第168話 二人きりの時間

 「旅行?!」

「うん、真古都さんが僕ともう一度行ってみたいところに」


僕は真古都さんに旅行の提案をしてる。


「だって…ダメだよ数くん…躰に障るよ」


真古都さんが泣きそうな顔で止める。


「解ってるよ…だから一泊で…

まだ出掛けられるうちに、君と二人で

思い出を作りたいんだ」


僕は真古都さんを胸に抱き寄せて言った。


「新しい思い出?」

「うん…何処か有る?」


僕が訊くと、彼女は俯いた顔を胸に擦り寄せ、背中に回した手に力が込もった。


「あ…あの…セーヌ川の船に乗りたい…

ホテルに着いてから…あんまり覚えてなくて…」


「えっ? 酷いなぁ…

ベッドの中じゃあんなに愛してあげたのに…」


僕が顔を近づけて少し意地悪を言うと、

真古都さんは忽ち真っ赤になって慌てふためいている…


ホント、こう云うところ可愛いな…


「判った、母さんの予定を訊いて、予約しておくよ」


僕は慌てている真古都さんが可笑しくて、つい笑ってしまった。


「も…もう! 数くんのいじわる!」


少し不貞腐れる彼女が愛しくて、

力を込めて抱き締めた。



数くんの胸の中で、何だか同じ様なやり取りを誰かとしたような既視感がある…


そんな感覚が最近では特に多い…


数くんに訊いてみたいけど…

なんだかいけない事のような気がして憚られる…



「真古都さん? どうかした?」


黙ったままでいるわたしを心配して数くんが声をかけてくれる。


そうだ…数くんに心配させちゃいけない…


「数くんがあんまり恥ずかしいことを言うからだよ!」


わたしは少し剝れてみせた。


「もう! ウチの奥さんはホントに可愛いなあ…」


数くんはわたしに長いキスをしてくれた…




週末だけのわたしの花屋さん…


週末にしか開けないので、花数はそんなに置けない…


アレンジや、最初から花束になってるものの他に、ボリュームを出すためのカスミ草やスプレー菊の類が何種類か置いてある…


それでも新鮮な生花しか置かないから、

週末を楽しみに買いに来てくれるお客さんもいてくれる…


ドアのベルが鳴りお客さんが入って来る…


〘いらっしゃいませ…〙


そこには見慣れた嬉しいお客様…


「御行くん! いらっしゃい!」


変わらずいつものように深々とお辞儀をしてくれる。


わたしは温かい紅茶を淹れて持て成す。


御行くんが口を近づけて一口飲む…

暫くカップの水色を眺めてから

もう一度二口目を飲んだ…


「もしかして気付いた?」


わたしは彼に訊いてみた。


御行くんは軽く頷いた後、少し間をおいてから


“Darjeeling 1st Flush?”


そうメモ用紙に書いてくれた。


「やっぱり判った? なんとなく御行くんなら判るような気がしたんだ!」


ダージリンの春摘は夏や秋のとは違った水色と味わいがある…


茶葉の違いに御行くんなら気づいてくれるだろうと思ったけど、それを初めて

“花言葉”以外の方法で教えてくれた…


「御行くん…わたし…旦那様に聞きたくても聞けない事があるの…」


何故か、御行くんならこんな話でも訊いてくれそうな気がした…


恐る恐る彼の顔を覗くと、やっぱり優しい表情で静かにわたしの手を握ってくれる。


そうなんだ…

何故か解らないけど…このひとはわたしをいつも安心させてくれる…


「旦那様には…以前、何度か訊いたことがあるんだけど…いつもはぐらかされてて…だから訊けないの…」


こんな事を言ったら変に思われそうだけど、御行くんなら大丈夫だと思った。


「前にも同じ様な事を経験してる事が偶にあるんだけど…思い出せなくて…

でもどうしても知りたくなるのに…

怖くて…知ったら何かが壊れそうで…

苦しくなる…」


御行くんは、両手でわたしの手を包むと、軽くポンポンポン…と叩いてくれる。


それだけでわたしのこころは何故か安心感で満たされる…


本当に…不思議なひとだな…








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