第145話 木ノ下保育園 前篇

 俺は園長への挨拶と見学を兼ねて保育園へ来ていた。


「この度は誠にありがとうございます。

仁科から伺っております。入園しおりの件、有名な画家の先生にお引き受けいただけるなんて本当に有り難いです」


白髪混じりの髪を一纏めにしてはいるものの、快活な様子をみるに普段から子供たちと一緒になって走り回っているのだろう。


「とんでもありません。自分のような駆け出しに声を掛けていただき有り難うございます」


俺は丁寧に挨拶をした。



その後園長から、絵に対する希望を訊いた。

園によって方針があるから、禁止事項や、強調して欲しい感じなどを詳しく教えてもらう。


俺は一週間園に通って子供たちのデッサンをして過ごす事になった。


木ノ下保育園ここの子供たちはみんなよく遊んでいる。


園の方針なのだろう…

園庭にはどこにでもあるようなブランコも滑り台も無いが、どの子も泥だらけになって楽しんでいる。


初めこそ遠巻きで見ていた子供たちも、

一人…また一人と近づいて来て、夕方には絵を描いている俺の周りは何人も子供が集まっていた。


全身泥だらけになった、泥人形のような子どもたちが汚れたままの格好で横に座り、泥だらけの手で俺やスケッチブックを触る。

俺が描いていくところが興味深いようだ。


「こらこら、先生のお仕事邪魔しちゃいけないでしょ」

保育士は気を遣って子どもたちを追い払おうとするが、興味を持つ気持ちを尊重したかった。


「俺は構わないのでお気遣いなく」

そうなると、子どもたちは遠慮なくどんどん集まって来て、中には肩に登ったり膝の上に座り始める子もいる。




中でも俺の目が奪われたのは乳幼児室。


保育園は働く母親が子供を預ける場所だ。

当然幼稚園と違って3歳未満の乳幼児も何人か預かっている。


担当の職員がミルクやオムツ替えをしているところを時間をかけて描いた。


『数真もこんなふうに真古都に見てもらってるのかな…』

俺は写真でしか知らない真古都の子どもに想いを馳せた…



「先生…お茶にしませんか?」

女性の保育士が声をかけてきた。


俺はお茶を飲みながらも、じっと乳幼児室を眺めていた。


「あ…あの…先生は子どもが好きなんですか?」

その保育士が突然訊いて来た。


好きとか嫌いとか考えた事も無かったので、不思議に思い黙っていると、

「私の事、覚えてますか?」と訊く。


『はあ?』

いきなり言われても女の顔など一々覚えていられるか…


「え…絵の依頼に櫻庭さんのお祖父さんと伺った仁科咲智子にしなさちこです」


「どうも…」

俺の対象物は子供たちだから、

保育士に名乗られても仕方ないんだが…


「最初は恐い人なのかなって思ってたんですけど…子供たちに凄く優しく接していて…

そんなふうに触れ合ってる先生見てたら…

その…素敵だな…って思って…」


ああ…いや…

真古都の子どもも、そのうちこんなふうに走り回るのかと思ったらつい、

頬が緩んだだけなんだが…


俺はいつでも真古都のことばかりだ…



「先生、それ素敵ですね」

一瞬何の事を言ってるのか判らなかった。

どうやら、真古都から貰った向日葵の写真をカラーコピーして、スマホのケースに入れていた物を見て言ったようだ。


「“最愛”だなんて…

嬉しくなっちゃいますね…」


“最愛”…

そう云えば…真古都はわざわざ11と書いてあった…

意味があったんだ!


「急な用事を思い出した!

悪いが今日はこれで失礼する!」


俺は一目散に帰って調べる…

11本の向日葵の花言葉…




“貴方はわたしの最愛のひとです”…


これを…

真古都は俺の誕生日に贈ってくれた…



幾筋も頬を伝わってしずくが落ちてゆく…

俺の心臓が久々に激しく高鳴った…

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