第213話 サヨナラの前に 前篇

 まさか…こんな事になるなんて…



「嫌ァーッ! 離してっ!」

興奮状態の真古都に鎮静剤が打たれる…


「翔くん…ごめんなさい…

翔くん…ごめんなさい…」

彼女はその言葉を繰り返しながらまた眠りにつく…



「くそっ! 俺が不甲斐ないばかりに…」

俺は何度も病院の白い壁を叩いた…

「瀬戸…あんまり自分を責めるな」

先輩が俺の肩に手を置き慰めの言葉をかけてくれるが、俺の耳には届かない…


「くそっ!くそっ!くそっ!」

何度も何度も打ち付けた…


「真古都…すまない…」

俺は自責の念に駆られ、その場に崩れおちた…



一週間前…

俺は爺さんに呼ばれて行った。


〘今回の共同出展も大盛況に終わったよ…君の貢献度も素晴らしい…〙


共同出展の成果など、今の俺にはどうでも良かった…


あの夜…

先輩と真古都の家に行った日から

俺の頭に浮かぶのは、

ずっと真古都のことばかりだった。


霧嶋が遺した愛情の数々…

その不変的な愛情と、霧嶋を慕う真古都…


嫉妬心ばかりが心の中を占め、それから先へ踏み出せないでいた。


そんな矢先にきた爺さんからの呼び出しに

俺はつい応じてしまった…


〘これを機に、君にもウチの商会へ参戦して欲しくてね…君にとっても悪い話しじゃ無いと思うんだ〙


俺の耳に爺さんの喋る言葉が流れてくる。


〘わたしは画家としての君を高く評価している。その為にこれからの活躍のサポートをさせてもらいたい…〙


俺は、特定の画家や団体の傘下に入る気はない。

その事は前にも話した筈…


〘君のサポート役を孫のレティシアにさせようと思う。それにあたって、今の辻宮には担当者を降りてもらってくれ〙


爺さんは何を言ってるんだ?

先輩が担当を外れる?


〘レティシアは有能な秘書だよ。これまで以上に君の力になってくれる…

公私ともに…〙


公私ともに…?


〘レティシアを君の婚約者に据えるつもりだ…素晴らしいだろう?〙


誰の婚約者だって?


〘そのことで少し言いづらいんだが、

今君の家にいる女性には直ぐ出て行ってもらってくれ〙


誰が出て行くって?


〘婚約者の家に別の女性が出入りしているなど不貞だと思われても仕方ない事だ…

まして…精神を患った女性だなんて…

穢らわしい…〙


穢らわしい?



前にも同じ様な事があったな…

学生の頃か…

下級生に告白されたんだよな…

そうだ…

間抜けな俺は…

アイツへの気持ちに全然気づかなくて…

“特別な名前”の意味に

あの時初めて気付いたんだ…


相変わらず俺は間抜けなままだ…

追い込まれ無ければ

自分がどうしたいのかも気付かない…



〘話は判った…〙

俺はそれだけ言うと急いで爺さんの家を飛び出した。


この時、俺は自分の言葉数の少なさに後から後悔する事になろうとは思ってもみなかった…




玄関のベルが鳴る…


「誰かな…」


わたしは玄関まで行くとドアの向こうに声をかける。


〘どちら様ですか?〙


《お届け物です》


その言葉に、わたしは不注意にもドアを開けてしまった…



〘やあ…僕の向日葵ちゃん…〙

そこに立っていたのはだ…


「あ…」

わたしは急いでドアを閉めようとしたが、足を挟まれて閉められない…


男の人の力にかなう訳もなく、ドアは開けられてしまった…


数真はお義母さんと出かけている…

この家にはわたし一人だ…

わたしは家の奥へ逃げた…


『やだっ…やだっ…やだっ…誰か…

旦那様…旦那様…助けて…』

わたしは足が絡まりそうになりながら必死で逃げた…


〘そんなに逃げないでよ…別に酷いことをしようと思ってる訳じゃないんだから…〙


逃げた先へと、少しづつ男が近づいて来る…


〘僕もさ、色々やり過ぎちゃって…暫く身を隠さないといけないんだ…〙


震えながら逃げるわたしより、男の足の方が早かった…


〘契約が反故になったのも忌々しいけど、

僕の手に落ちなかった女の子がいるなんて、なんか許せないでしょ?〙


男がどんどん近づいて来る。

わたしは追い詰められていく…


〘さあ、観念して…大丈夫、一度しちゃえば次は君から強請るようになるから…

請け合うよ…白薔薇ちゃん…〙


男の手がわたしの足を掴んで自分へと引っ張った。

その拍子に、近くにあった花台の脚を掴んで倒してしまう。


〘わ…わたしは…そんな名前じゃない!

そんな呼び方しないで!〙


足を引っ張られ、仰向けの状態でいるわたしに男が被さってくる…


〘名前なんてどうでも良いんだよ…

どうせ二度と会わなくなるんだから…

そのかわり素敵な夢を見せてあげるよ…〙


男が私の足に手を這わせていった…


「い…嫌ァーッ!」








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