第3話

 それから2週間後の朝の事だった。

 顔を洗っていたら、パジャマの胸の辺りが濡れている事に気がついた。最初は、洗顔の水がはねたのだろうと気にもとめていなかったが、夜お風呂に入ろうと服を脱いでいたら、ブラジャーの胸の先の辺りが濡れていた。「汗? でも、こんな季節にここだけ汗かくかな?」と思いながら胸の辺りに視線をおいたら、乳首に白い液体が付いていた。ギョッとした。「何かの間違えだろう」と思いながら、乳房をギュッと一回揉んでみた。すると母乳みたいな液体がジワジワっと滲み出てきた。右も左も試してみたが同じだった。ちょっと指につけて舐めてみた。そしたらしょっぱいけど甘いという何だか妙な味がしたけれど、これが母乳なのかどうかはわからなかった。母の母乳の味なんて覚えていないし、友人が私の前で堂々と子供に母乳をあげていても、味見させてもらった事はない。自分にそんな経験がないから比較できないのだ。直ぐにネットで「乳房の異常」と検索をした。

乳房が痛む

乳房にしこりがあり、月経前に痛む

乳房にかたいしこりがある

乳首から出血する

 痛みはないし、しこりは・・・と胸の辺りを探ってみるが、よくわからない。『乳首から出血する』が一番近いかなと思い、その『疑われる病気』の項目をみると『乳頭腫・乳がん(乳首に傷がないのに、血性の分泌物が出てくる)』と書いてあった。「白くても血性の分泌物って言うのかなぁ」と思いながら項目を読み進めて行くと、乳房の病気という項目にあたり、『乳腺炎・乳腺症・線維腺腫』という病名ごとに分かれていた。どれも違う様な感じもするし、該当する様な気もした。さらに項目を進めて行くと『更年期障害』があり、その症状と原因の最後に「更年期障害は卵巣機能の低下による女性ホルモンの分泌低下が自律神経系にも影響を与えるために起こると考えられる」と記載されていた。以前、女性雑誌の「最近は二十代・三十代でも更年期障害にかかる人がいる」という記事を見た事があったので、「更年期障害で、ホルモンのバランスがおかしくなって母乳がでたのかな」とも思った。

 結局、何故突然こんな症状が出たのかわらないまま携帯を閉じ、これは「罰(ばち)」だと思った。

 私は「いつか罰があたるだろう」と思っていた。健康で子供を産める機能を持っているのに、故意にその機能を使おうとしない為に病気になって、その機能をもぎ取られ苦しい思いをするのではないかと。とうとうその日が来てしまったのだろうか?   

 それとも、心のどこかで、凄く「子供が欲しい」と思っていて、私の中の母性が自然に母乳を出したのか? セックスレスによるホルモンの異常なのか?

 考えれば考える程、惨めな気持ちになった。そして「取り敢えず病院へ行かなければ」と思いネット検索をして病院を探した。

 近くに産科・婦人科のある大学病院があったので診察時間を確かめ、明日の午前中に行く事にした。帰宅したアキラに簡単に事情を説明すると、

「それって、病気なの?」

 と不思議そうな顔をして言った。突然、妊娠していないはずの妻に「母乳みたいな物が出るの」と言われても、男の人の頭の中は「???」って感じなのだろう。私は、

「わからない。でも、普通じゃない症状だと思うから、一応早めに病院へ行っておく」

 と答えた。

「じゃあ、朝、病院まで送って行くから起して」

 とアキラは言った。

 

 アキラに特別な女性ができ、その徹底的な証拠を見つけ、問い詰めた時の彼の顔を一生忘れる事はないと思う。忘れられないから、二人の間にできてしまった壁を壊す事が出来ないのかも知れない。心の消しゴムとか、パソコンみたいに削除機能とかがあったら良いのにと思う。その時アキラは、自分の顔の前に両手を合わせ「ごめん」と震える声で言った。その女性と一緒にいて朝帰りした為か顔色は青白く、目が充血していた。あやまられた瞬間、私は泣いた。それはアキラがその事を認めたからだ。人前であんなに泣いた事はなかった。自分でも怖いくらい、壊れる程泣いた。泣きすぎて朝っぱらから吐いてしまった。そんな私の姿を見て、アキラは動揺しながら同情していたのかも知れない。それからは、顔を見れば喧嘩をする日が何日も続いた。私は、アキラがいない時に、彼の部屋の中や車の中を片っ端から調べ、その女性の痕跡を探した。携帯や電話の通話明細内訳書や、クレジットカードの明細も調べた。何時から、どんな時間帯に、どんな所で、どんなふうに合っていたのか? その全てが知りたかった。自分が何時から「何も知らない馬鹿な女」だったのだろうか? 私には、それを知る権利があるんだ。自分の知らないアキラを知る権利が…と。その時は嫉妬に狂っていたのだと思う。

