第二七〇話 シャルロッタ 一六歳 竜人 一〇

 ——メガデス伯爵領の要衝であるアヴァロン峠では第一王子派の軍勢とメガデス伯爵軍の激しい戦闘が行われていた。


「ここを抜かれたら伯爵領が危ない! 防ぐぞ!」

 メガデス伯爵家の騎士であるマルティン・フリードマンは、槍を振るいながら迫り来る第一王子派の兵士を押し返す。

 アヴァロン峠はメガデス伯爵領領都であるキャピトルに続く街道が通る場所であり、領都防衛の最後の要とも言える場所だ。

 当然この峠にはメガデス伯爵家の所有する砦が建設され、狭隘な地形ということもあって防衛には適した場所である。

 第一王子派もこの要所を陥落させれば第二王子派の中心貴族の一つであるメガデス伯爵家を屈服させられると考えて攻め寄せていた。

「おおおっ!」


「押せ押せッ、ここを抜けば奴らの領都は丸裸だ!」


「ここを死守しろっ!」

 攻め寄せる第一王子派の主力は武闘派で知られるナイトウィッシュ伯爵家であり、両家は同格ということもあり兵力的には双方互角に近い。

 メガデス伯爵家も歴史ある名家であり過去には多くの騎士や将軍を輩出していることもあり、兵士の練度は高く一進一退の状況が続いているが、やや攻め手が不利な状況だ。

 さらに……ナイトウィッシュ伯爵家にとって不幸だったのは、本来ここにはいるはずのないものたちが偶然にも足を運んでいたのだ。

 栗色の髪に榛色の瞳……使い古された兵士鎧ブリガンディンに身を包んだ戦士、エルネット・ファイアーハウスが剣を掲げて叫んだ。

「……インテリペリ辺境伯家との盟約に従い、エルネット・ファイアーハウスがメガデス伯爵家へと味方するッ!」


「げえっ! ファイアーハウスって……「赤竜の息吹」か!?」


「今引くなら逃してやるぞ! 射撃せよっ!」

 エルネットの声に同調するように数本の矢がナイトウィッシュ軍の戦列の上で何かを炸裂させる……それは狩人がよく使う小規模な爆発を起こして獲物を追い立てる発火性の秘薬が詰められたものだ。

 破壊力は低く威嚇用にしか使われないのだが……その音と光は強敵を前にしたナイトウィッシュ軍に混乱を巻き起こすには十分だった。

 軍のあちこちから悲鳴のような声が響き渡る……エルネットが剣を構えたまま一歩前に出ると、その分ナイトウィッシュ軍の兵士たちは下がっていく。

 エルネット・ファイアーハウスの武名はイングウェイ王国に広く知れ渡っている……金級冒険者にして悪魔殺しデーモンスレイヤー、さらには戦場で暴虐の騎士アンセルモを一騎打ちで撃ち倒した。

「やべえよ……あんなのがここにいるなんて聞いてねえ……」


「下がるな! いくらあいつが強いとはいえ人間だ、殺せば死ぬ!」


「……そりゃそうだね、僕は人間だからここを貫けば死ぬぞ」

 声に応じてエルネットは親指で軽く胸を叩くが、そのやりとりをしながら彼は自分と契約をしている銀色の戦乙女は果たしてそれで死ぬのだろうか? と考えた。

 シャルロッタ・インテリペリ……辺境の翡翠姫アルキオネと呼称される美しい少女は人知を超えた戦闘能力を発揮し、欠損した肉体を瞬時に修復してのける恐るべき力を持っている。

 怪物、化け物、人外……くちさがない連中はそう呼ぶかもしれないが、それでもあの少女の人間味のある部分を多くみてきたエルネットとしては、契約者として相応しいと思っている。

 彼が何かどこか別のものを見ているかのように動かなくなったのを見て、兵士の一人がゆっくりと距離を詰めていく。

「……見てるぞ?」


「ヒイッ! うわあああああっ!」


「死に急ぐか……まあ仕方ないな」

 目が合った瞬間、距離を詰めていた兵士が剣を振り上げて切り掛かるが……エルネットはそれまで別のことを考えていたのが嘘のようにその一撃を躱すと、かえす刀で一撃でその兵士を切り倒す。

 血飛沫を上げながら絶望に満ちた表情を浮かべて地面へと倒れる兵士を見つつ、彼はその様子を遠巻きに見ていたナイトウィッシュ軍兵士へと視線を向ける。

 あまりの剣閃に兵士たちには何が起きたのかわからなかった……エルネットの剣術の腕は誰もが認めるところであり、すでに伝説と化し始めている。

「……なんだなんだ、だらしねえ……」


「誰だ?」

 ナイトウィッシュ軍の兵士をかき分けるように一人の男が姿を表す……少し怠そうな表情であくびをしながら歩みでた彼は、手に業物らしい美しい装飾の入った長槍ロングスピアを手にしている。

 彼の着用している硬革鎧ハードレザーも名匠の手による作品なのだろう、他の兵士たちとは立ち姿にも隙がなく雰囲気がある。

 年齢はエルネットよりもはるかに上……四〇代程度だろうか? 無精髭と無造作に束ねられた髪は手入れに気を遣っていないのがわかる。

 こいつは強敵だな……エルネットの表情が先程までとは違い緊張感のあるものへと変化していくが、確かナイトウィッシュ軍には数人高名な傭兵が雇われていたはずだと思い出した。

