第138話 雨

 三ツ木は花屋をするのか…

フランスに残る事は大体予想がついてた…


一年の約束も、彼女にとってはどうでもよかったらしい。


相手の男から部屋から出してもらえず、

食事と、トイレと、入浴以外

ずっとベッドの中で丸まっていた生活…


無気力になっていたところに、

宣告された妊娠で全てを諦めた…

いや…

諦めざるを得なかったと云うべきか…


たった一晩の関係で妊娠した三ツ木にとっては、期限が終わっても全てが無かった頃には戻らない…


“一年と云う期限”など、

三ツ木にはもう何の意味もないカタチだけ…


可哀想に…

お前にとって瀬戸は

光をくれる太陽だった筈なのに…


太陽が無くなれば

月は輝かない…


三ツ木…

全てが終わって、落ち着いてからでもいい…

帰って来い…


お前が戻れる所はちゃんとまだ有る…


お前は何も悪くはない…

全てを諦める必要なんてないんだ!


何も心配せず

子どもと一緒に帰ってくればいい…

お前が幸せになる為なら

俺はどんな事でも手助けしてやるから…




「辻宮、瀬戸くんの試し刷り出来てるから印刷所寄ってきて…」

「判りました」


瀬戸は冬に同級生だった柏崎のプロデュースで個展を開く事になった。


公現社ウチもその個展には協賛している。

アイツは、他の人間と仕事をする事は滅多にない。

今回、公現社ウチが協賛出来るのも、仕事での信用を得ているからだ。


多分、あの偏屈な画家に対して名前呼びで仕事をさせてもらえてるのは、今のところ公現社ウチくらいなもんだろう…


「あれ〜 辻宮ちゃん、彼女の写真なんか手帳に挟んでるんだぁ」


デスクの上に置いてあった手帳を、カメラマンの先輩が誤って落とした。

拾ってくれた時、偶然最後のページが開いて三ツ木の写真を見られてしまう。


「彼女じゃありませんよ…ちょっとした知り合いです」

俺は普通に答える。


三ツ木は大事な女だが、彼女じゃない。


「ええ〜っ でも好きなんじゃないの?

毎日持ち歩く手帳に入れてんだからさぁ?」

尚も突っ込んで訊いてくる…


「ホントにそんなんじゃないです…

彼女、子どもが産まれたばっかりですし」


「そっかぁ…

辻宮ちゃんまだ若いもんなぁ…

俺みたいに40過ぎなら気にしねーけど、

お前が彼女にするならやっぱり普通の子が良いわな」


その言い方が何となく癇に障った…

「何言ってんですか、歳だって俺より2つ下だし、彼女だって普通の女の子ですよ」

思わず反論する。


「なんだぁ〜 やっぱり好きなんじゃん

まあ、頑張れ」

カメラマンの先輩は、笑いながら俺の背中を叩くとそのまま仕事に出て行った。


「まいったなぁ…」


この事が瀬戸の耳に入るとは、その時は思ってもみなかった。




「ねえ、瀬戸くん…やっぱり顔はダメかい?」

「ダメです!」


今日は公現社のカメラマンが作品の写真を撮りに来てる。


秤藤ひょうどうさん紅茶お茶は?」

俺はポットに茶葉を入れながら訊く。


「飲む、飲む! 美味い紅茶を飲めるのがここに来る一番の楽しみなんだから」

カメラからレンズを外し、片付けながら答えてる。


「はい、はい…」



「そういや…瀬戸くん、辻宮ちゃん彼女いるらしいの知ってる?」


秤藤さんは、女学生の恋バナよろしく、ニコニコしながら俺に話しかけてきた。


「別に先輩に彼女がいたって不思議じゃないでしょう?」


俺は先輩に彼女がいる話は訊いてなかったが、取り立てて気にせず秤藤さんの話に耳を傾けていた。


「なんか…訳ありっぽいからさ…

瀬戸くん、それとなく訊いてみてよ。

辻宮ちゃんとは先輩、後輩の仲なんでしょ?

2つ下だって言ってたから、瀬戸くんと同い年か…

子どもが産まれたばかりらしいし…

辻宮ちゃんの子どもかな?

それとも人妻?

いや、それはいくらなんでもまずいよな…

だけど彼、その女の写真を手帳の後ろへ大事に挟んでるんだよ…」


ベラベラと独り言のように喋ってるのを、ただ聞くに任せていたが、だんだん変な胸騒ぎが襲ってくる…


人妻…?


子ども…?


2つ下…?


ま…まさか…

そんな事あるはずない…



秤藤さんを見送ると、先程の話が何度も頭を掠める…


写真…

真古都の写真なんだろうか…


でも…なんで先輩が…?

そんな事はどうでもいい…

その写真が本当に真古都なら…


見たい…



突然降ってきた雨が躰を濡らし始めた


だが、その事ばかりが頭から離れない…


雨脚が強まりずぶ濡れになっても

真古都への想いばかりが胸の中をしめる…









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