第二六八話 シャルロッタ 一六歳 竜人 〇八

「……シャルは無事にマカパイン王国の兵士を退けただろうか?」


 クリストフェル・マルムスティーンは執務の傍ら、書類を持って側に立っていたプリシラ・ドッケンへと話しかける……シャルロッタ・インテリペリが単身戦場へと向かったことで彼は落ち着かない日々を過ごしていた。

 彼女の戦闘能力は比類なきものであり、もしかするとこの王国全体の戦力をかき集めても勝ててしまうのではないか? とプリシラは思っていたが自分の婚約者を戦場に向かわせてしまったという自責の念がクリストフェルの心をかき乱していた。

 美しい少女であるが故に、多くの男性によからぬ劣情を抱かせるのではないか? もしかして今危ない目に遭っているのではないか? という不安から彼の表情は目まぐるしく変化している。

「殿下……私もシャルロッタ様のことを見ておりましたが、あの方は一人でも十分戦える存在です」


「そ、それはわかっているんだけど……」


「……心配な気持ちはわかりますけど、今は目の前のことに集中してください」

 ある意味つっけんどんな態度をとりつつプリシラは書類を確認すると次の書類を机の上に置く……クリストフェルがこんな状況下にあるため事務作業は遅々として進まず、山積みになった書類をあまり内容も精査せずにサインし続けている彼を見て、軽くため息をつきたくなる気分になっている。

 これではいくらでも情報を引き抜き放題ではないか……間諜として第二王子派の動向を実家へと送付しているプリシラからするともっと気をつけてほしいと考えてしまう。

「殿下……こちらの書類本当に目を通しましたか?」


「え? あ……その……ごめんもう一回見ていいか?」


「……全く……この書類は陳情ではありますが却下するべきです」

 第一王子派の劣勢……これはプリシラにとっても驚きではあったが、実家からもたらされる情報から、おそらくアンダース国王代理がイングウェイ王国の王となる道は断たれたように思える。

 次世代の王は確実にクリストフェル・マルムスティーン、今目の前であたふたとプリシラの出した書類を確認している若者になるだろう。

 そして彼は自分が間諜として潜り込んできていることを知ってか知らずか、なぜか側使えとして重宝している。

 チャンスだ、と思った……このまま第二王子派の側近として日々を過ごせば確実に実家含めて安泰な生活が送れるだろう。

 念には念を……クリストフェルの目を盗んで懐から一枚の書状を取り出すと、まだまだ片付けなければいけない書類の中にそっと忍ばせる。

「……ま、いざという時の保険をちゃんとね……信頼してますよ殿下」




「あとは二人でどうにかしてね、ティーチは大仕事が待っているわよ」

 呆れ顔でわたくしを見つめるティーチと、少し腫れ上がった頬を押さえるリーヒへと話しかけると彼は少しお腹の辺りを押さえて痛みを堪えつつ応える。

 なんでも最近はストレスとかで胃を労るポーションが欠かせないとか話してたっけ……だが、彼にはマカパイン王国に潜む混沌の眷属を掃除するという最も重要な戦いが待っている。

 まあ、私が押し付けただけなんだけど……でも大丈夫、ティーチはわたくしと契約してからというものちゃんと仕事はこなすタイプだと理解しているし、リーヒというわたくしほどではないが強力な戦力をも手に入れているのだから。

 第一毎回わたくしが無理難題を押し付けているような言い方をしているが、基本的にはわたくし二人のことは放置プレイが原則だぞ? 依頼や仕事をお願いしたのは数回しかない。

「胃が痛いよ……どうして君はこんなことばっかり押し付けてくるんだ……」


「大陸に混沌の手先を蔓延らせるわけにはいかないからね」


「そりゃそうだけど……君が出ればすぐに終わるんじゃないのか?」


「それでマカパイン王国がよくなるならそうするけど、そうじゃないんでしょ?」

 わたくしの返答に少しだけ驚いたような表情を浮かべたティーチは少しの間を置いてから黙って頷く。

 マカパイン王国の中枢に潜む混沌の眷属はおそらく悪魔デーモンだろうとは思う……訓戒者プリーチャーが出る場合はわたくしが出て行ったほうが良いだろうけど、第二階位くらいまでならリーヒでも十分対応できるという判断のもと、マカパイン王国へはいかないことにした。

 リーヒ自身もそこら辺の悪魔デーモンでは太刀打ちできないくらいの強者だし、ティーチはあんなだけど、基本的にはそれなりに強いからな。

 人を操るという意味ではノルザルツの悪魔デーモンが最適だし、実際に王国を動かすほどの策略をめぐらせてるとなると、そのほかにもターベンディッシュの悪魔デーモンも関わっているだろう。

 だが悪魔デーモンを呼び出して使役するには人間では相当に難しい、いうこと聞かない上に彼らの目的を最優先するから訓戒者プリーチャーが呼び出して任せてるんだろうとは思う。