 槍を使う傭兵はそれほど多くない……特に彼の鎧の胸に掲げられている紋章は歌う人魚を意匠化したものであり、その紋章を掲げることができるのは大陸でもそう多くない。

「……歌う人魚……? サイレン傭兵団か」


「御名答、さすが高名な冒険者殿……俺はサイレン傭兵団のクラエスってチンケな傭兵だ」


「ふむ……傭兵団が第一王子派についたのか?」


「いや? 個人で雇われているだけさ、金払いがいいんでね」

 そう言って得物をくるりと回すクラエスを見て、エルネットは目の前に立つ傭兵が恐ろしいまでの腕の持ち主だということに気がつきすぐに構えをとった。

 次の瞬間、恐ろしい速度で槍が鋭い音と共に風を切り裂いてエルネットへと迫る……あまりの速度に歴戦の勇士であるエルネットですら盾を使って一撃を受け流すので精一杯だった。

 危ない……槍をこれほどまでに見事に扱う傭兵なんか聞いたことがない、盾を使って突き出された槍を弾くと裂帛の気合いと共に剣を振るうが、クラエスはその一撃をふわりと後方へと飛んで避ける。

「おおっ! 危ないなあ……おじさん死んじゃうところだったぞ」


「……傭兵団の名前は知ってるけど、ここまでの使い手がいるなんて聞いてないな」


「そりゃ宣伝してないからな、俺たちはあくまで楽しく戦争ができればいいのさ」

 クラエスはじょりじょりと音を立てて顎を摩るが、雰囲気はだらしない印象であるにも関わらず一瞬も油断ができない相手だとエルネットは感じている。

 本来メガデス伯爵家に来ていたのは王都攻略のための書状を届けるだけのはずだったが、エスタデルへと戻ろうという時になって、ナイトウィッシュ軍の攻撃が始まり「赤竜の息吹」の面々は否応なく戦場へと向かうことになった。

 だが……メガデス伯爵家に任せきりにしないでよかったと今は思った。

 決して弱い貴族家ではないのだが、これほどの実力者を雇うナイトウィッシュ伯爵軍はかなり本気で攻め寄せているのだと理解できた。

「……こりゃ相手にもちゃんとした筋道を立てているものがいるな、偶然とはいえここに来てよかった」




「……うーん、残念……エルネット・ファイアーハウスがここに来てるとはねえ……辺境の翡翠姫アルキオネの差金かしら?」

 長く美しい黒髪、赤く輝く瞳に艶かしい表情を浮かべる絶世の美女……はち切れんばかりのグラマラスな体を少し薄いローブに押し込めた格好で欲する者デザイアはその様子を見守っていた。

 現状内戦の行方は第一王子派は劣勢……だが、まだ単純な兵力だけでいえば彼らにもまだ勝機はある。

 少しでも破滅を防ぐために、攻勢に出なければいけない……欲する者デザイアはじっと戦の状況を見つめて考える。

 首都に籠って怯えるだけのアンダース・マルムスティーンを首都から引き摺り出すためには局地的な勝利が必要……そう思ってメガデス伯爵家への攻勢を勧めたが、どうもうまくいかない。

「……まいったわね、でもここで辺境の翡翠姫アルキオネの懐刀を留めて置ければ、首都防衛には多少役立つかしらね」


「……お姉様、ここはどうするの?」


「ああ、そうね……ここはもういいわ帰りましょターヤ」

 欲する者デザイアの背後から声をかけられて、彼女は歪んだ笑みを浮かべたまま振り返るがその視線の先には神官服に身を包んだ青髪の少女の姿があった。

 ターヤ・メイヘム……王立学園の学生としてシャルロッタ・インテリペリの友人、そして平民でありながら王立学園の門戸を叩くことを許された少女は手に奇妙な紋章の刻まれたメダルを手にしたままうっとりとした表情で欲する者デザイアを見つめている。

 深い海のような瞳に映るのは美しすぎる訓戒者プリーチャーの姿だけだ……ターヤは王都で犯罪組織の長としての地位を確立している。

 その仕掛けは欲する者デザイアによって行われた……なぜ彼女に目をつけたのか、それは単純にシャルロッタ・インテリペリが心を許す友人が数少なかった、という点にあるだろう。

「そうそう、シャルロッタはまだ生きているそうよ、よかったわねターヤ」


「そうですか……でも今はシャルのことを考えてはいません」


「へぇ……そうなの? じゃあ誰のことを考えているの?」


「お姉様のことだけで……んっ……あむんっ……」

 ターヤの返答を待たずに欲する者デザイアは彼女の唇を奪うと、そのまま紫色の舌を使って彼女の口内を蹂躙していく。

 淫らな水音を立てながら、ターヤも口内を蹂躙していく欲する者デザイアの舌へと自らの舌を絡ませていく。

 舌と舌が触れるたびに脊髄を電流のように駆け抜ける快楽に、ターヤは何度も身を震わせる……お姉様に出会ったのはいつだろうか? シャルが王都を逃げ出すことになった時だろうか?

 路地裏で出会ったお姉様は優しく私に話しかけてくれた……神様のメダルをくれ、自分の身を守る術を身につけさせてくれた。

 そして今のように愛してくれる……シャルは愛してくれなかった、私を置いて逃げていってしまった……だからずっと寂しかったのだ。

 頬を染めながらうっとりと欲する者デザイアの行為にされるがままになっているターヤを見た訓戒者プリーチャーはニタリと笑うとターヤの体を軽く弄りながら彼女の耳元で囁いた。


「嬉しいわターヤ、今夜はたっぷり可愛がってあげる……肉欲に身を任せて何も考えずに、貴女は何もかも忘れていいのよ」

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