第171話 白銀の白鷺✕闇夜の鴉 前篇

 週末の土曜日、

俺は先輩に午後から会場に入ると告げた。


「大丈夫か?」


先輩が訊いてくる。


「大丈夫だ…心配ない」


俺は答えた。


「本当は…そんなお前を行かせたくはないんだからな…」


先輩が重い口調で言葉を吐く…


「判ってる…大丈夫だ…」


そう言いながらも、ホテルから駅に向かう俺は、はたから見たらまるで幽霊が歩いているような有様だ…


ホテルのフロントも俺を見て声をかけそびれる程だ…


揺れる列車の中で、瀬戸から御行へと

頭を切り替えようと努める…



あの日…ホテルに戻ってからもずっと

あの光景が頭から離れなかった…


判ってる…

アイツは…今は俺の彼女じゃない…

霧嶋の妻君だ…


頭では解っていても、眼の前であんな光景を見せつけられては気持ちが追いついて行かなかった…


「霧嶋のヤツ…あれは自分の妻には手を出すなと言いたいのか…」


ふざけてるだろっ!

先にヒトの女を掠め取ったのはお前のくせに!


子どもが出来たのを良いことに結婚を申し込むなんて…


なんて汚いんだ!

それとも最初からそのつもりだったのか!


霧嶋…

今度は俺がお前に言ってやる…


俺を甘く見るなよ

俺にも覚悟がある!



真古都の花屋が見える…


俺はゆっくりと深呼吸してから

ドアを開けて中に入った。


店内はさっぱりと片付けられている。


「あ…御行くん」


真古都は、俺が頭を下げている傍を通り抜け、入口に行くと“CLOSE”の札をかけてから戻ってきた。


「なんか慌ただしくてごめんね

今、お茶淹れるから…」


俺はバックヤードに戻ろうとする彼女の腕を咄嗟に掴んでしまった。


店の片付けはどうしたんだ?


霧嶋に何かあったのか?


少し疲れた顔をしてるお前に俺はなんて訊けばいい…



腕を掴まれた真古都は、一瞬驚いた感じだったが、俺を拒否することはなかった。


「御行くん…来てくれて良かった…」


泣き崩れそうになる彼女を支える。

座らせたいが、いつもの窓際ではこの殺風景な店内では目立ってしまう…


俺は真古都を抱えるとバックヤードに入り座らせる。


コートと上着を脱ぎ、腕まくりすると彼女の代わりに俺がお茶を淹れた。


お湯が沸く間少し沈黙が続いた。


俺は茶葉を選ぶ…

今の時期は春摘のダージリンが旬だが、

真古都には少し濃い目のアッサムを淹れた。


「御行くん手際が良いね」


真古都が、お茶の用意をする俺を見て言った。


「そんなふうに、何でも手際良くこなす人を…知ってる…筈なのに…」


真古都の顔が曇る…

俺は彼女の横に座り、お茶をすすめた。



御行くんが淹れてくれたお茶を飲む…

水色が濃い…


御行くんはまさかわざとこの茶葉にしたの?


濃い目のアッサムティーはわたしの好きな淹れ方だ…


落ち着きたい時

大事な事を考える時

何かを決める時…


わたしはよくこのお茶を濃い目に淹れて飲む…

紅茶の淹れ方を知ってる彼が

茶葉の量を間違えるとは思えなかった…


「有り難う…美味しい…」



泣きそうな顔をしている真古都が心配で、

彼女の手をそっと握る…


「御行くん…旦那様が…入院したの…」


真古都の唇が震えている…


「旦那様が…新しい思い出を作りたいって言うから…

二人でセーヌ川の船に乗ったの…」


話をしながら溢れたしずくがテーブルを濡らす…


「家に帰るまで何でもなかったのに…

次の日熱を出して…うっ…」








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