第3話 思考
「やぁねえ。犬みたい。かわいそう」
公園に向かって歩みを再開しようとしたら、不躾な声がかかる。嫌悪感を隠そうともしない声をぶつけることの方がかわいそうだと気づかない、浅薄な人間のものだろう。先に横目で声の主を見る。五十代くらいの女性だった。値踏みでもするように愛心を上から下まで眺めている。純粋に気色悪いと感じた。私は愛心の顔が女性の方を向かないよう誘導しつつ、女性に向かって小さく笑んで頭を下げる。
「よし、行くぞぉ」
「おー!」
愛心に今の言葉が聞こえていないといい。いや、あの近距離だ。声自体は届いていようから、それが自分に向けられたものだと、気づいていないと祈るしかない。
愛心と歩く。愛心の手が温かい。柔らかい。私はそのことをよく知っている。たとえ私の手首から、ハーネスの紐が伸びていようと、私は愛心の温かさを、知っている。たった一本の紐が、親子の愛を断ち切ることはない。ないのだ。
それなのに、時々、自信が揺らぎそうになる。
先ほどのような冷たい言葉。道行く人の異形を見る視線。
そういったものに直面したとき、これで間違いはないのかと、私は、私に、問うてしまう。ハーネスを選択したのは、夫婦の総意だ。手を繋いでいるだけでは守れないときもある。もちろんハーネスがあってもなくても、愛心を全力で守ることには変わりない。守るための選択肢をただ増やしただけだ。
「パパ! ついたー!」
『やぁねえ。犬みたい。かわいそう』
愛心の声と先ほどの女性の声が重なる。
「何して遊ぶ?」
「ブランコー!」
愛心と一緒にブランコに向かって走る。愛心をブランコに乗せ、後ろにつく。ハーネスの紐部分を一旦外す。少し後ろに助走をつけて、愛心の背を押した。
「きゃー!」
歓声が上がる。その背に、紐はない。
紐に繋いで歩くことは犬みたい。それをあの女性はかわいそうと言う。でも思うのだ。人間と、その他の動物と、いったい違いは何なのだろう。人間は地球の支配者ではない。それなのに我が物顔に振る舞い、その他の動物の扱いを変えている。元々犬を紐に繋ぎ、閉じ込め、ペットと言い始めたのは人間だ。人間が勝手に作った区分に当てはめて、愛心をかわいそうと言う。そんなあってないような基準で愛心を判断している。
あの女性にとって、人間が犬扱いされているように見えるのは、かわいそう。それは認めよう。その前提の下で、命と犬扱いと、どちらが悪で、どちらが善など、誰にも判断できない。尊厳を取る人もいよう。命を取る人もいよう。私たち夫婦は愛心の命を取った。愛心に聞かずに、私たちが愛心を失いたくないというだけで選んだ。だから傲慢と言われれば頷くべきかもしれない。それでも命を失ったら終わりだ。だからこの選択に後悔はない。
「もっとたかくして!」
「いいのかー? 行くぞ!」
「わー!」
愛心の背が遠ざかっては、近づいて、また遠ざかっては、近づく。繰り返される動きに合わせ、私の思考も堂々巡り。心が千々に乱れ、夫婦の正解と気持ちがうまく重ならない。
愛心の命を守れても、心ない発言で愛心の心に影響がないとも限らない。
命は失ったら取り戻せない。傷ついた心は私たちで癒す努力ができる。
愛心の背が遠ざかる。近づく。明るい青色が目を刺す。
私の思考は終わらない。
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