第二六七話 シャルロッタ 一六歳 竜人 〇七
——燃え盛る炎と同じ鱗を持つドラゴンが口元を歪めて笑うのを見て、シェリニアン将軍は背筋が寒くなるのを感じた。
「ド、ドラゴン! 何をしている迎撃せよっ!」
シェリニアン将軍の号令で我に帰ったのか本陣にいた兵士たちは慌てて武器を手に取るが、それを見ていたドラゴンの背から一人の女性がふわりと地面へと降り立った。
銀色の髪は美しく輝いており、着用する衣服は高貴な貴族などが狩猟時に身につけるような仕立ての良いものであるため彼女が貴族であることがわかる。
異様なのは顔を知られたくないのか女性は仮面を身につけているが、黒い犬をモチーフとした意匠であり不気味さが際立っている。
銀髪の女性は武器を手に取った兵士たちを見回すと、少し不満そうため息をついた。
「何よ、全然強そうなのいないじゃない……帰ろかな」
「はぁ?! お前が来るって言ったんじゃろが! 文句言うならさっさと帰れ!」
「うっさいわねー、アンタんところの兵士って雑魚すぎね……ったく……」
女性とドラゴンは突然口論を始めるが……何が起きているのかわからない兵士とシェリニアン将軍はポカンとした表情で二人が文句を言い合っているのを見つめている。
なんだこの状況は……恐ろしいドラゴンと言い争いをしている女性……二人からしたらこの場にいる兵士は脅威でもなんでもないのだろうが、むしろ非現実的な光景すぎて誰もが状況の把握に時間がかかっている。
だが、一人の兵士が我に帰ったのか武器を構えると裂帛の気合いと共に女性に向かって切り掛かった。
よく見れば小柄な女性……おそらく年齢も二〇歳は超えていないのだろう、体は細い……確実に殺せると判断したのだろう。
「うおおおおっ!」
「うおおおおっ! じゃないんだわ」
振り下ろされた剣をまるで扇か何かを手渡されているかのように、女性は兵士の方向すら向かずに美しい指先で止めて見せる。
兵士には恐ろしく巨大な壁に剣を叩きつけたかのように感じられたのか、目を見開いて驚くが肝心の女性はようやく気がついたとでも言わんばかりの仕草で指先で止めた剣を軽く弾く。
それだけだ、それだけの動作で兵士の手にあった剣はバシッ! と言う音と共に大きく跳ね飛び回転しながら近くの木の幹へと深く突き刺さった。
非現実的な光景を再び見せられた兵士は目の前にいる女性がドラゴンと同じレベルの怪物であることをようやく理解したのだろう……声にならない悲鳴をあげて腰を抜かしながら必死に後ずさる。
「あ、ちょっと飛びすぎちゃったわ」
「あ、じゃないわこのアホゴリラ……おい、この女に歯向かうとか考えるなよ? 死ぬぞ」
なぜかドラゴンが兵士たちへと声をかけているが、すでに目の前で異常な光景を見せられた兵士たちは戦闘意欲を喪失しているのか、黙って何度か頷くと慌てて距離を取った。
だがそれでは納得できないものも存在する……この場ではシェリニアン将軍である。
彼は戦闘意欲を失った兵士たちと違って、職務に忠実であった……彼は豪華な装飾のついた剣を引き抜くと、銀髪の女性に向かって刃先を突きつけた。
「貴様……! 何者だ!」
「何者だって……言われても、ねえ?」
困ったようにドラゴンを見上げる女性と、それに応じるかのように首を傾げるドラゴンの目にはどうやらシェリニアン将軍は写っていないらしい。
それは敵にはならないという認識から生まれた行動だが、誇り高い騎士であり政敵を追い落として今の地位についたシェリニアン将軍からすれば屈辱以外の何者でもなかった。
怒号に近い声をあげてシェリニアン将軍は武器を構えると仮面の女性に向かって突進する……彼もマカパイン王国で人気のある剣術イバニェス流の使い手でもあるのだ。
鋭い剣閃が仮面の女性に向かって放たれる……イバニェス流剣術は刺突に特化しておりシェリニアン将軍の持つ剣も刺突に適した
「しねええっ! イバニェス流
「……うーん、まあ不合格かな、腕力に頼りすぎている」
仮面の女性はまるで構えをとることもなく、
手応えがあったのかシェリニアン将軍の口元に笑みが浮かぶが、その笑みは一瞬にして恐怖の表情へと変化する。
彼のはなった
仮面の女性はまるで微動だにしていない……シェリニアン将軍は目の前の光景が信じられずに、もう一度剣を突くが、同じように女性の体に触れることもなく眼前の空間で彼の剣はぴたりと静止してしまう。
「……な、なんだこれは……」
「魔力を使うとね、防御結界を展開できるのよ……
「な、何を……」
シェリニアン将軍は剣を構えたまま何歩か後ずさる……単なる銀髪の女性、しかも声の感じからすれば少女の年代だろう。
