを喪失してしまった。
以前よりだいぶ良くなってきてるが、まだまだ曖昧な部分が多い。
螢の浴衣姿を見て、また少し思い出した様子だ。
翔吾は真古都を抱き上げて自分たちの部屋へ戻る。
「部屋に戻るくらい、ちゃんと歩けるのに」
部屋に連れてこられ、ベッドに降ろされた真古都が口を尖らせて言った。
「いいんだ…真古都、大好きだ」
「ん? わたしも翔くんが大好き」
また一つ、自分との記憶を思い出した真古都に翔吾の愛情が止まる訳が無い…
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