 最初は誤るだけのアキラだったが、次第に私が調べた事や、何もかもを疑う事に腹をたて口論となり、お互い極限まで素の自分をさらけだし、相手をののしり、精魂つきた事もあった。 

 愛情と憎しみは似ている、そして紙一重なのだと知った。

 私は意地を張って「絶対離婚しない」と思っていた。が、意外にもアキラは「離婚したい」とは言わなかった。

 結局、私達はもとの鞘におさまり、アキラとその女性はたぶん別れた。たぶん…。でも、あれ以来、私達の中の何かが壊れてしまった。男と女の関係には戻れなくなってしまったし、もうお互いに何かを隠してまで今の生活を守らなければならない理由がなくなった様な気がする。そう思うと、何だか楽になった。今度アキラに特別な女性ができたとしても、その時は冷静に、そしてたくさん慰謝料を貰って、笑顔で別れようと思っている。そんなに冷めているのなら、それならいっそ、今直ぐにでも別れてしまった方が良いのでは? と思うのだが、そこまで踏み切れない自分がいる。

 アキラの事がまだ好きなのか?

 30才を過ぎて、一人で始めからやり直す勇気がないのか?

 アキラを好きだった頃の自分を否定したくないのか?

 とにかく、結婚生活とか、これから先の人生に多くの憧れや希望を失った。


 翌朝少し早めに起き、キッチンへ行くとアキラが朝刊を読んでいた。朝方寝る人なので、ずっと起きていた様子だった。

「おはよう。ずっと起きてたの?」

「うん、凪子が出かける頃が一番眠りが深くなっていそうだから、起きていた方が起きられると思って。病院へ送って、帰ってきてから寝るよ」

「ごめんね。じゃあ、朝ご飯作ろうか?」

「凪子は?」

「胃の検査じゃないから、朝ご飯は食べてもいいと思うんだ。だから、食べる」

「じゃあ、俺がトースト焼くよ」

「じゃあ、私卵焼くね」

と言って、久しぶりに一緒に朝食を食べた。


 病院へ行くと、すでに受付には人が並んでいた。初診と再診にわかれていて、私は初診の方へ並び、順番を待った。待合室のTVにはNHKの朝の連続テレビ小説が流れていた。しばらくして「何科を希望ですか?」と聞かれたので「産科・婦人科をお願いします」と言うと、診察券をもたされ「南館一階のA5へ行って下さい」といわれた。会社へ電話をし、午後から出勤する事を告げ、案内図を見ながら南館一階のA5へ行くと、産科・婦人科があり、そこにはすでに10人くらいの女の人が順番を待っていた。おもにお腹の大きな人が多く、妊婦雑誌やベビー用品のカタログや、献立表などの本が数冊置いてあった。産科・婦人科の受付に診察券を出すと問診表を渡され、「これに記入して下さい」と言われた。問診表には、現在の健康状態、過去にかかった病気、初潮がきた年月日、月経の周期、最後の性交日などの記載項目があった。私は妊娠ではないので、病気の方、腹部が張るとか痛むとか、そういった項目の中の『乳房の異常』に○をつけて看護師に渡した。しばらくすると問診表を見ながら看護師が私の名前を呼んだ。「乳房の異常ってどんな感じ?」と聞かれたので症状を説明したら、「それは、外科が担当だから、この階のB6へ行って下さい」と言われた。

 そうだった。何故私は、産科・婦人科へ来てしまったのだろう。実は、自分で思っている以上に動揺していたのかも知れない。乳癌、もしくは乳房の異常なら産科・婦人科ではないのだ。冷静になればわかったはず。待ち時間の分、時間を無駄にしたみたいで、受付できちんと確認すれば良かったと反省しながらB6へ向かった。

