第4話 きっかけ
「ただいま」
「ママ! ただいま!」
愛心が満足するまで一通り遊び、何事もなく家に帰りついた。リビングの方から成美の「おかえり」という声が聞こえてくる。
「おってってーおってってー」
愛心がリズムを取りながら洗面所に向かう。
「愛心は偉いなー。帰ってきたら手を洗うってちゃんと覚えてる」
「でしょお、えらいのお」
自信満々の言葉とは裏腹に愛心はたどたどしい動作で洗面台の前の台にのぼる。丁寧に手を洗うのを見ながら、一緒に手を差し入れて、私も手を洗う。
「あらったー!」
「こらこら、手を洗ったらタオルで拭くよ」
「はーい」
興奮気味に振り上げられた手から雫が舞う。それをタオルに誘導すると、愛心はきれいに手を拭いた。
「ごっはっんーごっはっんー」
今度はご飯の歌に変えながら、愛心はリビングに行く。私は紐を持ったまま追いかける。愛心が立ち止まったところで、ハーネスを外した。
「青色の方、洗おうと思うから、次は緑色使って」
成美が私の横に立ち、手を差し出してくる。全箇所布でできているわけでもないから、ハーネスはいつも手で洗っている。だから洗い替えに緑色も所持している。
「……愛心にかわいそうって言葉をぶつけられるの、どう思う?」
成美の手にハーネスを渡す。手首に装着したままだった紐を外す。
「相変わらず諸々の言葉が足りないわね。なに? 通りすがりの人?」
成美はそう言いつつ、やはり私の言いたいことは理解してくれる。成美の手に紐を渡す。
「そう。犬みたいでかわいそうだってさ」
「それで愛心がショックを受けないかって?」
私の思考は次から次へと連なり、まさにとりとめのないという言葉がぴったりだ。いつだってそうだった。そんな私を成美は引っ張ってくれる。一番の問題、一番気にすべき点を、成美は私の前に差し出してくれる。
「命は大事だ。でも実際、今までハーネスのお世話になったことはないなって」
「もちろん、未来に起こることはわからない。だからつける意義はある。起こってからじゃ遅いんだ」
「さすが」
成美が私の口調をまねながら、私が続けようとした言葉をずばり言い当てる。
「知らない人の言葉なんて捨て置けばいいのよ。そういう腐った人間はたくさんいるもの。気になるなら愛心に聞けばいい。話せばいい。ただ頭の中で考えているだけじゃ何も変わらないよ」
成美の瞳が私を見る。黒く透き通った瞳は、まっすぐで揺らがない。
「成美は強すぎるよー……」
たまらず私は目をそらし、苦笑を漏らした。成美もつられて笑いを漏らす。
「ならいいコンビじゃない」
「私が弱いって?」
「え? 違うの?」
成美がいたずらっ子のような表情をしてけらけら笑う。
「パパとママ、こそこそなにはなしてるのぉ! ずるーい!」
そこに愛心が突っ込んできた。物理的に。
愛心の体を二人で抱き留める。小さな体で、全力で生きている。小さな小さな命を、愛しいと思わない日はない。
「愛心が大好きって話!」
「そうそう、パパもママも愛心が大好きなんだよ」
「やったぁ! あこもだあいすき!」
愛心の笑顔が身に染みた。
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