 使役しやすく十分働く……第三階位程度だろうというのがわたくしの出した結論だ。

「そうだね……国王陛下はおそらく悪魔デーモンによっておかしくされていると思うんだ、だからそれを正せばなんとかなるんじゃないかって思ってる」


「イングウェイ王国のことはわたくしがやりますわ、マカパイン王国は二人の手にかかっておりますのよ」


「……その言い方はずるいよ、僕だって英雄になりたかった人間なんだから……」


「ティーチ、我がついておる……お前は自分にしかできないことをするがいい」

 ティーチは少し泣きそうな顔でリーヒを見てから頷くと、大きく息を吐いて軽く自分の頬を叩く……大丈夫だ、ティーチであれば問題なくマカパイン王国に巣食う悪魔デーモンを排除することができるだろう。

 特にリーヒの戦闘力は一級品だ、正直いうならイングウェイ王国にいる訓戒者プリーチャーとの戦いに彼女を参戦させたいのは本音なのだが、そうするとティーチが危険にさらされた場合に対応しきれなくなるし、ティーチ個人の戦闘能力はさほど高くない。

 エルネットさんには及ばないし、同じくらいっていうとリリーナさんくらいかな……なので、彼の能力を生かすためにはどうしてもリーヒが必要なのだ。

「リーヒ、無理はしないでね?」


「ウハハッ! さっさと片付けてくるからお前との再戦を希望するぞ」


「いつでもいらっしゃい? でも当分は目の前の相手に集中するつもりよ」


「我に倒されるまで負けるでないぞ?」


「誰にそんな口聞いてるの……言っちゃ悪いけど、わたくし最強なのよ?」

 わたくしの発した言葉に少しムッとしたような表情を浮かべたリーヒだが、先ほどまでの戦いについて改めて思い出したのだろう、すぐに苦笑いを浮かべると「ま、確かにな」とつぶやいてから頷いた。

 とはいえもう数年はリーヒと戦いたくないとは思う……結構強いし、それなりに傷を受けたりするから正直痛いんだよね。

 今回もあの結界魔法で全身切り刻まれたし……顔には出してないけど激痛で気が遠くなりそうだったし、戦闘中のアドレナリン分泌でどうにかやり過ごしたけど令嬢としては失格の戦い方だ。

「そういや今回侵攻によって被った損害はどうする?」


「追い返しただけでも戦果としては十分なの、損害は我が家がどうにかするしかないわね」


「必要であればいつもの商会を通じて資金提供はできると思う」


「足りなくなったら無心しますわ」

 いつもの商会……情報提供などをスムーズに行うためにわたくしとティーチが裏で動かしているレスポール商会のことだ。

 豊富な資金を生かしてイングウェイ王国とマカパイン王国の流通だけでなく、ここ数年で各国に販路を広げている新進気鋭の商会……というのが表向きの姿。

 この商会の真のスポンサーはあのオズボーン王であり、彼がため込んでいた宝石などの一部が資金として活用されている。

 まあ数個売却した後は勝手に資金が育っちゃったんだけどさ……おかげでインテリペリ辺境伯家の戦費の一部をこの商会がになっていることは知る人ぞ知る秘密である。

 お父様はなんとなく察してるみたいだけど、寄付金として届いてるからな……他の人は戦費が賄えたって喜んでただけだった。

「商会の方は大丈夫かしら?」


「問題ないよ、むしろこの内戦で物資の流通が増えて収益は上がってる」


「オズボーン王はなんか言ってた?」


「特には……むしろお金が増えたって喜んでいたから大丈夫じゃないかな、伝説の魔帝があんな性格だとは思わなかったんで面食らったけど」

 オズボーン王が黄金やお金を好んでいるのはなんとなく知ってたけど、この間先触れも出さずに行ったら金貨を部屋中にばら撒いてその上で泳いでたのを見てしまった。

 しかもめちゃくちゃ嬉しそうな奇声をあげてたのでちょっと怖かったんだよね……バツが悪くて何も言わずに扉を閉めて帰ったけど、あんな姿見たくなかったな。

 オズボーン王は時折奇抜な行動を好んでやっているから、多分素の性格が元々そんな感じだったんじゃないかとわたくしは思っている……まあ、変なやつなんだよあいつ。

「お金さえ増えれば彼は文句言わないでしょ、減ったら相当不満だろうけど」


「前から聞きたかったんだけど……オズボーン王はどうして君に味方するんだい?」


「んー……男の子の友情と一緒ですわよ? ほら、殴り合って友情を深めるやつ」

 わたくしの返答にティーチは少し眉を顰めて困ったような顔になってしまうが……仕方ないじゃん、それが一番お互いの理解には早かったんだよ。

 ちなみにオズボーン王は非常に強かった……魔法使いかと思ってたんだけど、格闘戦も超一級品だったんだよね。

 彼単体で第二階位の悪魔デーモンと普通に戦えるレベルだったんだけど、どこの世界にも強者というのは普通にいるもんだなと思った。

 決着はまだついてないので、そのうち本気でもう一度殴り合いをちゃんとしなければいけないとは考えている……ただ彼からは「二度とごめんだ」という返事はもらっているので、実現できるかは怪しいところだけど。


「ま、貴方たちに任せますわ……好きなようにやってちょうだい」

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