ハッピーだーりんウォッチング・わくわくタコ・ジャーニー

狂フラフープ

血戦!! 地球防衛隊vs舞い踊れタコとイサキの風雲和田島城

 だって浜辺でタコをいじめたかった。

 目もキモいし血も青い。腕に至っては八本もあるのだから誰だってそうだ。あんな珍妙な生き物を嫌っていないのは日本人だけだし、これで不味ければ悪魔呼ばわりの四面楚歌は間違いなかった。

 現に目の前で囲んで棒で叩かれている。まだ黒ずんだ冬の終わりの寒空の下、子供は風の子悪魔の子とそのタコは男子小学生ズの容赦のない黒閃と水の呼吸とゴムゴムのなんかを受けながらぬるぬると磯の隙間を逃げ回っている。重ねて言うがぼくはタコをいじめたかったのだ。地球連合にラブアンドピースを運んでくる人類共通の敵と言えばタコ型異星人とH・G・ウェルズの時代から決まっているし、タコがちょっとでかいのもキモいし、だからぼくもみんなとE!D!F!地球防衛軍がしたかっただけなのだ。なのに実際にはタコをいじめから救ったのはひとえにぼくに社交性の無さで、そりゃあ悪ガキどもだって自分たちのいじめ現場のすぐ側を知らない大人が棒切れを逆手に持ってまごついていればビビって逃げ出すのも道理というもので、だから本当なら今頃ガキどもと一緒にタコパをしている予定のはずがどうしたことやらタコとタコパの予定を立てている。


「はい。先に和田島さんに届け物をしないといけないので、その後でいいならタコパできますよ。和田島さんがたこ焼き器持ってたらいいんですけど」


 とにかく気味が悪い。

 そもそもタコが喋るのが生理的に嫌だし、なんでこのタコが和田島さんなる存在のことがそんなに好きなのかもお礼と称して腕を差し出す自己犠牲精神も理解できない。とはいえ八本もあるなら一本二本はまあ割と許容範囲なのかもしれないし、結局は頭の上に腹があるような奴の精神性が理解できないのは仕方ない。何より許せないのは一度得た不労所得のキャッチアンドリリースだ。それがしょせんはタコの遺産でも相続放棄などもってのほかで、あぶく銭ならぬあぶくタコが波間に消えたらぼくは死んでも死にきれない。ぼくが死んだら誰がタコを食べるのだ。和田島さんか? その和田島さんなる人物がタコの刺身を味わう姿を想像するだけで、ぼくの心はズルさに軋んだ。


 タコはどうやら車両の類が初めてらしく、放り込んだスクーターの籠にはしゃいでいた。そういえばヘルメットが一個しかないなと気付いたけれど、どうせ被せたってそこは腹だし、荷台にタコを載せるのは禁じられていない。「ところで、届け物って何なの」と座席に跨りながら尋ねると、タコはお気に入りらしいポシェットから嬉しそうに墨で書かれた薄い本を取り出した。ファンソロジーだかなんだか、タコは流れるように語り始め、どうやらそれが件の届け物であるようだが訊いておいて生憎中身に興味はない。ぼくはとにかく助けたお礼だけ欲しいのだ。それだって贅沢は言わない。鯛やヒラメが舞い踊らずとも、タコさえ食えればそれでいい。我々の竜宮城は二区画ほど離れた住宅街にあるらしい。進むほど辺りには手入れされた庭や新築の家が増えて、噂の和田島さんが良い家に住んでいるならばとタコを届けてお礼に何か貰える予感にぼくの心は弾んだ。


「――――が――なんですよ。――――――で」

「あはは、タコくん昔からそういうところあるよね。知らんけど。今日会ったし」


 籠でタコが何か言っていた。風圧で何も聞こえない。

 それから途中で業務スーパーに立ち寄ってたこ焼き粉を買った。スーパーはタコの持ち込みNGだろうから、盗まれないように裏手の駐車スペースに停めるのが大変だった。

 竜宮城にはお年寄りがひとりだけ住んでいて、てっきりぼくは呼び鈴に釣られて出てきた人の良さそうなおばあさんが和田島さんかと思ったのだけど、彼女はどうやら表札に名前のある通りの玉田セツ子さんらしく、数日前まで庭先に住んでいた和田島さんは既に引っ越してしまったそうである。綺麗さっぱり隅々まで舐めとられた庭の餌台を示しながらおばあさんはそう説明し、地図を見せて和田島さんが良く居る湿地帯のことを教えてくれた。

