第83話下山と自分

 結局私の恥ずかしエピソードを語ろうとして、「そろそろ下山しましょうか?」という神崎君の声でそれは遮られた。正直、滅茶苦茶助かった。

 あのまま、自分の心の内側を吐き出してしまったら、きっと神崎君の思っている私とは全然違いすぎて、これから受け入れてもらえない。というか、私自身がどんな顔をして彼に会えばいいのかわからなかった。

 ただ一言、彼は下山しようと荷物をまとめている私に「この景色、できれば忘れないでくださいね」とだけ声をかけてくれた。その言葉の真意は正直理解できなかったが、「うん」とだけ答えた。一応、念のために、目に焼き付けるように、私はこの山頂からの景色を見た。





 下山を始めると、あっという間に進んでいく。山頂目前の急登だってくだりだと楽チンだし、そこそこハイペースで歩いても息が上がることはない。しっかり休憩もしたから、よりそれを実感していた。


「天道先輩、ちょっとペースが速いですよ」

「そうかな?」

「ええ、急に膝に来ることがあるのでもう少しゆっくり行きましょう。足の置き方一つで、全然衝撃が違うので」

「う~~ん、分かった。意識してみるね」


 ふむ、歩き方か。よくわからないけど、滑らなさそうな場所だけを選んでいる今の状況はよくないのかもしれない。確か、登るときには足を上げて垂直を意識していたっけ?

 うーん、じゃあもう少し真上を意識して足を運んでみる?ああ、なるほど。垂直に足をおろせばいいのか。無意識に前屈みになていたから、それを修正する必要もあるなぁ。


 そんなことを意識して、徐々に歩き方を変えてみると、なるほど。結構違うなって気がする。さっきまでは、一歩毎に足への衝撃を感じていたんだけど、それが軽減されている気がする。筋肉の疲労感が少なくて、この分だと筋肉痛にならずに済みそうだね。


「ありがと、神崎君」

「え?」

「意識してみると、本当に楽になったよ」


 私が唐突に答えたからか、神崎君は思い切り疑問符を浮かべる。そのまま少し固まると、「あ~~!」と思い出したような表情をする。


「そうですか、よかったです」

「うん、ありがとう」


 このタイミングでちょうど休憩するようにした。足の痛みや疲労はそんなに多くないけど、「想定よりも速いペースですね」とのこと。私的には、そこまで疲れていないと思ったけど、休んでみるとお尻が岩に張り付いて動かない。


「えぇ、思ったより疲れてるのかな?」

「たぶんそうですね。まぁ、ここいらで一息入れましょう」

「うん」


 二人並んで飛び出した岩の上から景色を眺める。そこでふと、違和感を感じた。何がおかしいのか、正直わからない。でも、なんだろう。心の中で、なんだか別の何かを欲しているような。ここからの景色も展望スポットでいいはずなんだけど.......。


「あはは、やっぱりそうなりますよね」

「え?」

「来るときは心を奪われたような景色でも、一回山頂からの景色を見ると物足りなく感じるんです。不思議なことに。でも、それは下に行くことでさらに感じるんです。ただ、それは人生も同じです。最終的に下山してみると、山のどのポイントからの景色も懐かしく、重要なものに感じるんです。だから、何度でも同じ山に登るし貴重な体験を繰り返しできます。僕が天道先輩に山頂の景色を忘れてほしくなかったのは、「物足りない」と思ってほしかったからです。その頂に立ったという経験は、きっと心の中に刻まれる。でも、その時の感情も景色も忘れてしまってはもったいないですからね」

「なるほど」


 なんで私の中にモヤモヤとした何かが巣食っていたのか、それすらも神崎君の掌の上であったことに少し情けなさを感じる。でも、原因ははっきりと判明したし、正直納得だ。

 一度得た快楽に抗えないように、達成感や景色でも、無意識化でランキングのようなものを作っているのかもしれない。そして、それを自覚するとともに、私の中でのくだらなかった問いにも、答えを得ることができた。


「山登りって奥が深いね。それに、私の中でも踏ん切りがついたよ」

「そうですか?」

「うん、私は私らしく生きるよ。ありったけの、身分相応の私で。この人生を駆け上がって見せる」

「そうですか」

 一人力強く決意する私に、彼は何時も通りのすまし顔で答えてくれた。この表情が何よりも安心するのだから、私も病気なのかもしれない。



 そんなことを思いながら、ちょっとした羞恥心を感じつつ無事に下山するのだった。

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