第6話

 翌日、ガムテープや荷造りに使う紐が足りなくなりそうだったので、義姉にママチャリをかりて、近所に出来たホームセンターへ行く事にした。

 母は、

「大きくて何でも揃っていて便利よ。すぐ近くだから自転車で大丈夫よ。そうだ、ついでにトイレットペーパーも買ってきて」

 と言ったが、自転車で30分は走った。近い距離かぁ? と思いながら、慣れないママチャリをこいでホームセンターについた時には、疲れ果て、汗が滲んでいた。

 ホームセンターは、連休中の大売出しの為か、駐車場に入る車の列が道路にまで連なり、制服を着たガードマンが忙しそうに誘導していた。そんな光景を横目に、涼しい店内に入りいろいろ見てまわっていると、見覚えのある背中に目が止まった。少し右肩が下がった癖のある歩き方。浩だ。昨夜の押し入れ整理の時に「いらない物」の段ボールに投げ捨てた交換日記を思いだした。浩は子供を乗せたカートを押し、メモを見ながら洗剤コーナーの前で何かを探している様子だった。

「何かお探しですか?」

 私は、思い切って声をかけてみた。

「あの、アリエールっていう洗剤を探し・・・、え、なぎこぉ?」

「そうだよ。元気?」

「あー、びっくりした。何だ、帰ってきてたのか。かわんないなー」

「浩もだよ、後ろ姿でわかったもん。子供さん?」

 と言って、私はカートに座っている女の子に目をやった。くりっとした大きな瞳がとても浩に似ていた。

「そう。まゆこって言うんだ」

「似てるね。こんにちは、まゆこちゃん」

 と言いながら、私はまゆこちゃんの頭をなで、挨拶をした。

 3才くらいかなぁ。プックっとしたほっぺたの、愛らしい女の子だった。

「買い物?」

「そう、かみさんが今妊娠していて、つわりがひどいもんだから俺が買い物係りなの」

「大変だね。でも、浩は昔から尽くしてくれるタイプだったもんね。奥さん幸せね」

「そうかぁ、でも凪はそこが嫌だったんだろ?」

 そう。私は、浩のそんな優し過ぎて尽くし過ぎるところが嫌だった。その優しさに甘え、傲慢になってゆく自分が許せなかったのだ。

 お互いに買い物をすませ、店内の軽食コーナーでアイスコーヒーを飲んだ。まゆこちゃんにはソフトクリーム。

「東京はおもしろいかあ?」

 浩が言った。

「最初はね。今はわからない。便利っていうだけかも。でも、まだ飽きてこないし、仕事もあるしね」

「たまには同級会に顔出せよ。一度も出席してないだろ? 皆気にしてたぜ、元気なのかって」

「そうだねえ。何か同級会って、一瞬で過去にフィードバックしてしまうから、解散後に時間を元に戻す事がうまくできなくて、怖いんだよね」

「何かそれ、凪らしいなぁ」

 浩は時々、まゆこちゃんの口のまわりについたソフトクリームをハンカチで拭いたり、水を持ってきたりと、世話をしていた。彼はきっと、優しい父親であり夫なんだろう。浩と結婚していたら、私は別の人生を歩んでいたかも知れない。誰もが時々してしまう、過去の分岐点を省みるシチュエーションだった。

 浩は高校の陸上部に所属していた。中距離と走り高跳びが得意で、県内の陸上競技大会で優勝する程だった。10月の澄んだ青い空をバックに翔んだ浩の姿が、今も私の心に、コラージュの様に焼き付いている。あの日の帰り道、私達はキスをした。唇と唇を合わせただけの可愛らしい、初めてのキス。リンゴジュースの味がした。

 ホームセンターの出口で浩と別れ、私はママチャリに乗った。「絶対こいよ、同級会。待ってるからな」と別れ際に言った浩の言葉が、キュンと胸に突き刺さった。何だろう、この気持ち。


 実家に帰省して2日目の夜は、皆で近くの健康ランドで食事と温泉を楽しんだ。女風呂で、母の白くてまるい背中を流しながら、父や母と過ごしていなかった年月の長さを思い、何故か「ごめんね、お母さん」と思ってしまった。

 ゴールデンウィークは、あっという間に過ぎてしまう。帰省ラッシュを避けて一日早めに東京へ戻った。マンションに戻れば、カップラーメンやコンビニ弁当の空、洗濯物の山が私を待っているだろう。新幹線に乗っている間の約2時間は、体の細胞を東京での生活に変換するのにちょうど良い。私は、イヤホンを着け静かに眼を閉じた。

 夕方、東京のマンションに着いた。夜になって携帯をチェックしてみたが、2通のダイレクトメールしか着信されていなかった。和泉はどうしているのだろうか? 明日電話でもしてみようと思った。けれど、翌日も留守電になっていたので、メッセージを残しそのまま切った。

 連休最後の日、私は朝から掃除をしたり、洗濯をしたり、買い出しに行ったりと、フル回転で働いた。

 

 ゴールデンウィークが過ぎてもなかなか和泉に連絡が取れなかった。携帯は何度かけても留守電になっているし、ラインの返事もこない。携帯の故障なのか? 病気にでもなってやしないか? それとも、何か事件やトラブルに巻き込まれたのか? と、繋がらない度に心配が濃くなっていった。


なかなか連絡がとれないけれど、元気ですか?