 別れ際、なにかお礼は貰えませんかと言おうとして、別にこのおばあさんには特に何もしていないことに気が付いた。ぼくらはしばらく黙って、何かを察したおばあさんは何かが入った箱をくれた。

 和田島さんに会ったらこれあげてね。

 タコはおばあさんが見えなくなるまで手を四本も振っていた。



 何もない平野はもちろん風を遮るものもなく、ぼくは運転しながら肌寒さに震え、タコはもっと寒いかもしれないと思い至ってスクーターを止めた。自販機であったか~いコーンスープを買ったら、タコはぼくの後ろに順番待ちをしておしるこを買った。

 和田島さんが営巣している干潟はここから更に数キロ離れた位置だから、ここでしばらく休んでいこう。そう伝えたらタコはずっと和田島さんの話をしていた。おしるこを舐め舐めしながら和田島さんを延々と語るタコを見て、和田島さんはたぶんすごくモテるのだとぼくはなんとなく気が付いて、それからタコのぬるぬるが少し渇きつつあることにも気が付いた。きっと陸地をこんなに移動するのはタコにとってはとんでもないことなのだと思う。ずっと遠くを見ているタコの眼は気味が悪い。だって瞳が横向きなのだ。瞳のキモさで言えばヤギも似たようなものだが、ふわふわであんなに可愛いヤギが目がキモいせいで悪魔にされる。ならば毛もなく美味しいミルクも出さないタコなんて、世界中から嫌われて当然だ。では和田島さんは?

 タコは和田島さんが好き。じゃあ和田島さんはタコが好きだろうか。

 タコはひょっとすると、ぼくが居なくても初めから、和田島さんに食べてもらう気だったのではないだろうか。


「一旦さ、海に寄ろうよ」


 コーンスープを飲み終え、ぼくはタコに提案した。タコはぬるりとぼくを見て、ぬるりとおしるこを飲み終えた。


「ダメですよ。和田島さん、また引っ越しちゃうかもしれないので」


 大人しそうに見えるこのタコは、思ったよりも気が強いらしかった。

 当たり前だ。タコにだって友ダコは居る。心配したのはぼくが最初じゃない。こんな無茶苦茶、止められただろうし、その全てを振り払って陸に登ったのだ。

 自分から籠に収まるタコの期待に満ちた目に促されて、スクーターを走らせる。調子よくエンジンを吹かせ真っ直ぐ伸びる道路を飛ばしながら、ちらりと籠の中で楽しげなタコを見た。


「ねえ、その和田島さんって、どういう人?」

「優しいです!  あと、可憐で、すっごくかっこいいんです!」


 向かい風にも負けない大きさの声で、タコは叫ぶ。ふうん、とぼくは鼻を鳴らして、ぐいとスロットルを捻り込んだ。


 タコからの贈り物を、和田島さんは喜ぶだろうか。

 目的地が近いことを報せる標識が寂しい道路の真上にぽつんとぶら下がって、それを見たタコは嬉しそうに籠の中でもぞもぞした。視界の端にそれを捉えて、ぼくはこんなにタコに好かれる和田島さんを少しだけ妬ましく思った。同時に、こんなに誰かを好きでいるタコを羨ましいとも思う。道路の両脇を固める雑木林を抜けて視界が開けたとき、何かが頭上を越えて飛んで行った。

 一目で分かった。

 あれだ。あれが和田島さんだ。

 服を脱ぎ捨て、泣きながら空を飛ぶ小さな白い点。広々とした冬の空を誰よりも自由に、競うように泳ぐ無数の和田島さんたちの群れを見上げて、ぼくはその時タコと同じ気持ちになれたような気がした。


