令和のライトノベルという異世界をちょっと覗いた。
人称めちゃくちゃだな、おい!(笑)
今、長編書いてるのもあって書いてて飽き……いやいや、勉強の為に他のカクヨム作家の作品とか、出版物の試し読みとかをチラッと読んでみた感想が冒頭の一行です。
ついさっきの試し読みで読んだ小説は、プロローグで名前も無いようなモブキャラがヘマして死んでいく(たぶん死んでると思う。なんせ試し読みなので実は死んでないってパターンかもしれんけど)みたいなシーンでも、俺語りなんですよ。
で、場面変わって主人公の僕語りが始まる。
なんだろう。
「産まれた時からスマホあったんで、別に違和感ないっす」
的なノリなのかなぁ。
「産まれた時からみんな一人称だったんで、別に違和感ないっす」
おっちゃん、すごい違和感あるんですけど。
仮に登場人物がモブキャラも含めて10人くらい出てきたとして、全員が、
「俺が! 私が! ワシが! 僕が!」
とか語り出しても違和感なく読めるんでしょうか。
最後には、
「俺様が!」
「「「あ、どーぞ、どーぞ!」」」
みたいな。
一般的に主人公の一人称視点だと主人公のいない場所での時間経過は書けません。常に主人公の文字通り『視覚』を通して世界が語られるので場面転換が物理的に出来ないのです。
それを打開する方法として主人公のいない場所での展開を、誰かから聞いた主人公が語るというのがあります。
もしくは、映像としてよくあるのが『手紙語り』でしょうか。別の場面のことを手紙として書いたキャラクターが一人称で語るという手法もあります。
ただどちらの手法にせよ、長編の中での一場面しか使えません。
でも令和の異世界ではそれが可能なんですよねぇ。
主人がいない場面は、そこにいるキャラクターの一人称で書く。もしくは三人称で書く。
一人称と別の一人称、一人称と三人称が混ざった状態が違和感なく受け入れられているのは、ちょっと驚きです。
それは、もうそういう物だと。別に気にしなくても読み易かったらいいじゃないかと。
素人のweb作家だけならいざ知らず、編集者や出版社もそういうものだから、と受け入れてるんでしょうねぇ。これって一般文芸でもそうなってるんでしょうかね?
でもなぁ、と思うんですよ。
例えるなら私の好きな番組『独りのグルメ(仮)』の四郎さん(偽名)が食べるシーンが良いのに、たまにまったく知らんおっさんが出て来て『こんなんでいいんです。いや、これがいいんです』って一人称ナレーションが入ったら、すごい違和感だと思うんですよね(笑)
まぁ、でも一人称は書き易いし読み易いからなぁ。
情景描写も難しい言葉とか表現を使わなくても、
「人が誰もいない静かな原っぱぁ? みたいな」
「すごい綺麗な花がいっぱい咲いてますぅ」
で通せたらそれはそれは楽なのです。
「でもあえて三人称で勝負する! プロヨムの皆さんなら読んでくれるはず!!」
――続――
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