何もなければいいのだけれど・・・。心配しているので、取り敢えず連絡下さい。

 

 というメッセージを、ラインと電話の留守電に入れ、メールも送信しておいた。そしたら、数日後、やっと和泉から返事がきた。


凪子へ

ずいぶんとご無沙汰しちゃったね。

実は、フジオと別れました。

最初は、まだ間に合うかも、なんて思って過ごしていたんだけど、今はようやく「もういいや」って思えるようになってきた。一人になるのが怖くて、ずっと踏み切れないでいた気がする。「フジオと別れてよかった」って思える日がくることを、今は信じている。でもね、心の片隅では、これから先ずっと一人だったらどうしようっていう不安もある。別れのきっかけは、冷蔵庫でした。日曜日に冷蔵庫が壊れたんだよ。それで、フジオに電話をして「冷蔵庫がウンともスンともいわなくなっちゃったの。買いに行くから付き合って」って言ったのね。でも、フジオが家にくるのを待っている間に、コンセントを入れたり抜いたりしていたら、ウーンってモーターが動き出したの。でも、これから暑くなるのに、いつ壊れるかわからない冷蔵庫を使ってビクビクしているよりも、新品を買いたかったのよ。この冷蔵庫だって10年は使ったし、お風呂上りの冷たいビールは必需品だからね。なのにフジオは、「動いてんだろう。だったら大丈夫だよ」て言うの。私は「でもさ、もう10年も使っているんだからさ、又すぐに壊れるかもしれないじゃん。それにさ、壊れて次のが来るまで日にちをおいたら、食品ダメになっちゃうじゃん」て言ったの。そしたらフジオが「動いてんだから大丈夫だ和泉和泉って、前から思ってたんだけど、神経質過ぎるんだよ」て言ったの。その一言が頭にきて、私が今まで抱えてきた不満をガーって言ったの。なんかさ、フジオは私が感じてきた不安の全てを「神経質」という言葉に置き換えて解釈しているんだと思ったら、もうダメだって思った。その夜は、お互い背中を向けてベッドに入ったけれど、私は眠れなかった。そして翌朝、フジオの私物や服を紙袋に入れて、カギを返してもらって、終わりました。

すごく、些細なことから始まったけど、それがきっかけでした。今はまだ電話で話せそうもないけれど、元気になったらまた電話します。こんな事があったので、ゴールデンウィークは帰らず、そして一人で冷蔵庫を買いに行きました。


 別れのきっかけが冷蔵庫って事も、あるんだ・・・。

 今まで何回か、フジオとの間に起こった小さなトラブルや愚痴を聞き、「別れちゃえば。もっと、結婚を前提にお付き合いしてくれる人を探しなよ。和泉なら大丈夫だよ」と言った事があったが、私の言葉よりも、壊れた冷蔵庫の方が効き目があったようだ。

 私は、和泉が孤独に浸らないように、何度かラインを送った。ラインなら、読むタイミングを和泉自身が選べるから。その日に起こった事や、感じた事を簡単に書いた日記のようなラインを。


 お土産に買った萩の月の賞味期限も切れ、それから何日か過ぎた日曜日にやっと和泉から電話がかかってきた。

「凪子、もう大丈夫な感じになったよ。心配かけちゃったね」

 声の様子が普通だったのでホッとし、私は和泉に

「近いうちに、どこか景色の良い所へ行かない?」

 と、遠出に誘った。

「じゃあ、鎌倉へ行きたい。私、まだ鎌倉って行った事がないのよ」

 と言ったので、少し驚いた。10年以上も東京にすんでいて、いろいろなテーマパークや話題のスポットには必ず出かけていた和泉が、まだ鎌倉へ行ってなかったなんて。

「よし、まかせて。私が案内してあげるから」

 そして、お互いの予定をあわせ、6月の最初の土曜日、午前10時にJRの川崎駅で待ち合わせる事にした。私は、ガイドブックや、以前に行った時の資料や写真を見ながら、日程をたてた。

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