①谷間の町ジェアダ

 谷間に下がる霜の何と寒いことか。


 宿屋に泊まっていた男は朝を迎えると、くるまっていた毛布の外側が未だに寒い極寒界であることに遅れて気がつく。

 商業都市オウロから南に進み、バイシャオン大街道を抜け、山の谷間に辿り着いた所にこの谷間の町ジェアダは存在する。

 高山である山脈地帯に谷間にあり、さらに南を進むに重宝するべき町ではあるが、谷間にしてはやけに寒い。


 曰く、古くに高山で放った魔道士が未だに冷気の奇跡を放ち、この山一帯を冷やしている。「鍛冶の氏族」と「貴き人」が、山に閉じ込めた悪い火の神を冷気を以て封じている、という伝説あり。

 ジェアダの住人はよくあるホラ吹きの話だと吹聴している。


 寒さに揉まれながらも、男は身支度を進めていく。その男の容姿といえば、短い茶髪に整った顔立ちに、身体がよく鍛えられている伊達男であった。

 それは慣れた手付きであった。1分ほどで革装備レザー・アーマーを全身にくまなく付けていく。癖である装備の再点検を再度行い、問題のないことを確認。

 

 次に、これからジェアダを抜け、さらに南下し、「砂漠超え」に必要な装備を再確認する。

 小オアシスまでの砂漠横断に必要な水筒(動物の内臓を利用して作ったもの)、腰に提げている片手剣とは別に使うナイフ三本(投げナイフにも使える)、サバイバルキット一式(火口箱・携帯用寝具(寝袋)・松明複数本・炊事用具)、小テント、覆い付きのランタン、茶葉と茶葉入れ、茶用の急須、保存食etc…。


 それらも問題無かった。

 背負い袋にそれらをテキパキと収納していく。


 最後に男は自らが信じる宗教の神に信心を捧げる。銀色の十字架であるが、十字のそれぞれの四つの頂点には金属の丸がついているかのような四(頂点)丸十字架であった。

 彼が信じる神はフレイヤ。女神フレイヤが降り立ち、フレイヤ教の開祖たる教祖に操るべき「奇跡」の教授と、フレイヤを信じるに必要な原則文と禁忌を定め、神界に戻ったとされる宗教――それがフレイヤ教。もちろん、彼も幾度の「奇跡」を使える。

 礼拝は意外と短い。数分で終わる。


 泊まっている部屋の入り口に向かう。ちなみに窓を開けても、朝だというのに現在は真っ暗である(谷間の朝は気が長く遅い)。

 錠前付きの宿泊部屋だったので、宿屋から渡されていた鍵で錠前を外す。安い料金の部屋もあるが、そちらは盗賊が盗みを働いたりするので商人は余り利用しないのが通例である。


 二階から一階に降りる。ギシギシと木製の床が鳴り、二階から誰かが降りてきたのかがよく分かる。

 二階は宿泊施設であるが、一階というと朝は大衆食堂――昼は休みで――夜は酒場という形態を取っている。

 砂漠を南下する隊商がいたりするが、今日に限って空いている。


 四人がけで長方形の大きな木製テーブルに着いている大柄な人影が一人分。まるで、二人分を陣取っているかのように体躯は大きい。

 その巨漢の姿といえば、黒い着物――正確な名称であれば直綴というが――を着ており、その上から四角形の布をチグハグに縫い合わせたような――否、所々にボロの修繕の跡が見える――袈裟を纏っていた。首からは大きなガラス玉にも似た綺麗な玉の連珠――いわゆる数珠――を提げており、大きな玉はそれぞれ15cmくらいあり、そのどれもが黒い色であるが、一つだけ白く輝いていた。数珠も中々大きく、腰まで届きそうな辺りまで提げているのだが、巨漢のサイズ感のせいで数珠が少し小さく見える。

 巨漢の頭部は何の毛も生えておらず、つるりとした剃頭の坊主であった。


 巨漢のテーブルの上には何も無い。


「おはよう」

「応、ブラッソも起きてきたか」


 男――ブラッソは席に着く。席に着くなり、暇そうにしている店員に声をかけて朝食を注文していく。それを終えると、ブラッソは改めて目の前の巨漢に視線を向ける。


 巨漢の男――彼の名はガンジュ。

 この世界では「ドッ教」と呼ばれているフレイヤ教とは別の宗教の「僧侶」であった。

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