 外科の診察室は産科・婦人科よりは混んでいなかったが、そこで一時間くらい待った。その間に、今度は外科用の問診票を渡され記入した。当たり前だけど産科・婦人科とはかなり質問内容が違っていた。

 外科の隣は小児科で、季節的にインフルエンザが流行っていた様子で、待合席には咳や熱で切なそうにしている子供とその母親が数人いた。その中に、一際めだった過保護な母親の声があった。見るからに、高齢のうえやっと授かった一人娘という感じで、「あーちゃん、ごめんね。ママがかわってあげられなくて」と言って背中をさすったり、上着を着せたり、靴下をもう一枚はかせたり、ジュースを飲ませたりしていた。私も高齢出産になったらあんなふうな過保護な母親になるのかしらと思いながら見ていた。

 外科に移動して40分くらいが過ぎた頃名前を呼ばれ、診察室に入った。40歳くらいの男の医師が問診表を見ながら座っていた。 

 症状を話し、胃潰瘍である事と、毎日飲んでいる薬の名前が書かれたものを見せた。問診の後、上半身裸で診察台に横になり、両手を耳の横にあげ乳房の触診をした。病院で検査をして頂いているのは十分わかっているつもりだったが、何だか恥ずかしさと虚しさがこみあげてきた。セックスの目的以外でこんなふうに男の人の前で身体をさらす事がおこるなんて、20代の健康な頃は思ってもいなかったなあ。これから先の人生も、今は想像もつかないような病気になって、もっと無防備にならなくてはいけない日が訪れるのかも知れないと、白い天井を見つめながら思った。

 医師は、いろいろな角度から乳房や脇の辺りを押し、しこりの有無を確認したが、怪しいしこりは見つからなかった。一応、分泌物をとって検査に出す事になった。医師が乳房の周りを押し、滲み出てきた分泌物を理科の実験の時に使ったガラス板につけた。私は「ガラス板だ。懐かしいなぁ。こんな事が起こらなかったらお目にかかる事もなかっただろうなぁ。よく名前を覚えていたなぁ」と、そんなどうでもよい事を淡々と考えていた。医師も看護師も、とても機械的な流れ作業で、私にとっては初めての経験だけど、この人たちは何回もこんな作業を繰り返しているのだ。

 触診が終わり、衣服を身に付け、椅子に座って医師の話を聞いた。

「分泌物の検査結果は一週間後になります。念の為血液検査もしておきますので、あとで採血をしてください。一週間後に又いらして下さい」

「えっ、それだけですか? 薬とかはないのですか?」

「何が原因かわからないので薬は出せないんですよ」

 と言われた。

「こういう症状で、可能性のある病気は何ですか?」

「普通は乳癌ですが、触診してその可能性はないと思います。まれに、脳の神経付近に腫瘍ができ、ホルモンに影響を与えてこのような症状がでる事がありますが、とても少ない確率です。頭痛とか、吐き気はないんですよね? それから、この胃潰瘍の薬ですが、この影響という事も考えられますので、結果を見て、それでもまだ分泌物が続く様でしたらCTをとりましょう」

 と言われ、診察が終わった。

 乳癌でない事にホットしたが、じゃあ、脳に腫瘍ができているのか? それとも胃潰瘍の薬のせい? 採血をして、会計で料金を払い、時計を見ると11時30分。どうして病院ってこんなに時間がかかるのかしら、来週もまたこなければいけないなんて面倒だなあ、と思いながら会社へ向かった。

 夜、アキラから電話があった。

「病院の結果、どうだった?」

 ライブハウスからかけてきたようで、後ろではどこかのロックバンドの演奏が聞こえていた。一通りを話すと、

「山本病院へも電話して聞いてみた方がいいね。まだ帰れないけれど、待ってなくていいから、今日は早く寝たほうがいいよ」

「うん、そうする」

 と言って電話をきった。アキラが言った山本病院というのは山本外科胃腸科医院の事で、私も「そうだ、電話して聞いてみよう」と思った。

 母乳の事、今日病院へ行った事などをつらつらといずみにラインし、11時頃にベッドに入った。

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