「あ、前! 前! ちゃんと前見てください!」


 慌てた声に意識を現実に引き戻され、危うくハンドルを真っ直ぐ切り直すことが出来た。前に戻した視線で次々と脱皮しながら飛び立っていく和田島さんの群れを辿ると、白い帯はずっと先の地平線へと繋がっている。

 和田島さんは真っ白な翼を広げ尾羽を煌めかせながらバージンロードの花嫁のように旅立つ。幸せになってほしいとそれだけを思う。

 青い空を横切る和田島さんの列は尽きることなく続くように思えて、けれどようやく潟湖が見えたとき、その瞬間に飛び立った和田島さんが最後の一羽だったのだと僕らは理解した。


 和田島さんたちの去った潟湖にはもう人っ子一人残っておらず、寒風の吹き晒す閑散としたパーキングエリアはあんまり寂しくて、だからぼくらはのそのそと近くの展望台に登った。


「和田島さん、綺麗だったね」

「ですね」


 渡せなかった薄い本を抱えたタコは、心なしかしょんぼりしているようでぼくはなんだか、代わりに少し泣きたくなった。予定とはちょっと違うけど、タコパにしましょうか。タコがいやに明るく切り替えてそう言うので、それじゃあ仕方ないね、とタコパを始めることにした。

 水は水道があった。

 その辺の石で作ったかまどに、落ち葉と捨てられたライターで火を焚いた。たこ焼き器の代わりの鍋の代わりの重ねたアルミ箔をその上に掛けた。


「――あ、そんな危なっかしい持ち方じゃ腕以外切っちゃうって」


 タコは包丁の代わりにハサミで自分の腕を切ろうとしていて、ぼくらは少し口論になった。待って待って、先っちょだけ、先っちょだけ入れよう。待ってなんで変な時だけ思い切り良いのこのタコそんな太いの入れようとしないでやだやだぬるぬるしてるじゃん待って待ってだめだめだめそんな太いのだめ入れないでやめて。待って血ぃ出てるってバカバカバカ。ねえ痛くないの? 痛いでしょやめなよほんとムリなんか苦い苦いやっぱヤダこれ以上やめて。結局火力が足りずに半分液体の生地とほんの先っぽだけのタコ足は、楊枝を刺せば崩れて持ち上がらないほどだったけれど無理して食べようとすれば食べられなくはない何かにはなった。ごめんなさい、とタコが謝るのでぼくは少しだけ不機嫌になって、自分が食べたのは確かにたこ焼きだったと意地を張った。

 べつに期待してたとかそういうのではない。

 今まで付き合ってたのは身体目当てだと言われれば否定はできないが、ぼくが本当に買い被っていたのはタコパの方だ。もっとこうすごくアレだと思っていたのが実際はコレなので、とにかくぼくはこんなに不味いたこ焼きをこのまま満腹まで食べ続けたら損した気分になるはずだから、もうタコは用済みだとタコに伝えた。

 代わりにおばあさんから貰ったお土産を開けることにした。和田島さんにはあげられなかったので中身によっては返しに行こうかと思ったけれど、入っていたのは魚肉ソーセージだったので、ふたりで食べることにした。少しだけ消費期限が過ぎていたけれど、箱を開けたら大変なことになるほどではない。たこ焼きの生地と一緒に焼けば一応は食べ物らしくなったし、ふたりで不味いギョニソ焼きを齧りながら、こいつはなんだかへんな生き物だなあ、とぼくは思う。どうしてみんな和田島さんのことがこんなに好きなのだろう。ぼくらは少し踊って、それから来年、和田島さんに会いにまたここへ来る約束をした。空になった玉手箱に折り畳んだ薄い本を入れて、展望台の近くに穴を掘って埋めた。ぼくはタコを元の浜辺まで送り届けて、タコにちょっと足りなくなった手を見えなくなるまで振られて、家に帰ってちゃんとした冷凍たこ焼きを食べ、ちゃんと歯も磨いて布団を敷いて寝た。

 それからしばらくするとふたりで食べたたこ焼きの味を思い出せなくなったので、ぼくがタコを好きな理由は美味しいからだということにした。




〈ハッピーだーりんウォッチング・わくわくタコ・ジャーニー 了〉

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