第192話 初めての嫉妬
「最近、幸せそうだな」
これでもかと云うくらい皮肉の込もった言い方だった。
「幸せですよ、それに引き換え先輩は忙しそうですね」
俺も笑顔で答えた。
「うるさい!仕方ないだろ!
先輩は最近紀行文の仕事をしていて、フランスだけでなくイギリスやドイツにも行っている。
「だけど…素顔を見ても…声を聞いても思い出さないなんて…!
それだけ辛い記憶ってことじゃないか!
くそっ!」
先輩が苦々しく言葉を発した。
今の真古都の
“以前の瀬戸翔吾”はいない…
だが、“今の瀬戸翔吾”は確実にアイツの眼の前にいる…
「しかし…全く…お前は俺がいない時に限って色々やらかしてくれるな…
前回は真古都を教会に住まわせ、
今回は名乗りをあげただなんて…
その直情型の性格なんとかしろよ!
俺は家を空ける度生きた心地がしない!」
先輩が呆れ返った顔を俺に向けて言い放った。
「面目無い…」
俺の方は素直に謝るしかない…
所在なく、頭をポリポリと掻いている有り様だった。
「そう云えば爺さんとこの孫娘の話、お前知ってるか?」
先輩がいきなり話題を変えてきた。
「真古都以外の女に興味はない」
俺は当然の如く言った。
「ま…まあ…お前ならそうだな…
出張先で小耳に挟んだんだが、爺さんが孫娘の婿探しを始めたらしい…
最近、お前もよく爺さんに呼ばれてるだろう?何か聞いてないか?」
先輩が俺に目を向けて聞いてくるが何とも答えようがない…
「自分の事で手一杯なのに人様の結婚事情まで気にしてられるか」
俺は素っ気無く答えた。
「確かに…爺さんのところに行くと必ず孫娘も一緒にいるから仕事の手伝いをしてるんだと思うが…」
「そうか…夏の出展は順調に進んでるのか?」
「順調も何も、あのクソじじい!
毎回ヒトを呼びつける割にはムダ話ばかりしやがって…挙句の果てこの間は急用とかで3時間も待たしやがった!」
思い出しても腹が立つ!
「いつの話だ?」
「数真の誕生日だ!お陰で数真と螢から散々文句を言われ、真古都には早く帰って来ると約束したのにって泣かれちまった」
おれはここぞとばかりに、ムダ話に付き合ってる愚痴を先輩にこぼしまくった。
玄関代わりになっている裏口の扉に付いてる鐘がなった。
わたしは洗い物の途中だったからエプロンで手を拭きながら扉に向かった。
〘どちら様ですか?〙
わたしは扉の向こうへ声をかけた。
〘リシャール商会の者です。
画家のショウゴ・セトへ会長からの預かりものを届けに来ました〙
ゆっくり扉を開けると、そこには巻き毛のプラチナブロンドが見事な可愛らしい女性が立っていた。
〘あ…メイドの方ですか?
わたしはレティシア・リシャールと申します。会長から直接渡すように言われてるんですが、ショウゴはご在宅ですか?〙
彼女を見た途端、
胃の当たりがきゅっと重苦しくなった…
何でだろう…
メイドに間違われたから?
レティシアと名乗った彼女は綺麗にお化粧して、着ているコートもその下のワンピースも流行のデザイナーブランド…
それに引き換えわたしは化粧もせずに、着古した普段着にエプロン姿…
メイドに間違われても仕方ないか…
「今、鐘の音が鳴ったみたいだが客か?」
瀬戸くんが先輩と一緒に2階から降りてきてくれた…
〘ショウゴ!会えて良かった!〙
彼女が瀬戸くんに笑顔で近づいて行った…
〘会長から今回の企画書です。 どうぞ〙
ゆるやかな笑みで瀬戸くんを見つめてる…
胃の当たりだった重苦しさがどんどん大きくなってく…
〘この間の夕食は残念でした…今度は是非ご一緒させてくださいね〙
甘えるように見つめて懇願してる…
あんなに可愛らしい娘から誘われたら男の人は断わらないよね…
お願いだから…
瀬戸くんをそんな目で見ないで…
そんな甘い声で誘わないで…
瀬戸くんが行ってしまったらどうしよう…
わたしの胸は理解しがたい不安を苦しさと共に訴えている…
〘悪いが夕食は自宅で摂るようにしてるんだ。 企画書は確かに受け取ったと爺さんに伝えてくれ〙
瀬戸くんが夕食を断ってくれた言葉に、何故か安堵し躰の力が抜けて壁にもたれてしまう…
「真古都っ!どうした?顔色が悪いぞ!
どこか具合が悪いのか?」
わたしを見た瀬戸くんが、心配して傍に来てくれる。
「だ…大丈夫…」
言葉ではそう言ったけど…
何だか今この手を離したら瀬戸くんが彼女のところへ行ってしまいそうで…
思わず瀬戸くんの服をギュッと掴んでしまった…
「少し休んだほうが良い」
瀬戸くんは言い終わらないうちにわたしを抱き上げた。
〘企画書の返事は明日にでも電話すると伝えてくれ〙
わたしは瀬戸くんに抱えられたまま二人のやり取りを聞いていた…
〘判りました…
それにしても…女性の客人よりも具合の悪いメイドを優先させるなんて失礼じゃありません?しかも自ら抱えて行くなんて…
ショウゴは随分親切なのですね〙
彼女がそう言った途端に空気が凍った…
〘メイド? 誰がメイドだって?〙
瀬戸くんが今まで見せたことがない程の冷たい視線を彼女に送っている…
彼女の方はあまりの豹変さにまごついてるように見える…
わたしは堪らなくなって抱えられてる腕の中で、思わず彼の首に回した手に力を入れてしがみついた…
〘二度とそんなふざけた事を言ってみろ!
お宅の商会との取引も今年度限りにさせてもらうからな!
この家に住んでる者はみんな俺の家族だ!
家主が家族を気遣って何が悪い!お前は金輪際ウチの敷居を跨ぐな!〙
吐き捨てるように言われた彼女の困惑した顔と、恨めしそうにわたしを見る視線が痛かったけど、心の中は反対だった…
瀬戸くんが、優しくわたしをベッドに寝かせてくれる…
「真古都…大丈夫か?
苦しいところはないか?
辛いところはないか?
遠慮するなよ!」
繋がれた手が嬉しい…
あんなに苦しくて辛かったのが嘘みたいだ
「大丈夫…
瀬戸くんが手を握ってくれるから…
もう平気…」
お願い…この手を離さないで…
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