第二六九話 シャルロッタ 一六歳 竜人 〇九
「……惜しいな、今ここで大軍さえ指揮していればマカパインの大英雄となれたであろうに」
撤退していくマカパイン王国軍を見つめながら異形の姿をした怪物が呟く。
複数ある黄金の瞳をギョロギョロと動かしながら少しだけ落胆の色を見せる
ティーチ・ホロバイネンは士気の落ちたマカパイン王国軍を統率しつつ、インテリペリ辺境伯軍の警戒網を避けつつ素早く移動しているのがわかる。
その手際の良さ、動きの良さはシェリニアン将軍が指揮していた時とはまるで別の集団に生まれ変わったかのように生き生きとしている。
注意深く、そして一人の脱落者も許さないほどの細やかな指揮……竜殺しという異名だけが先行しているが、軍を率いた時の彼はそれまでの印象とは違って雄弁であり自信に満ち溢れている。
「人は成長する……成長を促すのが本来は敵である
数年前まで一斥候だったとは思えないほどの統率能力……もし彼が大軍を率いてイングウェイ王国へと攻め入ってたとしたらこの国の軍勢はどれだけ持ち堪えることができただろうか?
インテリペリ辺境伯家も本気で戦いを挑んできたティーチ相手には苦戦を余儀なくされるであろう……そんな光景が脳裏に浮かぶ。
だが……
「恨みなど我らには感じもしないが、ここで始末しておいた方が後々のためであるな」
「あー、そうか恨みはないとな? そんなもんお前らが感じるわけはなかろ」
いきなり背後から声をかけられた
そこには赤い髪の女性……先ほどまでシャルロッタ・インテリペリと死闘を繰り広げていた
姿が見えないと思っていたが、まさかここに……と少し驚きつつも
見た目は絶世の美女……赤髪に爬虫類のような金色の瞳が異形とも言えるが、男性から見ればそのグラマラスなスタイルと勝気な印象のあるその姿はとても魅力的に映るだろう。
「……本当に異形じゃな、混沌の連中はどうも酷い外見が多いのぉ?」
「ワシから見ればお前の方が醜い、価値観の相違というやつだ」
「そうかぁ? 普通の美的感覚なら我の方が美しいと感じるのじゃが……ま、良いわ」
クハッ、と失笑を漏らすとリーヒは軽く両拳を合わせるが、ドゴン! というとてもではないが外見から想像の出来ないほど硬質で重量感のある音が響く。
その音だけでも目の前の赤髪の美女が普通ではないことがわかる……
元々二メートルを超える長身だが、体は異常なほど細身でありとてもではないが格闘戦が得意なタイプには見えない。
だが、その姿からは想像もできないほどの圧力……下手に手を出すことを躊躇うほどの異様な雰囲気を醸し出している。
「じゃがな……ドラゴンには引くという選択肢はないッ! 先手必勝じゃ!」
「……ふん」
リーヒは凄まじい速度で地面を蹴り飛ばすと
だが……その拳の一撃が炸裂する瞬間
耳障りな羽音を立てながら夥しい量の羽虫がゆっくりと別の場所へと移動していくのを見て、軽い舌打ちをしながらリーヒは口から爆炎を噴射した。
炎が迫る瞬間羽虫は凄まじい勢いで渦を巻くと一瞬で
「ああ? なんじゃそりゃ」
「羽虫は嫌いか? だがワシは愛しておるよ……我が神の眷属故にな」
「はっ……糞にたかる蝿じゃろそりゃ」
リーヒは再び地面を蹴って稲妻のように進路を細かく変化しながら
だが、
その三叉の頭部に複数あるギョロギョロと動く瞳はまるで回転するかのように高速で動き、とても目で追いきれないリーヒの姿を捉え、ある程度の余裕を持って回避に専念しているのがわかる。
彼の目にはリーヒの動きにほんの少しだが遅れのようなものが発生しているのが見えていた……それは少し前までシャルロッタ・インテリペリとの死闘によって負傷したことにも影響していたのだろう。
「……クハハッ! 随分と苦しそうだな?」
「何を……」
「痛みに耐えながら戦うのも苦しかろうよ、どれ……」
羽虫へと変化した
痛む腹部を押さえながら地面へと着地したリーヒが振り向くと同時に、彼の体から恐ろしい量の魔力が放出されるのを見て、ギョッとした表情を浮かべた。
混沌神の寵愛を受ける
だが出現したのは普通の蝗ではない……明らかに毒々しい色を纏っており、打ち鳴らされる顎には不気味な光がある。
これはまずい……逃げるか防ぐか決めねば……リーヒの思考が攻撃から転じた一瞬の間を見逃さず
「……混沌魔法
「うぉっ!!」
一瞬でリーヒの全身に凄まじい速度で毒々しい色の蝗がくらいつく……混沌魔法
現世に呼び出された
「クハハッ!
「……ウハッ! この程度か
「な、何……?」
よく見れば
普通数秒も持たずに生命は崩壊するはず……だが、
その隙間から爬虫類のような黄金の瞳が覗く……そして次の瞬間、その人型の何かが爆炎に包まれると共に、
「危ない危ない……シャルロッタとの戦いをやってなかったらここで死んでおったな」
「……何をした? どうしてお前は喰われていない」
「ん? 何……あやつと同じことをしてみたまでよ、便利じゃのぉ?」
ニヤリと笑うとリーヒは少し前まで戦っていたシャルロッタ・インテリペリは自らの肉体を守るために、魔力を使った結界を展開していた。
当たり前だが
だが……あの女はそれは無意味だと教えてくれた……勝つために何をするのか、リーヒは死闘の中で学ぶことができていたのだ。
「魔力による防御結界……ふん、
「これは予想以上に疲れるのぉ……あやつは本当にバケモンじゃな……ったく」
「ここで押し切っても良いが……ま、ここまでだろうな、生かしてやろうレッドドラゴンよ」
「あ、ま……まてっ! ゲホゲホッ……」
それに反応して爆炎を吹き出そうとしたリーヒだが、相当な無理が祟ったのだろう、軽く咳き込むと膝を落としてしまう。
すでに限界も限界……少しでも休息を取らないとまともに動けるはずもない。
耳障りな羽音が遠ざかるのを聞きつつ、軽くため息をついたリーヒは遠くを行軍しているマカパイン王国の軍勢を見ながら呟いた。
「……危なかったな、あれほどの強者どこに隠れておったんじゃ……おっと」
彼女はいきなり拳を横に突き出すが、そこには先ほどの混沌魔法で召喚された
グシャリという鈍い音をたてて
ひどく眠い……魔力を使いすぎたし、何より体が恐ろしく疲れていて休息を取らねば、と彼女はなんとか睡魔に耐えつつ視界に広がる青空を見つめていた。
先ほどと同じような空だが、少しだけ違うものが見えている気がする……ティーチを守れたことに安堵しつつ次第に暗闇の中へと落ちていった。
「……次は我が勝つぞシャルロッタよ……」
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