しかし……目の前に立っている少女はそんな常識など通用しないかのような、不気味な存在感を醸し出していることに今更気が付かされた。
人間の姿をしているにも関わらず、その実その正体は何者かわからない……不気味な黒犬の仮面も相まって得体がしれない。
そして仮面の少女は何かに気が付いたかのように、少しだけ首を傾げた後シェリニアン将軍に向かって声をかけた。
「ああ、貴方が指揮官なのね……えーと、なんだっけ……ああそうそう、この地を踏み躙る悪党よ……太古より生きるドラゴンの怒りに触れたな」
「うわー、スッゲー棒読みじゃな」
「うっせーな、喋り慣れない言葉を覚えるの苦手なんだよ……こほん……お主らの王国に戻るなら追撃はせんとドラゴンは言うっているがどうする?」
仮面の少女の少し芝居がかった言葉に、兵士たちはお互いに顔を見合わせて少しだけ表情を綻ばせる……そう、生きて帰れるかもしれないのだ。
極限の状況に置かれることの多い兵士は常に自らの家、住む場所へ帰りたいと願っているものが多く、それはマカパイン王国軍の兵士でも変わらない。
特に辺境伯領へと侵攻した兵士達は特にこの辺境地域の魔獣の多さに辟易していた……マカパイン王国では魔獣を食糧として使う文化はなく、襲いかかってくる魔獣を殺したままにしてしまっていた。
それが余計に魔獣を呼び寄せているのだが、冒険者であれば気がつくこれらのことに彼らは気が付いていなかった。
「か、帰れるのか……?」
「えーと、そう……国に帰れるわよ? 先ほど竜殺しティーチとも話をつけたわ……ドラゴンと互角に戦った英雄はこれ以上の戦闘を無益だと話して交渉に応じたの」
「竜殺しが……! やはり彼は英雄なのだ……!」
「おお……我らの英雄……!」
「ほらそのドラゴンを見なさい、少し怪我してるでしょ、それは竜殺しの付けた傷よ」
仮面の少女が指をさすドラゴンのあちこちには激しい戦闘を物語るかのような傷がついている……もちろんそれはティーチがつけたものではなくシャルロッタとの戦闘中についたものだが、それはこの場にいる兵士には分かりようがない。
この際はリヒコドラクの魔力が完全に回復しておらず、治癒魔法の効果が限定的だったことも寄与しているのだろう。
話に妙な信憑性が生まれており、兵士たちは生きて帰れるなら……とばかりに武器をしまいはじめた……その時だ。
安堵感に包まれたその場の雰囲気を破壊するかのように、一人の男が叫んだ。
「ふ、ふざけるな! 我らは栄光あるマカパイン王国の軍であるぞ……! 奇妙な女の戯言を信じるバカがどこにいる!」
「……ふーん?」
「おい、お主がバカじゃとよ、ウハハハ! 確かに、ウハハハ!」
「……お前後で覚えてろよ? んでどうして信じないの? ティーチは貴方達の英雄なのでしょう?」
「第一ティーチがそのドラゴンと戦ったという証明は、その傷だけではないか……! そんなもの信じて撤退する軍隊がどこの世界にいると言うのだ!」
ドラゴンがその言葉で笑いだし仮面の少女が不機嫌そうに答えるが、シェリニアン将軍の言葉は実は正しく目の前の少女がついた嘘を見破っていた。
この場合は政敵として、常日頃からティーチ・ホロバイネンをライバル視してきた彼は、絶望的な状況下にありながらも、他のものとはかなり違う認識にて隠された真実を掘り当てようとしていた。
だが……再び剣を構えたシェリニアン将軍の前にいた仮面の少女は軽くため息をつくと、軽くポキポキと首を鳴らすとそれまでとはまるで違う人間とは思えないほどの魔力を一気に放出した。
「……おい、少しは人の好意を受け取れよ、わたくしのモットーは
「う、ウアアアアアッ! しねええっ!」
「バカが……単なる人間が、こいつに勝てると思ってるのか?」
悲鳴のような掛け声と共にシェリニアン将軍が剣を構えて少女へと突進する……それを見ていたドラゴンが呆れたように呟くが、それまでまるで構えを取ろうとしなかった少女が軽く腰を落とす。
それは電光石火の一撃だった……少女の突き出した拳がシェリニアン将軍の腹部に突き刺さる……ドゴン! という音と共に彼の体はくの字に曲がり、悶絶したまま地面へと崩れ落ちる。
か細い呼吸音からギリギリでシェリニアン将軍は命を繋いでいることがわかる……少女はそれを震えながら見ていた兵士に向かって声をかけた。
「……殺してないからさっさと連れて帰りなさい? ティーチが貴方達をまとめて王国に帰還するって言ってたわよ」
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